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 「……ああ」  それが、醜い嘲笑に変わっていく。  「本気なわけないでしょう?」  自分とミフユの前で、恥じらいながら恋人の話をしていたアキが思い浮かぶ。  「あいつがどれだけお前のことで悩んでたか、知ってんのか」 ――自分は女だけど、体は男で生まれてきてしまった。  だから、好きな人は自分を抱いてくれないのか。  そんな悩みを抱えてアキはうつむいていた。  『師走さんみたいな男性から見たら、やっぱり私みたいなのは気持ち悪いですか?』  愛する人間に、自分の体を気持ち悪がられているかもしれない。  若い女がそんな不安を抱えることは、どれだけしんどかっただろう。  同時に如月の顔も脳裏を過って苦い思いになった。――あいつもきっと、同じ悩みを抱えて。  「てめえが自分の女に触れもしないせいで、あいつが不安がってたことを、知らねえのか」  目の前の男は夜の街でトップレベルの美貌を持っているはずなのに、ひどく歪んだ顔をしているように見えた。  その笑みがあまりに醜悪だからか、それとも怒りで自分の視界が歪んでいるからか。  「『触れもしない』?」  おうむ返しに言った水無月は、芯から人を馬鹿にした嗤い声をあげて、仰々しく両手を掲げた。  「当たり前だろ!  触るって何、『抱け』とでも? できるわけないじゃん。  だって男だもん!!  キモくて裸も見れるかっつーぶぐぉおおおっ!!!」  伊吹は縄を引きちぎり、縛り付けられた椅子ごと水無月にぶつかっていった。高い鼻に真っ向から頭突きを喰らわせて、激しい音をたてながら倒れ込む。  腹に伊吹と椅子の重みを喰らった水無月は一時呼吸できず、鼻血を噴きながら咳き込んだ。 ――これはアキのぶんだ。そして、如月のぶんでもある。  「……驚いたなぁ。顔はホストの商売道具ですよ」  くつくつと笑いながら体を起こした水無月は、よろめきつつ立ち上がる。  「大事をとって、二重に縛っておいて正解でしたね」  一方で椅子にも体を括りつけられているため、起き上がれないまま冷たい床に転がった伊吹は、にやけ面を睨めつけながら唸った。  「てめえ、ふざけるのも大概にしとけよ」  「おいたが過ぎるのは貴方のほうでは?」  茶化す声は耳に入れず、悪意の象徴のような男を見上げる。  「アキは……あいつは女だ。  そしてお前は、ホストのくせに女一人幸せにできねえゴミ野郎だ」  彼女が教えてくれたのだ。  人の性別は、男か女のどちらかだけではないこと。  身体を見ただけでは、その人間が本当はどういう人物なのか決めつけることなどできないこと。  「へえ、あの子に感化されちゃったんですか?」  水無月は(かん)に障る笑い声を上げて、垂れてくる鼻血を手で拭った。  「一見どれだけそれらしく取り繕えていようが、脱がせれば一目瞭然ですよ。  隠すものを取り払われたら、しょせん見た目と中身がちぐはぐだ」  彼女をそばにおいていて、よくそれだけ酷いことが言える。  伊吹は、裏社会に蔓延るものとは異なる種類の『悪』に口を噤んだ。  「それから、よくある誤解です。 ――ホストは、女性を幸せにする職業なんかじゃありません。  彼女たちに、一時的に良い夢を見せて、気持ちよくその対価を支払ってもらう。それが僕たちのお仕事です。  そういう意味では、僕はあの子相手にもきちんと職務を果たしたんじゃないかな」  「アキを受け入れてるふりで自分に依存させておいて。  時期が来たら突き放して、お前の犯罪を手伝うっていう『対価』を支払わせる?  それがホストだって?」  この男は、そういうことを言っているのだ。  ホストに入れあげて身持ちを崩す女はごまんといる。  それがこの世界の常だとしても――水無月は、あまりにタチが悪い。

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