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毎日はな六①

 午前中の仕事が一段落ついた。サイトウは薄汚れた作業グローブの甲で額を拭い、立ち上がって凝り固まった背中を伸ばした。 「ふー」  この頃、寄る年波というものを感じるようになってきた。つい夢中になって作業をしてしまったが、きっと良くない。いつまでも若い気でいると、そのうち大きなツケが回ってくることだろう。 (俺ぁタバコを吸わねぇからな。そのぶん気を付けなくっちゃならねんだ)  若い頃はタバコさえ吸わなければ健康を維持できると思っていた。肺癌や脳梗塞などのリスクをいたずらに上げない、という意味ではそれは正しい。だが、“タバコ休憩”という名の小休止を持たないのもまた、それはそれでいけないのではないかと、サイトウは最近思うようになった。ヤニは休憩の必要を、無理にでも教えてくれるものらしい。身体が衰えて、疲労や喉の渇きを感じる力が低くなってさえ、身体のヤニへの希求はなかなかなくならないようだ。愛車の修理が済むまでの時間を、事務所で美味そうにタバコをふかして潰す、そんな客の姿を沢山見てきて、サイトウはそのように学習した。  サイトウは個人事業主なので、いつ休憩を取ろうが自由なのだが、自由だと思うと、かえって休憩を取り忘れる。 「あーやれやれ」  グローブを靴箱の上に、丁度いつもと同じ位置に放り投げて、靴を脱ぎ、どすどすと足音を立てて二階へと上がる。サイトウには、小休止を思い出させてくれる有効なリマインダーはないが、お昼休憩だけは忘れさせない相手が、その先に待っている。 「よぉ、何してんだ?」  呼びかけると、こちらに背を向けて正座をしていたはな六は、悪戯を咎められた子供のようにぎくりと振り返った。サイトウはケケケと笑った。はな六はまだ、いたたまれないような表情をしている。 「棋譜並べか。なんだ、前より難しそうだな」  つい最近までは、九路盤で、一つの棋譜を繰り返し並べていただけのはな六だが、今は十三路盤で並べている。盤面の石の並びは昨日のものとは違うようだった。 「でもこれ入門レベルだよ。確かに、今のおれには、難しいけど……」  はな六は、以前は囲碁のプロ棋士を生業とするアンドロイドだった。だが、どういう訳か囲碁まみれの人生に嫌気がさしたらしく、棋士を辞め、クマともタヌキともつかないぽんぽこりんな見た目のアンドロイドであることまで辞めてしまった。そして、サイトウが所有していたセクサロイドの脱け殻(ボディ)に魂を移植して、第二の人生を歩むことになった。  にもかかわらず、はな六は懲りずにまた囲碁をし始めた。ボディを乗り替えた時に、はな六は碁の打ち方を全て忘れてしまったので、何も知らないズブの初心者としての、再スタートだ。 「これは?」  サイトウには、盤面は黒と白、半々くらいに分かれているように見えた。 「黒の六目勝ちだよ。コミがなければね」  コミとは、白に与えられるハンデのことだ。囲碁は、先手で打つ黒が有利なゲームだ。同じ棋力同士で打つ場合、白が六目半のハンデをもらう。だから、この勝負にコミがあったとすれば結果は逆転し、白の半目勝ちということになる。  棋譜に結果が書いてあるというのに、はな六は律儀に整地(せいち)(終局後、互いの陣地を数え易くするために石の並びを整えること)を始めた。デコボコだった()(陣地)を、それぞれ長方形にならして、何目か数えていく。棋譜の通り、黒地の方が六目多かった。 「んふふ、合ってた」  はな六は、眦のつり上がった丸っこい目を三ヶ月形に細めて、満足そうに笑った。サイトウははな六のこの笑顔を見るのが好きだ。はな六がこうして笑うのは、棋譜を間違えずに並べ、地を数え切った時と、心地好いセックスを楽しんだ後だ。はな六にとっては、碁とセックスは等価なのだろうと、サイトウは思う。だからサイトウは、はな六が碁を再開したことに対して、文句を言わなかった。はな六自身が碁とセックスのバランスに気をつけているので、なおさら文句の付け所はない。  はな六が石の並びを崩し、じゃらじゃらと石を碁笥(ごけ)にしまうのを、サイトウは辛抱強く見守る。つい手伝ってやりたくなってしまうのだが、手を出すのはかえって礼儀に反するとはな六は言うし、サイトウもそう思うのだ。  全ての石を碁笥に仕舞い、塩ビ碁盤の上に、二つの碁笥を並べ置いた。サイトウはそれを折り畳みテーブルごと持ち上げ、壁際に寄せてやった。はな六は立ち上がって服を手で払い、碁石を取りこぼしていないか、畳の上を確認した。  サイトウは大股で部屋を横切って、押入からマットレスと敷き布団を出し、部屋の中央に敷いた。シーツの上には、更にバスタオルを重ねた。 「お昼休憩だぜ、はな六」 「うん」  はな六は、大人しく布団に横になった。はな六の部屋着のズボンを、小さな“お飾り”が内側からつんと押し上げている。とても正確な、はな六の腹時計。はな六はセクサロイドなので、三度の飯は不要だが、そのぶんセックスを沢山必要としている。