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【14】

「ふぁ……ぁっ。しん……り、さんっ」  寝室に入るなり、広いベッドの上に下ろされた貴滉は「熱いっ」と言いながら自身のネクタイを引き抜き、上着の袖を抜いた。そして、すぐ脇に腰かけた真吏の首に両手を絡めると、うっとりと見惚れるように覗き込んだ。 「体、熱い……。俺、おかしくなっちゃった……?」  舌足らずで問う貴滉の唇を啄みながら、真吏もまたネクタイを解き上着を脱ぎ捨てた。ウェストをシェイプしたデザインのベストが禁欲的な雰囲気を見せるが、貴滉が振りまくΩ性特有のフェロモンに当てられ、自我を失いかけていた。伸びた犬歯を剥き出し肩で息を繰り返す真吏を見つめ、貴滉は泣きながら舌を伸ばした。 「欲しい……。真吏さんの全部、欲しい……」 「それが、お前の本能か?」 「も……我慢、しなくても……いいんだよね? もう……好きって、言ってもいいんだよね?」 「あぁ……。好きなだけ言っていい。好きなだけ俺を求めろ」  二人の間に引かれていた境界線(ボーダーライン)は消えた。今まで内に秘め、押えこんでいた想いが溢れ出して止まらない。どれだけぶつけても、すべて受け止めてくれる人がいる悦びに打ち震え、貴滉は二十六年間眠り続けていた本能を曝け出した。 「体が……心が、あなたを……欲しがってるっ」  膝立ちで彼のキスを強請るたびに、浅ましくも後孔がヒクヒクと震えるのが分かった。そのうちに、ひんやりとした冷たいものが臀部から腿を伝っているのに気付き、貴滉は粗相をしてしまったかと息を呑んだ。しかし、真吏は驚きもせずに貴滉の後ろに手を回すと、双丘の割れ目を撫で下ろした。  スラックスの生地が甘い花の匂いを放ちながらぐっしょりと濡れている。それは貴滉の後孔から溢れ出る愛液 だった。真吏が、指先を濡らした甘い蜜を貴滉に見せつけるように舐めて見せると、羞恥に顔を赤らめて彼の胸元に顔を埋めた。 「こんなに濡らして……。それだけ俺が欲しくて仕方がないってことだろ?」  真吏はなおもスラックスの上から濡れた秘部を指で愛撫し、貴滉の耳朶を甘噛みする。体の中をピリピリと電流のようなモノが流れ、敏感になった肌が彼の指に反応して色づいていく。 「ん……っ。やだ……そこばっかり……。あぁ……溢れちゃう……っ」 「シーツまでグショグショだ……。ほら、これを脱いで……俺に見せてごらん」  貴滉が穿いているスラックスのベルトに手を掛けた真吏はもどかしげに金具を緩めると、ホックをはずして前を寛げた。その瞬間、ぐっしょりと濡れた下着から蜜の匂いが溢れ出し、わずかに保っていた理性が吹き飛びそうになるのを感じた。Ω性との性交はこれが初めてではない。だが、これほどまで欲情し魅せられることは今までなかった。 (これが……本能が求める番なのかっ)  ごくりと唾を呑み込み、下着ごとスラックスを引きおろすと、綺麗に色づいた小ぶりなペニスが飛び出した。長く伸びた爪で傷つけないようにそっと包み込むと、先端から溢れる透明な蜜を茎に塗した。 「あぁ……それ、ダメッ。で……出ちゃう、からぁ」 「何回でもイケばいい……。ここは俺たちの聖域……いっぱい愛し合って、番になる場所……」 「いっぱい……? あ、愛し……合う? 真吏さん……俺……俺でいいの?」 「もちろん。言ったろ? 誰にも渡さない……。お前の全部……俺のモノなんだよっ」  真吏の甘くて低い声が鼓膜を刺激する。それだけで体が震え、自然と動いてしまう腰を跳ねさせて射精していた。真吏は、白濁に塗れた指に舌を這わせながら貴滉をベッドに押し倒すと、イッたばかりのペニスを口に含み残滓を搾り取るように吸引した。敏感になっているペニスに強烈な刺激を与えられた貴滉は、シーツから背を浮かせてまた絶頂した。