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 アキと、初めて出会ったときのことを思い出す。  当時のミフユはまだ組を抜けて数年で、ゲイバー店員という新しい職を手にしながらも、(もや)とした気持ちを抱えていた。  世話になった人たちへの恩を仇で返してしまったのも気になるが、一番は学生時代からともに過ごしてきた相棒のことだ。  最後の夜、伊吹はひどく酔っていたけれど、自分と交わしたやりとりを覚えているだろうか。  『……罰ゲームか?』  その言葉に対して、自分は何も答えることができなかった。「そうだよ」とも「冗談だよ」とも言えずに。 ……あの瞬間の自分が、どんな表情をしていたか分からない。 ――伊吹があれを覚えていたとしたら、自分に対してどんな感情を抱くだろう。  今さら考えたって、遅いけれど。  ミフユは夜道を歩きながら、どうしようもないことを考えていた。  普通の男という仮面を捨て、『ミフユ』という新しい顔を手にした自分。  今、二十数年生きてきた中でおそらく最も充実した日々を送っているが、本当にこれでよかったのか、と。  美冬(みとう)時代のことをなにも精算せずに来てしまったこと。  迷う気持ちはなくならない。  そんな晴れない気分が続くときは、夜の街に繰り出して、同類との出会いで一時迷いを忘れることにしている。  ミフユが普段根城にしているバーまではホテル街を経由する必要があるので、そのカップルばかりの道を進んでいった。  そこに、サラリーマン風の男と、あきらかにまだ成人していなそうな少年が見えたが、放って通り過ぎようとした。  他人の事情に首を突っ込むのは都会のルールに反している。 ――けれど。  「さ、行こっか! ヒロくん」  「……うん」  「優しくするからさ。――あ、そうそう、学ラン用意したから着てほしいな。それ着てもらって、写真、撮ってもいい?」  男の、耳にこびりつくような猫撫で声が響く。  「うん。顔撮らないなら、いいよ」  ミフユとて、学生だったころに社会人の男と関係を持ったことがある。  そう思ったが、男に答える少年の声はあまりに幼く、機械的なものに聞こえた。  知らんふりで通り過ぎようとした自分に首を傾げたい気持ちになり、ミフユはぴたりと立ち止まる。  男が品の欠片もない笑いを零して、ぐふぐふと少年の肩を抱いた。  「分かった分かった! ふぅ~可愛いなあヒロくんはっ!」  「……~~~~っ」  ミフユは左に九十度方向転換して、つかつかと二人のもとへ歩いていった。  「おい」  「は? ――ひっ!?」  あん?とわずらわしそうに振り返ったサラリーマンは、ぎょっとした顔をした。 ――――それもそのはず。  ミフユを知らない者が見れば、目の前に立っているのは長身で派手な髪色をしたサングラスの男。  ペイズリー柄のシャツに黒のスキニーを合わせて、趣味の悪い革靴を履いている。  加えて組時代に会得したドスの効いた声とくれば、もちろんそれは筋モンに見えた。  「なっなななんだよ、ですかっ!?」  強がろうとして歯の根が合わない男を、ミフユは蛆虫を見る目で見下す。  「おれの目につくとこで不愉快な顔してんじゃねえぞ、こら」  「ひぎゃあっ!?」  尖った靴の先で男に金的を喰らわせ、一撃で沈める。  隣で呆然としていた少年の手を引こうとすると、慌てて払いのけられた。  それをもう一度、今度は細い手首をしっかりと握り直すようにして、ミフユは大きな瞳で見上げてくる彼に声を張り上げた。  「ほらもうっ、行くのよ! そいつが起き上がる前に!」  突然口調が変わったミフユにびっくりしたのか少年の抵抗がやむ。  そのまま彼の手を引きながら、ミフユは大股にその場を離れていった。  「――ママ? どうしたんですか」  拳を交えていたアキがふと訝しげな顔をする。  ミフユは顔のすぐそばを突っ切っていった拳を掴んで、自分のもとに引き寄せながら笑った。  「ちょっとね。昔のことを思い出してたの」  「……意外と余裕あります?」  不快そうに顔を顰めたアキが、掴まれているのとは逆の手で腹を狙ってくる。それもまた掌で受け止め、衝撃を緩和しながら、ミフユはアキを見つめた。  「あの頃のあんたも、頑固だったなって」  アキの目が大きく見開かれた。

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