そしてかなりの“食いしん坊”だ。サイトウは昼食を摂る前に、はな六の性欲を満たしてやることを習慣にしている。自分の喉の渇きは忘れがちでも、寂しがるはな六のことは忘れない。だが仮に忘れたとしても、はな六はぴいぴい泣いて「お飾りが苦しい」と訴えてくるだろう。  “お昼ご飯”は軽くでいい。少し愛撫してやると、はな六は起き上がり、サイトウの下着から半勃ちになった一物を引き出して咥えた。 「んぅー、んぅー」  飢えた動物の赤ん坊のようにうなりながら、はな六は熱心に一物をしゃぶった。サイトウは喉奥を突き上げたくなるのを我慢して、はな六の口から一物を引き抜いた。引き抜いた途端、一物は反り上がり、サイトウの下腹部をぱちんと打った。 「よーしよし、いい子だ」  サイトウははな六の顎を撫で、同じ手の親指で、はな六のしっとりと濡れた上唇を撫でた。 「ちょっと待ってな。準備したらすぐ挿れてやるからよ」  ちゅっと一度唇を吸い、準備に取りかかった。コンドームの封を切り、表裏を間違えないように、確実に装着する。その間に、はな六は下を全部脱いで待った。  黒ずんだ性器を、半透明のゴムで根元まで覆い、はな六の方へ身体を向ける。こくり。はな六が小さく喉を鳴らした。 「ほら」  囁き、手招きをすると、はな六は両手をシーツに着いて、腰を一歩ぶん前に動かした。長い睫毛をはにかむように伏せて、折り曲げた膝を大きく開いた。脚の間のお飾りは、既に透明な液をとろとろと溢れさせていた。サイトウははな六の膝の間に這入り、はな六の唇に口付けた。ちゅ、ちゅ、と口付けを繰り返しながら、ゆっくりとはな六を押し倒していく。 「はやく、はやくちょうだい、サイトウ……」  ひとの脳髄を蕩けさせる、甘い声ではな六がおねだりをした。サイトウはたっぷりと焦らしながら、はな六を仰向けにさせた。唇と舌を巧みに使ってはな六の口を愛撫しつつ、一物を手で支え持って、はな六の入り口に押し当て、ゆっくりと、侵入した。  セクサロイドのいいところは、慣らしをする必要がないところで、はな六はほんの少しの口付けだけで相手に身体を許し、開くことができる。 「はぁ、あぁ……」  はな六は目に涙を浮かべ、歓喜に身体を震わせた。サイトウははな六の、毛糸の手袋に覆われた両の手に自分の手を重ねて、ぎゅっと握った。はな六も、ぎゅっと握り返してきた。  動き出す前に、はな六の耳に口を寄せて訊く。 「どんな風にして欲しい?」  これが、たったこれだけの一言が、はな六には強力な媚薬のように効くのだ。はな六はぶるりと震え、そしてふぅ、と小さくて熱い息を吐いて、ねだる。 「一番奥まで入って、それからギリギリまで抜くの、繰り返しやって」 「おぅ、いいぜ。やってやるよ」  行為の最中、はな六の注文は多いし細かいが、それらを忠実にこなしてやれば、必ず全身で応え、喜んでくれる。しかも飽きることを知らないし、飽きさせない。  サイトウははな六を抱きかかえ、その首筋に顔を埋め、注文通りにゆっくりと腰を使った。ぬるぬるに滑ったはな六の内部が、薄い被膜ごしにサイトウの一物に柔らかな刺激を与える。ものすごく斬新な刺激という訳ではなく、むしろ、感触はただの人間を犯しているのと、大して違わない。  以前のはな六は、もっと玩具みたいだった。セクサロイドらしく、その体内の男を受け入れる部分には、男を楽しませるためのギミックが仕掛けられていて、それはそれは刺激的なものだった。だがギミックは古くなっていたので、無理な負荷をかけられると、あっけなくバラバラに壊れてしまった。タチの悪い奴が、タチの悪いセックスを無理強いしたので、壊れてしまった。  はな六は治療を受けた。しかし、現在は“セクサロイド”という種類のアンドロイドは製造されていないらしく、セクサロイド専用の新しい体内内蔵型の玩具は手に入らなかったそうだ。それで、人間の身体を模した普通の臓器を、壊れた部品の代わりに装着した。ところがはな六は、その改造手術のお陰で、却ってセクサロイドとして完成したようだった。  治療を終えて、はな六はセックスに苦痛を感じなくなった。そして本当の快感を知ったはな六はセックスに夢中になった。そんなはな六に“淫乱”という言葉は似合わなかった。赤ん坊が乳を求めるように、真っ直ぐに、純粋にはな六はセックスを求めている。そして、欲求が叶えられずにこそこそと自慰に耽っているときのはな六は、空腹の紛らわしにおしゃぶりを咥える赤ん坊のように、切実で、憐れで、いとけない。  昼飯時、冬の低い日差しは室内の奥の方まで届き、空気を温める。薄いカーテン越しの、穏やかな陽光に照らされ、造り物とは思えぬ茶色の瞳が輝く。覗き込むと、その目もまたサイトウをじっと見つめようと瞳孔を開く。 「あぁ……サイトウ……」 「あ?なんだ」  吐息の合間に、はな六は懇願する。 「もう出ちゃいそう……でも、そのままのペースでしてて。出ちゃっても、そのまま続けて……」 「あぁ、わぁーった」

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