射精を伴わない絶頂を体験するのは初めてではない。以前も真吏の手によって導かれた。 「はっ、は……っ! 真吏……さん……」 「お前の精液は甘いな……。病み付きになりそうだ」 「やぁ……っ」  白濁で濡れた唇を舐めながら顔を上げた真吏は、鼻息荒くとめどなく愛液を流す後孔に触れた。 「んあぁぁ……っ」  そこは熟れて色づき、真吏を誘うかのように薄い花弁が収縮を繰り返していた。真吏の指が円を描きながら這うたびに、貴滉は漏れてしまう吐息を我慢しきれず自身の人差し指を噛んだ。 「あ……っふ、あぁ……っ」 「綺麗な蕾だな……。どうすれば大輪の花を咲かせてくれる?」 「あふっ……しん、りさんの……いじ、わ……るっ」 「教えてくれないと分からない。 この前はアイツの精液を掻き出すので精一杯だったからな」  そう言いながら、指先を蕾の中心に埋めていく真吏。皮肉げに克臣のことを口にするが、そこには嫉妬が入り混じり、わざと音を立てるように入口に近い場所ばかりを攻めた。貴滉が求めているのは、もっと奥にある場所……。そこに彼の指が届くように両膝を曲げて大きく脚を広げると、腰を浮かせたままゆらりとくねらせた。 「どうした、貴滉? ずいぶんと辛そうだな」 「う……んっ。もっと……奥、が……いいっ」 「奥? 奥に何があるんだ?」 「きも……ち、いい……ところ。しん、り……さん、知ってる、くせに……っ」  眉をキュッと寄せ、彼を恨めしげに睨んだ貴滉は震える指先でワイシャツのボタンを外した。そして、すでに尖りはじめている胸の突起に爪を引っ掛けると、真吏を誘うように腰を捩った。 「それは、何のオネダリだ?」  口角を片方だけ上げて笑った真吏は貴滉の脚の間に顔を埋めると、クチュリと音を立てながら指を奥に突き込み、薄い襞をさらに広げるように舌先で抉じ開けた。 「あぁっ! いや……あぁぁっ」  何かを期待してやまないその場所から、トプリと蜜が溢れ出すのを感じた貴滉は、わずかに上体を起してジュルジュルと卑猥な音を立ててしゃぶりつく真吏の髪に指を埋めた。 「真吏……さっ。はぁ、いやぁ……そんなとこ、汚い……ダメぇ!」 「汚くなんてない……。綺麗だよ……全部、綺麗だ」 「ひゃぁ……あ、あっ! また、イク……イク……ッ」  腹筋を小刻みに上下させ貴滉が再び極めようとした瞬間、中に埋められていた指が不意に抜かれた。昇りかけた階段が目の前で消えてしまった喪失感に体の力が少しだけ抜けた。それを見計らったように、真吏は二本に増やした指を一気に奥へと突き込み、貴滉のイイ場所を探り当てると、そこを激しく擦りあげた。 「ひぃぃぃ――っ! や、やだぁ! あっ、あっ、ダメ……イク、イ……イッちゃ――ぅ!」  女性と見紛うような甲高い声を上げながらビクンと大きく腰を跳ねさせた貴滉は、彼の指を食いちぎらんほどの力で喰い締めたまま絶頂を迎えた。下腹につきそうなほど反り返ったペニスからは白濁交じりの蜜が糸を引きながら溢れ、貴滉の下生えをしとどに濡らした。  瞼の裏がチカチカする。全身が心臓になってしまったかのようにドクドクと脈打ち、呼吸が定まらない。そんな貴滉をさらに追い立てるように、真吏の舌が中を抉ってくる。 「ふぁ……! らめぇ……も、やらぁ」 「貴滉、可愛いよ……。もっと、いい声で啼いて」 「し、んり……の、ばかぁ……っ」 「ハァ……ゾクゾクする! もっと呼んで……。俺を求めて……くれ」  真吏が言葉を発するたびに、襞に触れたままの唇が振動し更なる快感を生む。本能でするセックスは嫌いだった。でも、真吏となら好きになれそうな――いや、貴滉の中ではもう、なくてはならない行為になっていた。  言葉では伝え切れない想いを、肌を重ね、熱を感じ、匂いとその感触で紡ぎ合う。  即物的な交わりより、心を通わせた後の方が何倍も何十倍も互いを知り合い、愛情を感じることが出来る。 