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 隣を見ると、伊吹も立ち止まって足元に視線を落としていた。  「何が?」  急に何を言い出すのか。  怪訝に思って訊ねたミフユに、伊吹が顔を上げた。  「さっき、言ってたろ。恋人がほしいとかなんとか」  「……ああ」  店で話していた与太話だ。  それをなぜ今話すんだろう。  「できると思う? 三十年まともに出来なかった奴に」  「思う」 ――ああ。そんなことを言うのか。  と、思った。  「俺は……正直はじめは戸惑った」  気恥ずかしさからか、伊吹はこちらを見ていない。  自分が今どんな顔をしているのか分からなかったので、ちょうどいい。  「けどやっぱり、お前が女好きだろうが本当は男好きだろうが、如月の持ってるもんは変わらねーっつうか……。  フラットな目で見て、お前には魅力がある」  伊吹は、自分を受け入れようとしてくれている。  美冬(みとう)を捨てたと言い張るミフユを認めて、それでも自分の親友だった如月として受け入れようとしている。  あれだけ頑なだった伊吹が――偏見の塊だった彼が、歩み寄ってくれている。  そのはずなのに。  「俺は“そういう世界”のことは分かんねぇけど、如月が幸せになれる相手はきっと見つかると思う。男同士でも」  二人の距離は、もっと遠くなる。  (――この子の中で、こないだの夜のことはどうなってるんだろな)  全部薬のせいだと思われているんだろうか?  (アレは麻薬が引き起こした事故だから、気にすることもないって……)  「応援しとくよ。お前が上手くいくように」  結局『こっち側の俺』と『ソッチ側のお前』で分けられて。  (アタシの気持ちはなかったことにされてんの)  同じ土俵には上がってこない。  それは、  (腹が立つ。すっごく、腹が、立つ)  「……他の男なんていらない」  気付けば、言葉が零れ落ちていた。  「女も、男もいらない。アタシには、おまえがいれば」  「如月? お前――」  目を瞠った伊吹の両手を掴んで、ビルの壁に叩きつけた。  「痛っ……てェ! テメ、何す――」  したたかに背中を打ち付けた伊吹は、怒鳴って暴れようとする。  それを自分の身体で強引に抑え込んで、ミフユは、噛みつくように伊吹に口付けた。  「……っ!?」  呆気にとられてぽかりと開いた口に、すかさず舌を捩じ込む。  こないだのときとは違う。  麻薬に酔わされてはいない、明確な意志のあるキスだ。  「ふ、ぅ……っ」  ぬるりと舌同士が触れると伊吹の肩がびくりと跳ねたが、引かずにもっと深くまで侵入していく。  「なぁっ……! やめろ、バカッ――んぅっ」  解放されようと藻掻く手首をぎりぎりと締め付ける。力はこちらの方が上だ。

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