6 / 8

毎日はな六③

 やがて、女の子がサイトウに送りつけてくるメッセージの内容には愚痴が多くなっていった。友達や家族とうまくいかないという悩みが主なものだった。サイトウはそれらを真剣に読み、拙くて短いながらも一生懸命考えて返事をした。女の子は人生が楽しくなさそうだった。夜眠る前には、女の子の人生がどうしたら楽しくなるだろうかと考えた。 『私には誰も味方がいない』 『もう家から逃げ出したい』 『消えてしまえたらいいのに』 『死にたい』  女の子はそのような悲しいメッセージを送ってくるようになった。サイトウは必死に頭を捻って、女の子を元気付けられるようなメッセージを書いて送った。これほどまでに無い知恵をしぼったのは、中学時代に素人窃盗団を組んだ時以来だった。気持ちの面では、もしかすると、泥棒をするよりも磨り減ったかもしれない。  八月に入った。勤めていた鈑金屋には、少しばかり盆休みがあった。そこで、短い休暇中に女の子に人生を楽しいと思って貰えるような経験をさせてあげようと、サイトウは企画した。三日間の休暇の中で、果たして自分と女の子が一緒に楽しく暮らせるかどうかを見るという、もう一つの目的もあった。  サイトウは勤勉に働いていたので、中学生の女の子を一人養うことくらい、朝飯前だと思った。家のことなんか自分で全部出来るから、女の子にはただサイトウの部屋で寝起きしてもらって、学校に通ったり勉強していてくれればよかった。サイトウは、女の子の親や友達とは違って、女の子の幸せを願っているし、将来のことをよく考えている。きっと自分と一緒になれば女の子は幸せになると、サイトウは信じていた。あとは女の子次第。三日間、お試しで二人暮らししてもらって、本当にサイトウのもとに女の子を迎え入れるかどうか、決めようと思ったのだ。  女の子にお盆休みの計画を送ると、とても喜んでくれた。そして、親には上手く言っておくから、と女の子は返信してきた。それを鵜呑みにしてしまったのも失敗だったと、サイトウは後に思った。女の子の親は彼女に言わせれば大層なロクデナシだということだったので、サイトウはのっけから話の通じないものと決めてかかってしまった。だがやはり、大事な娘さんを三日間預かるとなれば、ちゃんと直接挨拶に行くのが筋というものだったのだ。  お盆休み当日、女の子は約束通り、自分で荷物を用意してサイトウのアパートを訪れた。そして約束通りに三日間を共に過ごした。女の子は勉強は出来るのかもしれなかったが、見た目の印象通りの箱入り娘で、世の中のことや男と女のことに、あまりにも無知だった。サイトウは辛抱強く、懇切丁寧に女の子にそれらを教えた。世の中にはこんなに楽しいことがあるんだよ、人生はこんなに生きるに値するのだよ、と。  三日目の朝起きると、シーツに血が着いていて、それは女の子の脚の間から流れていた。それはどういうものなのか、サイトウはマコちゃんから教えられたことがあるので、よくわかっていた。マコちゃんというのは、サイトウを生んだ女のことで、つまり母親なのだが、“お母さん”と呼ばれるとその度ごとに三歳老けると言って、サイトウに“お母さん”と呼ぶのを禁じていた、そんな女だった。  サイトウはマコちゃんの教えを思い出して、女の子に紳士的に振る舞った。女の子はドラッグストアに行きたいと言った。サイトウは、何が必要なのかは分かっているから自分が代わりに買いに行くと申し出た。だが女の子はそれを固辞したので、サイトウは女の子を一人で行かせた。  女の子はそれきり帰っては来ず、代わりに警察官が何人も押し寄せてきた。訳もわからず、サイトウは警察署に連行され、そのまま留置所に閉じ込められてしまった。 『俺どーしても解らなくてよ。何で捕まらなきゃいけなかったんだろ?』 『刑務所では、誰も何も教えてくれなかったんですか?』  マサユキは相変わらずの仏頂面、不細工面で淡々と訊いた。サイトウの出所祝いとして、居酒屋で二人で呑んだときのことだ。 『教えてもらったさ、そりゃもう色々と。けどよぉ。だからって、逮捕されなきゃいけねぇほどのことだったの?』 『ふぅ、それってつまり』  マサユキはげふんと咳払いをして、続けた。 『解らない、ではなくて“腑に落ちない”っていうことではないですかねぇ』 『腑に落ちねぇっちゃなんだよ』 『頭では一応理解したけど、納得はしていない、てことです』 『いや、納得はしてるんだよ。奴らの言うことに筋は通ってた。けどわっかんねーんだよ』  サイトウが言い張ると、マサユキは訥々と説明し始めた。その内容のほとんどが、刑務所の中で勉強させられたことと同じだった。未成年とは本人が同意しても性交してはならないとか、未成年を誘拐したり監禁したりしてはダメだとか、そもそも誘拐や監禁は成人相手でもダメだとか。サイトウとしては、誘拐や監禁などしたつもりはないし、相手の女の子はまだ十三歳の未成年とはいえ、体つきは大人そのものだったし、思考力や判断力だって大人並みにあるように思えた。