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 後ろに流された黒髪に、すらりと伸びた長身。黒いスーツ姿でいかにも仕事帰りな風の彼を視界に入れて、ミフユは一秒静止した。  それから、  「いやぁああん伊吹ちゅわああんっ!!来てくれたのねぇええっ!!」  「うわっ! おい、待てお前っ――」  狭い店内を全速力で駆け出して、伊吹に向かって突進した。  「まっ。ママったら大胆」  「お久しぶりですぅ師走さん~」  モモたちが色めき立つ前で、ミフユは伊吹をぎゅうぎゅう押し潰して頬擦りする。  入店するなりタックルを喰らったものの、どうにかミフユを受け止めた伊吹は顔を赤くして体を引き剥がそうとした。  「なんでお前は毎回飛びかかってきて……っやめろ近付くなっこの、離せ!!」  「ひどぉい! 恋人に向かってそんな言い草っ」  「あっ――おい馬鹿てめえ、こんなとこで」  慌てた様子でパピ江たちに視線をやる伊吹だが、焦っているのは彼一人だった。  「ああ、大丈夫よ師走さん。アタシたち、色々事情は聞いてるから」  「なっ」  キャメロンがニヤニヤしつつ手を振り、伊吹が固まった。  それから、ミフユを押しのけてギロリと睨みつけてくる。  「てめえ……」  「隠してたっていずれ気付かれるわよ」  軽くかわされた伊吹は、しばらくしかめっ面をしていたが。  にっこりと笑うミフユと、『そーだそーだ』と合いの手を入れてくる皆とを見比べて肩を落とす。「分が悪ぃ」とぼやいて観念すると、店内を見渡して訝しげな表情を浮かべた。  「……あ?」  いつもはまだまだ人で賑わっている時間帯だが、他の客の姿がないことに気がついたらしい。  「まさか、店閉めるところだったか?」  「そうなのよ。最終日はいつも時短営業でね」  答えると、伊吹はばつが悪そうな顔をして頬を掻いた。  「悪い。これでも早めに切り上げてきたんだが、遅かったか……邪魔したな」  「いいのよ、うちの都合だからさ。こっちこそごめんなさいね、せっかく来てくれたのに」  「それは構わねえけどよ」  二人の会話を眺めていたモモが、声をかけてくる。  「奥の席使えば? アタシたちはもう帰るけど」  「そうですよ、それがいいわ。どうせ明日はお休みだし」  それにパピ江が乗って、ミフユたちを店の奥までぐいぐいと連れて行く。  「いや、俺は」  「遠慮しないの!」  伊吹は辞退しかけたが、キャメロンの鍛え上げられた腕に捕まえられてカウンターの奥の席に座らされる。その隣の椅子に腰掛けたミフユの前にウイスキーのボトルとグラスが二つ置かれて、笑顔まぶしい三人に肩や背中を叩かれた。  「じゃ、あとは若い二人に任せて!」  「そうね、ミフユちゃん! 頑張るのよ!」  「よいお年を~」  バタバタとバックルームに消えていった彼らを見送って、ミフユは呆れた笑いを零した。  「最後まで元気が炸裂してたわね、あの子たちは」  「……やられた」  苦い顔をしている伊吹をまあまあと宥めて、ミフユは用意されたボトルを手にする。それを伊吹に向けて、微笑を浮かべた。  「せっかくお膳立てしてくれたんだから乗っからない?」  伊吹は考え込むような顔をして、それから小さく笑った。  「ま、いいか。どうせ飲む気で来たんだ」

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