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齢七十をとうに越えているはずだが、未だ大柄で背筋がしゃんと伸びた老人。
黒々とした瞳にはぎらぎらした輝きがあったが、目尻に寄った皺がわずかに年齢を感じさせる。
「ずっと立ってねえで、そこに座れ」
白髪交じりの髪を後ろに撫でつけた男――大鳥は、ミフユに一つ置かれた座布団を勧めた。彼の隣には先日退院したばかりの伊吹も座っている。
ミフユは会釈してから大鳥の正面に腰を下ろし、正座した。部屋の入口に狗山が立つ。
「久しぶりだな、美冬」
「……はい」
大鳥は、ミフユが失踪する前となんら変わらない、温かみのある笑みを浮かべていた。
(こんな丁寧に扱われるような立場じゃないのに)
気まずく視線を伏せたミフユは、この家を訪れる前から考えていたことを口にした。
「――組長 。世話になった恩も返さず、長い間行方をくらませて申し訳ありませんでした。
話をするより先に――けじめ付けさせてください。指詰めます」
その場で土下座すると、横で黙って見ていた伊吹が初めて「おい」と立ち上がりかけた。
「まあ待て」
その伊吹とミフユの双方に言い聞かせるように言った大鳥は、くっくと低く笑いながら手を振る。
「早まるな。
てめえはとっくの昔に破門にされてんだ、堅気にエンコなんか詰めさせたら俺がしょっ引かれちまう」
「組長」
「美冬」
思わず顔を上げると、茶目っ気のある笑みを浮かべた大鳥と目が合った。
「そもそも、おまえが詫びるようなことなんか何もねえんだ。
――てめえの行方なんざ何年も前に把握してたんだから。知ってて放っといたんだよ」
「へ?」
そのとき、部屋の主をのぞく全員に間の抜けた空気が広がった。
「まさか、のんきに東京で暮らしてるおまえに、俺が気付いてねえとでも思ってたのか?」
「待ってくれよ組長 」
口を挟んできたのは伊吹で、顔に『信じられねえ』と書いてある。
それはそうだ。彼は失踪直後からミフユを捜し続けて、八年後の今に至るまで見つけられなかったはずだ。
「まあ、まずは聞け」
食ってかかる勢いの伊吹をどうどうと宥めて、大鳥はミフユに向き直る。
「今までおまえを野放しにしていたのは、俺がそれで問題ねぇと判断したからだ。
そうじゃなきゃ、勝手に足抜けした組員なんざ地球の裏側まで追いかけ回される」
「そんな……いつ気付かれたんです?」
尋ねるミフユに、大鳥は灰色の眉を上げた。
「『琴美 』って奴は知ってるだろ?」
「コト……やだ、ちょっと。まさか」
伊吹や後ろの狗山はきょとんとしているが、ミフユには聞き覚えのありすぎる名前だった。
――琴美。
【大冒険】の創業者であり、路頭に迷っていたミフユを拾ってくれた恩人だ。
ただどこか風来坊的なところがある人で、数年前にミフユに店を譲るやいなやどこかへと旅に出てしまった流浪の漢 。
「ママがグルだったんですか!? やだわ、あの狸!」
すっかりいつもの口調になっているミフユに驚いた素振りも見せず、大鳥は着物の袂から古いマッチ箱を取り出した。
いま店で配っている物よりも一代前のデザインだ。
「俺ぁ、一時期アイツの店の常連だったのよ。
おまえ、最初の何年かは東京以外でプラプラしてたみてぇで、探すのに苦労したがな。
こりゃ長期戦になるかもなあって覚悟した時によ――琴美が急に『おたくの箱入り娘が帰ってきたわよん』とか連絡してくっからさ。たまげたよ、俺は」
豪快に笑う大鳥に、伊吹がなお納得いかなそうに言い募る。
「組長、知ってたならなんで俺に教えてくれなかったんだ」
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