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3−65 『八年前のこと』

 季節は冬。十二月もなかばに差しかかっていた。  その頃には、伊吹が鳳凰組に入って三年ほどが過ぎていた。  『伊吹ちゃん! ほら、しっかり立てよぉ』  その夜、伊吹はひどく酔っていた。    極道界では、新年の挨拶を年内に行う『事始め』という習わしがある。  いわば少し早い正月だが、日付は毎年十二月十三日と決まっており、この日には構成員たちが組に集結して式を執り行う。  挨拶が済んだあと鳳凰組は例年宴会でどんちゃん騒ぎになるので、とくに若い衆はしこたま飲まされるのだ。  三年目に入ったとはいえまだまだ新人に分類される伊吹は、組長や若頭に勧められるまま度数の高い酒を浴びるように飲まされて、べろべろに酔っぱらっていた。  一人で歩くこともままならず、如月に支えられながら帰路につく。  如月は自分に比べると酒に強く、部屋は違うが同じアパートに住んでいたばっかりに伊吹の世話役を押しつけられていたのである。  『ったくもう、親父(オヤジ)も面白がって飲ませるから……』  ずり落ちていく伊吹の腕を肩に担ぎ直しながら、如月が参ったようにぼやく。  『うっへー、ちゃんと立ってんらろ!』  『立ててないよ!』  言う端からよろめいて慌てて支えられる。  『ほらぁ着いたって、鍵出せ』  抱えられた肩をぽんぽんと叩かれたが、したたかに酔っていた伊吹はろくに頭が回っていなかった。  『ねー。忘れた』  『嘘つけ! 絶対どっかにあるって……あー、もお』  如月は酔っ払いの相手がめんどくさくなったらしく、一個挟んで隣にある自分の部屋に向かった。  伊吹を抱えたままズボンから部屋の鍵を探し当てて、中に入る。  『ほら、一旦そこ座って? 重いから――あーまだ寝るなって! 伊吹!』  一間の手狭な畳の上に転がされると、心地良い眠気に襲われて、伊吹はそのままスヤスヤと寝息を立て始めた。  とここまで客観的に言えるのは、眠りつつうすらぼんやりと意識があったからだ。  『こいつ……やかましく(イビキ)でも掻いてくれりゃ蹴っ飛ばすのに……』  ハァとでかい溜め息をついた如月は、そんなことを呟いていた。  物騒なこと言いやがるなと思ったが、瞼が重かったので狸寝入りを続行する。  『ったく、上くらい脱いでから寝ろよな』  そう言って、伊吹が着ていたスーツのジャケットを脱がせようとしたが、また体を抱えるのが怠かったのか断念された。  『……このままでいっか』  おい、とツッコみたかったがやはり目は開かない。  ネクタイが苦しいからせめて首元だけでも緩めてほしい。  と、如月も同じことを考えたのか『ネクタイくらいは』とかなんとか言って、襟元に触れてきた。  式ということで首に巻いていたネクタイに、あいつの指がかかる。  そこに力がかかって、しゅるりと結び目が解けたところで、ふと手が止まった。  『………………』  不自然な間だった。  すぐそばに如月の気配があるのに、聞こえるのは自分の呼吸音だけ。  まさかこいつまで寝落ちたわけじゃないだろうに――静寂が続くので、妙な気分にさせられた。  何をやっているのか。  何を考えているのか知りたかったけれど、意識は覚醒の一歩手前で止まっていた。  奇妙に長い沈黙が続いて、やっと喋ったかと思えば、  『睫毛、長っが……』  そんな変な感想だった。  男の寝顔見て言う台詞か。    ネクタイに手をかけられたまま、自分の上に陰が差す。 ――起きなきゃいけねえ。  頭に微かに残った理性がそう囁いた。  本能的に、自分の身に危険が迫っているのを察知する。  頭の横に腕をつかれて、逃げ場を失ったと感じる。  だが不思議なことに、『気付きたくない』と思っている自分もいた。

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