サイトウは女の子のことが好きだったので、あの利発な子を無知蒙昧なガキンチョ呼ばわりされるのは、腹に据えかねた。だが、抗議すれば女の子に罪をなすり付ける卑怯者と思われると思って、警察官の前でも裁判官の前でも刑務官の前でも、マサユキの前でさえ、黙っていた。  ただ、マサユキはさすが十数年来の親友なだけあって、刑務官とは違った切り口からサイトウに意見を述べた。例えば、サイトウ本人は意識していないが、女の子にとっては上背のあるサイトウはただ立ってるだけでちょっと恐そうに見えるのだとか、我々の話す上州弁は語気が強く荒々しいので、聞き慣れない人には怒っているように聞こえるとか。つまり、何気ない言動が既に恐い、存在自体がパワハラのようなものなのだと。人は恐怖を感じると自己防衛の為に従順に振る舞う。女の子が素直に見えたのはそのせいだと。 『それと、これは僕の想像ですけどね。彼女にとってはサイトウ君との暮らしは、いっくら優しくされてもしんどかったんだと思いますよ』 『何で?』 『サイトウ君にしてみれば、彼女を日常の一部に組み込んだだけのことでしょうけど、彼女にしてみれば、どうだったでしょうね? 全くの非日常に放り込まれたのでは』 『おぉ』 『サイトウ君だって、昔、嫌だって言ってたでしょ? マコちゃんのせいでコロコロ生活が変わるのが。慣れた頃にはまたお引っ越し、嫌だったんでしょ? あの女の子だって同じでは。彼女が実際、どういう家庭環境に置かれていたのかは謎ですが、居づらいおうちでも、ほぼ知らない男の部屋よりはましだったのでは』  まさにストンと腑に落ちた。なるほど、自分は良かれと思って女の子の日常を壊したのか。毎日が非日常状態の辛さは、マサユキの言う通りサイトウは身に沁みて解っていたはずだ。自分がいつもと同じ部屋で、ただ女の子が加わっただけの暮らしをしたから、気付かなかったのだ。女の子の心細さを。女の子にとっては、深夜、知らない男の部屋で添い寝で慰められるよりは、自分の部屋でいつも通り一人で泣いている方が、居心地がよかった。そういうことだったのか。 『これは何に使ったのですか?』  手錠に足枷に鎖。鎖はホームセンターで買った本物だが、手錠と足枷は通信販売で買った。ゴツい見た目だが壊そうと思えば壊せる、ただの玩具だ。取り調べの際、サイトウの部屋から押収したそれらを、警察官はサイトウに見せ、用途を訊いた。 『セックスするときに、逃げられねぇように。あの子初めてだったから、気持ちよくなるの怖がって、逃げちゃうかもしれないでしょ? 逃げないで一山越えれば、きっと良くなるから、逃げらんねぇように。だから、セックスの時にしか使ってないです』  調書を書いていた警察官が片眉を上げ、首を傾げた。何か変なことを言っただろうか? 女の子にもそれらの用途は説明したのだ。女の子は嫌がっていなかった、ように、サイトウには見えた。サイトウとしては危害を加えるつもりなんか更々なく、ただただ女の子に気持ちよさを知って欲しい一心だった。だから、手首や足首には、金具で擦れて傷にならないように、包帯を巻いて保護して、その上から手錠や足枷を嵌めた。それの何がいけなかったのか、当時のサイトウには本気でわからなかった。 『あー……』  マサユキに言われてやっと、サイトウはわかった。そもそも女の子は、知りたいなんて心の底から思っていなかったんだ。知ることは変わること。不可逆の変化だ。サイトウが余計なことを教えてしまったせいで、女の子は変わった。変わって、それまでの日常を生きられなくなったのだ。どんなにか不安で悲しかったことだろう。サイトウは初めて女の子に同情した。あの後、女の子は帰るべき日常を喪って、どのように暮らしたのだろう? しぶしぶ慣れたのだろうか? 子供の頃のサイトウのように、新しい日常に。慣れることは出来ても、不満はずるずるといつまでも、影のように、付きまとってくる、そんな生活を、今でもしているのだろうか。 『俺、悪いことしちゃったな』  女の子に対してそう思ったのは二度目だ。一度目はというと、あの日女の子が流していたあの血が、女のいつものあれの血ではなくて、膣の裂傷からの出血だったと知らされたときだった。 『悪いこと、しちゃいましたねぇ、サイトウ君』  マサユキはまるで『今夜は雪ですねぇ』とでも言うときのように言った。 「はな六よぉ」 「なに?」 「悪ぃが午後は、こないだ言ったように、出かけるぞ」  サイトウが言うと、はな六は首を傾げた。 「何で悪いの? お墓参りなんでしょ」 「いやぁ、オメェ、碁の練習が出来なくなっちゃうだろ?」 「別にいいよ。お墓参りって大事でしょ。それにサイトウだって午後のお仕事、休む訳だし」  はな六はあっさりとそう言って微笑んだ。俺の嫁は女神か? 男だけど、とサイトウは感激した。やっと最近整ってきた日課を崩してまで、こちらに合わせてくれるなど。 「あぁ」  感極まり過ぎて、気の利いた返事が出来ないほどだった。

ともだちにシェアしよう!