「真吏……俺のこと……好き?」  熱に浮かされうわ言のように呟いた貴滉の声に弾かれるように顔を上げた真吏は、嬉しそうに口元を緩めると自身のスラックスの前を寛げた。そして、以前の比ではないくらい猛ったペニスに手を添え、その先端を貴滉の潤んだ蕾にグッと押し当てた。 「――貴滉、分かる?」 「ふぁ?」 「俺もお前が欲しくて堪らない……。ちょっとカッコつけて我慢してたけど、もう……無理だ」 「あぁ……熱いよぉ。真吏の……熱いっ」 「獣になってもいいか? お前の子宮を抉じ開けて、俺の子種をいっぱい注いでもいいか?」  大きく膨らんだ先端から溢れた蜜を、貴滉の甘い蜜と混ぜ合わせるようにクチクチと音を立てて擦りつける真吏の声がわずかに上擦っている。本能で交わることを嫌う貴滉を案じて、出来るだけそれを見せないように冷静を装っていた彼だったが、理性はもう粉々に砕け散り、欲情の限界もとうに超えていた。そこまでしても襲い掛からなかったのは、貴滉を想う心の強さだった。 「真吏……が、欲しい。俺を……あなたのモノだけに、して……」 「あぁ……。するに決まってるだろ……。誰にも触れさせない……。お前は俺だけに発情すればいいっ」  クチッと小さな音を立てて、薄い襞を割り開きながら真吏の剛直が貴滉の中へと入っていく。赤黒く変色し、張り裂けんばかりに血管が浮かんだ太い雄茎が、慎ましく、そして淫らに誘う貴滉の蕾を広げていく。 「あぁっ! お……っきぃ! 息……で、きな……っ」  克臣のものとは比べ物にならないほど、長さも質量もある硬いモノが狭い器官を押し広げて奥へ奥へと進んでくる。だが、その異物と言っても過言ではないものを嬉々として迎え入れた貴滉の中は、無数の細かな襞が蠢動し貪欲に収縮し奥へと引き摺り込もうとする。  内臓を押し上げられるような息苦しさに顎を上向けて、体に渦巻く熱を逃がそうと喘ぐ貴滉の上に重なった真吏は、酸素を送り込むべく唇を重ねた。 「やっと、一つになれた……。貴滉……もう、離れないから。死ぬまで……お前を大切に……愛し続けるから」  真吏は思いの丈をぶつけるように囁くと、貴滉の腸壁の奥に届くように自身の茎を突き込んだ。 「うあぁぁっ!――イ、イク……ッ。あ、イク、イクッ!」  最奥の壁に先端が当たった瞬間、貴滉はシーツを掴み寄せたまま体を痙攣させた。麝香の香りにも似た甘い匂いがぶわりと広がり、真吏が放つ濃厚なオスのフェロモンと交わって、寝室を淫靡で神聖な場所へと変えていく。それを吸い込んだ肺もビリビリと痺れ、頭の中が真っ白になった。  その時貴滉は気づいていた。自分で意識することなく体の中が徐々に変化していることに……。下腹部の奥にある未知の器官が真吏のペニスに刺激され、わずかな痛みを伴って動き始めていた。引き攣れるような痛みはすぐに甘美な疼きへと変わり、それまで開くことのなかった蕾がゆっくりと開いていく。その真ん中をさらに広げるように、真吏がゆったりとした動きで抽挿を始めた。繊細な襞が彼の硬い膨らみに沿って広がり、何とも言い難い快感を生んでいく。 「あぁ……あっ! んあぁ……はっ、はっ……ふぁっ」 「き……つい! 貴滉……熱いよ。お前のなか……熱くて、気持ちいいっ」 「んあ――っ。いいっ! もっと奥……に、ちょ……だい」 「ダメだ……。もう、持たない……。一回出すぞ……っ。あぁ――っぐ!」  真吏にとって久しぶりの性交であり、忘れかけていた本能が目覚めた瞬間だった。しかも、愛してやまない者と一つになれた喜びからか、絶頂は思った以上に早く訪れた。ブルリと体を震わせ、貴滉の中に放った大量の精液は彼の奥にある蕾を濡らした。その奔流の熱さに開きかけていた花弁がさらに大きく広がっていく。 「あぁ……熱い。お腹のなか……熱い」  真吏の射精と同時に、貴滉も内腿をブルブルと震わせながら射精していた。