99 / 191

3−40

 「ありがとう! 嬉しい、ママ、ありがと」  何度も繰り返すアタシに、ママはおかしそうに笑っていた。  その夜は久しぶりに、二人で手作りのご飯を食べた。  この日のことは、二十年経った今でもはっきり覚えている。  貰ったワンピースを着たまま、鍋の汁が跳ねないように細心の注意を払いながら。  学校であったことや昼休みに友達と遊んだことをママに話して、笑い合った。  家に男を連れ込むときの女の顔をした母は嫌いだったけど、そんな思い出もあったから、それでも愛していた。  だから、母が店の常連客だった男と再婚することも拒まなかったし、その男が自分を殴ることも甘んじて受け止めた。  そして、男の連れ子だった、同じく反吐が出るような息子を義兄(あに)と呼ぶことも受け入れた。  「おい」  あいつはいつもアタシをそう呼んだ。  両親が再婚したとき、小四だったアタシに対して義兄は当時小六。  年のわりに成長が早くて声変わりもしていた兄貴は、子供にしては身長が高い程度のアタシにとって脅威だ。  子供のくせにプリン頭でピアスを開けた兄貴は、ところかまわずアタシを呼び付けた。  父親そっくりのきついつり目に、薄い唇を歪ませて。  家で寝ているとき、何か食べているとき、学校で友達と話しているとき。こっちの事情は知りもしない。いつでも、呼ばれたらすぐに「はい」と駆けつけなければ、後でぼこぼこにされた。  義父にも暴力は奮われていたけれど、元々半グレでやってきてある程度加減を知っている義父とちがい、ませているだけで経験の浅い兄貴は好きなだけ力を奮った。  血の繋がりがないから容赦もない。  とくに、ある日は最悪だった。  「おい。お前、なにしてんの?」  その日のアタシは運の悪いことに、再婚以来ずっと我慢していた趣味に手を出していた。  姿見の前で、ママがくれた白いワンピースを自分の体に当てて眺めていたのだ。  「それ、あの女の服じゃね」  急に後ろから声を掛けられて、ざっと血の気が引いた。 ――油断した。油断した。  だって、ママは昼も夜も仕事で、父親は誰かと遊びに行ってて。  お兄ちゃんもランドセルだけ置いて靴がなかったから、どこかに遊びに行ったんだと思っていた。 ――最近はいつも家にママ以外の人間がいて、ずっと我慢してたから。もう、抑えきれなかったから。  おそるおそる振り向くと、兄貴の友達も二人後ろから覗き込むようにしていて、目の前が暗くなる。  「おいナツキぃ、何やってんの――って、あれ? 弟?」  「お前兄弟いるって言ってたっけ?」  唯一の出口である襖を年上の男子三人に塞がれ、ニヤケ面でジロジロ眺められるのは居心地が悪い。  持っていたワンピースを握り締めるようにして、震える息を呑んだ。

ともだちにシェアしよう!