102 / 191
3−43
自分の性別に追い込まれたアタシは、皮肉にも自分の性別に救われた。
力を振りかざす義理の家族たちを返り討ちにしたり。
その頃にはアルコール漬けになっていた母を、ヒスを起こすたびに力尽くで抑えたりして。
『男』という性別の恩恵にあずかりながら、どうにか生きていた。
そんな一時も気が抜けない環境で小、中、高と上がっていくと、なんだかもう周りの全部が敵に見えてくる。
学校のクラスメイト、上級生、教師や噂を聞きつけて冷やかしに来た他校の奴ら。気に入らない奴は片っ端からぶちのめした。
ワンピースを着て踊る、唯一の趣味も失い、自分が分からなくなる。
ただ気を張っている。
――誰よりも男らしく、たくましく、強くなければ、大切なものを奪われてしまう。
ほとんど強迫観念みたいなその考えに支配されて、自分より強い男を徹底的に踏み潰していった。
そして出会う女、媚を売ってくる女、誰彼かまわず抱いた。
『良い女をたくさん抱ける男が偉い』。
アタシが生きていた社会は、そんな観念が通用するいたって単純な猿山だ。
・・・
伊吹と出会ったのは、ちょうどその頃だった。
高校一年の春、師走伊吹という同級生の名はすでに耳に入っていた。
中学までは別学区に住んでいたというそいつは、高校でこっちの地域に越してくるやいなや、あっという間に辺り一帯の不良を制覇したらしい。
授業中、まじめに話を聞く気もなく居眠りしていると、前の席に座っていた不良仲間が喜々として話しかけてきた。
「きぃくん、きぃくん。聞いたかよ? A組の師走、西高の三年を潰したんだって」
妙なあだ名で呼んでくるそいつは、なんとも言えない馬鹿面をしている。ゴテゴテ飾るだけ飾って中身が伴わないタイプ。
「へー」とこっちが気のない返事をすると、それが納得いかなかったのか、椅子の背もたれの方を向いて座り直し、身を乗り出してきた。
「『へー』ってきぃくん冷めてんな! 師走の野郎調子こいてるらしいじゃん!? 潰そうぜ!」
「だりぃ」
生あくびをしつつ、中学の時から赤く染めている髪を掻く。
そろそろ切るかな、長ぇのうざったくなってきたな。とか違うことを考えていると、向かいに座る奴には違う風に映ったのか、なぜか目を輝かせていた。
「きぃくんシブ~! マジカッケェ」
「何がだよ。髪触ってただけじゃねーか」
呆れながら言うと、男は無邪気に笑った。
「いやいや! きぃくんってさ、なんか落ち着いてるよなー」
「………………」
ワルぶっているくせに、この世の闇なんて何も知らなそうな顔。
「周りで何が起きようとお構いなしっていうか?」
――そりゃ、そうなるような環境にいたからな。
と思ったが、どうせこいつに言っても伝わらない。
「格好良いなー。オレ、マジで憧れてんの。きぃくんになりてー」
「無理っしょ」
「ええ!? なんで!?」
だから、返事は適当な言葉で返しておく。
「そりゃ――『おれ』は、お前とは違う人間だし」
いつからか被るようになった、『男』の皮を被って。
二人で、というか主にこいつが騒いでやかましくしていると、今年大学を出たばかりだという若い女教師が声を震わせながら咎めてきた。
「あ……あの、如月くん。田中くん。いま、授業中だからね」
お、と思って視線を向ける。
「あーん? なんだよナミちゃん、文句あんの?」
おれがいなきゃ喧嘩もできないくせに、向かいの男はチンピラ全開で前を向いたが、教師は挫けなかった。
「文句あるよ。二人とも、ちゃんと教科書開いて。
それから田中くん、先生のことをそんな風に呼ぶのはやめなさい」
女にしても小さくて細い体つき。
そのわりに、大きな目にははっきりとした意志が宿っていた。
立派なもんだ。年老いたオッサン先公どもは、もはや俺らなんか見て見ぬふりだっていうのに。
周りもクズばっかだから、男も女もニヤニヤ見守るだけ。
その中で若い先生は毅然とした足取りでこっちの席に近付いてきた。
「きちんと授業に参加しなさい。じゃないと、単位はあげられません」
ダークブラウンのボブヘアに薄い化粧。ぱりっとしたグレーのスーツがよく似合っている。
中の白いブラウスも飾り気がなくてやや地味だが、清廉潔白、純真無垢な女なんだろうなと好印象をもたせる。
膝丈のスカートから伸びる脚もすらりと細くて、黒のヒールサンダルがこじんまりと可愛らしかった。
こんな荒れた学校にいなけりゃ優しくて美人だと持て囃されるんだろうな、って相貌をこわばらせながら、先生はおれたちの前に立った。
「如月くんも、寝ないで授業を聴いて――きゃっ!?」
ともだちにシェアしよう!