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第111話

 あくる日の正午すぎ、本番直前のことだ。  空良はステージ裏手の控え室で待機していた。掌に書いた〝人〟をゲップが出るほど飲みまくっても、心臓がバクバクするわ、足がガタガタと震えるわ。  そこで天啓が下り、バッテンにした両手で口許を覆うと、 「おまえ、何やってんの」  呆れ顔を向けてくる大和に、 「もがもがもが(息を吐くたびにがんばって暗記した科白がこぼれちゃいそうだから押さえてるの)」  尻文字を綴って返事に代えるにつれて細腰がくねるさまは鼻血ブーものの眺めで、 「エロ踊りするんじゃねぇ、ボケが。つか、俺のがヤベェ。タケ兄直伝の秘策がハードル高ぇし……」 「空良くん、安心して。グダグダになっても俺たちが全力でフォローするし、ドンマイ!」  やけくそ気味に屈伸運動を始めた大和に代わって、御曹司役の酒井、異星人役の飯島、継母(ままはは)役の宇野、ネズミ兼運転手役の本条、義兄その二の橋本が口をそろえて言う。  円陣を組んでテンションをあげてから、舞台の袖に移動した。音響係の班も照明係の班も持ち場についた。開幕ベルが鳴って、客席が徐々に暗くなるにしたがって、ざわめきが静まっていく。  海鵬学院の講堂は、下手な劇場より設備が充実している。階段状に設けられた千近い客席は、すべて埋まっていた。  在校生がその七割を占めるといえば〝チンデレラの憂鬱〟に対する期待度がハンパないことが窺えるだろう。  幕があがった。属性・天使の美少女が二年四組のクラス劇に特別出演するらしい。前日、宣伝部隊に遭遇した生徒の噂が、SNSを介して広まるうちに尾ひれがついて、 「あるときは男子、はたまたあるときは女子。条件次第でふたつの性を行き来するアンドロギュヌスに生まれついたチンデレラも、お年ごろ。素敵な恋がしたいと夢見ていた──」  ことさら堅苦しげなナレーションが流れた時点で〝歓迎・美少女さま〟という空気は摂氏百度を記録するようだった。  きらきら(一部ぎらぎら)した視線が舞台へとそそがれるなか、ついに空良が登場した。その瞬間、ガセかぁ、と呻いて椅子からずり落ちる観客が続出した。

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