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第93話

 かたや当麻は保健室を後にした足で屋上へと向かった。  暴力沙汰に及んだにとどまらず、授業をサボるなど言語道断だ。そう、自分を叱りつけるそばから階段を駆けあがる。  頭の中がしっちゃかめっちゃかの状態で漢文なんか読み解いていられるか、だ。  勢いに任せて塔屋にのぼる。コンパクトミラーを取り出して究極のキメ顔に見入っても、心が凪ぐどころか、鏡面についた指紋のほうが気になるありさまだ。  シャツの袖口がほころびて、糸くずが爪に引っかかる。  殴り合いの喧嘩をすることじたいありえない話なのに、みすぼらしい恰好で校内をうろつき回るのは、もっとありえない。  青々しい東の空に対して西の空はどす黒い。その光景がパニクりっぱなしの精神状態を表しているようで、舌打ち交じりにほつれた糸を引きちぎった。  魔が差した、確かに魔が差した。  だが空良が眠っているのにつけ込んで唇を盗んだのはまぎれもない事実で、あれは出来心だったと開き直るのは卑劣きわまりない。  見舞いに訪れたところ、寝顔があまりにも可愛らしくて理性が吹き飛んだ。それが掛け値なしの真実だ。  当麻は、あらためてコンパクトミラーを凝視した。常に変わらず麗しいものの、憑き物が落ちたように、以前ほどときめかない。  百歩譲って恋の虜になったと認めるとしよう。だが長年にわたって自分自身を熱愛してきたナルシストが、あっさり宗旨替えするものだろうか?   空良が心の中に住み着いたように感じるのは、気の迷いにすぎないのでは?

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