胸に飛び散った白濁を舐めとりながら少しバツの悪そうな顔で見つめた真吏。形のいい額に汗で張り付いた髪を指先で払い除けた貴滉は胸を喘がせながら言った。 「もっと……奥。まだ……足りない」  貴滉の艶のある声に煽られるように、真吏もまた強烈な色香を放つ。繋がったままの場所を指先でなぞると、ニヒルに笑う。 「これで滑りが良くなった……。入口も柔らかくなったな。もっと奥に行ける……」  一度達したにも関わらず、力が衰えることのない真吏のペニスが小さく脈打った。そして彼は、貴滉の両足を大きく広げ膝裏に手を掛けると、荒い息を繰り返しながら腰を思い切り叩きつけた。 「はぁ……んっ!」  衝撃で羽枕に栗色の髪が散った。綻んでいた入口がさらに大きなものを受け入れる。それは真吏のペニスの根元にあるこぶ状の膨らみ――亀頭球が貴滉の中に入り込んだ瞬間だった。  茎の太さの倍以上のモノを難なく受け入れた貴滉を労わるようにキスを繰り返す真吏。唇を触れ合わせたまま囁く彼の声もいくらか掠れていた。 「苦しくないか? これでもう……離れることはない。俺の子種を…全部、お前に注ぎ込む……」 「真吏……」 「お前の発情期が終わるまで……ずっと一緒だ」  貴滉は目を潤ませて真吏を見つめると、彼のシャツを握りしめて声を震わせた。 「終わったら……離れちゃう……の?」  真吏の手が頬に流れた涙を拭った。すぐ真上にある彼はなぜか、苦しそうな呼吸を繰り返し、きつく眉を寄せている。 「貴滉……」  獣が唸るような低い声に、貴滉の体がピクリと反応する。そして、シーツに手をつきながらゆらりと上体を起した真吏を見つめた。俯いたまま乱れた前髪を気怠げにかきあげた彼は、何かを吹っ切るように天井を仰ぐと、野性味の溢れる瞳を光らせて言った。 「――れるわけ、ないだろ。どんだけ俺を煽れば気が済むんだ。お前は、俺の……嫁になるんだぞっ」  咆哮にも似た声をあげ、真吏は自身が身に付けていたシャツとベストを勢いよく脱ぎ捨てると、貴滉の細い腰を掴み吐精したものの滑りを借りて、ゆるゆると腰を動かし始めた。その動きは徐々に激しく、さらに深くなっていく。  最奥にある未知の扉は開かれている。あとはそこに真吏の愛情を受け入れるだけだ。 「あぁ……っ、はげ、し……っ! 真吏……奥、奥がいいっ」 「ここか? ギュッて締め付けて、俺のチ○コを食いちぎる気か?」  抽挿を繰り返すたびに結合部から溢れる蜜と、真吏の精液がシーツを汚していく。薄い筋肉に覆われた真吏の体が本物の野獣のように大きくなっていくように見えた。肌に食い込む長い爪、自身の力を見せつけるように剥いた犬歯。トライバル・デザインのタトゥーが彫られた右腕には、克臣と揉み合った際に切りつけられたナイフの傷痕が残っていた。薄っすらと汗を滲ませた白い肌が貴滉に重ねられる。  腰を突き込みながら首筋に顔を寄せた真吏は、息を弾ませながら囁いた。 「俺の……全部を、お前にくれてやる」 「し……んり……」 「だから……。お前の全部……俺に、寄越せっ」  貴滉の顎を掴み、顔を真横に押えつけた真吏は、上気したうなじに長く伸びた犬歯を突き立てた。 「んあぁ――っ!」  その痛みは以前の比ではなかった。しかし、貴滉は彼のモノになった喜びに打ち震え、後孔に咥えたモノをきつく喰い締めながら絶頂した。  真吏の間に挟まれていたペニスからプシャッと音を立てて透明な蜜が飛び散った。ビショビショに濡れたシーツの上で、体を小刻みに痙攣させた後、ゆっくりと弛緩した。あまりの快感に頭が真っ白になり、少しの間気を失っていたような気がする。だが、すぐに彼からの執拗な攻めに脳が覚醒し体が反応した。 「可愛いよ……貴滉。その顔、誰にも見せるんじゃないぞ」  貴滉の血で赤く染まった唇に綺麗な弧を描いて笑った彼の顔は、今までに見たことがないくらい明るく生気に満ちていた。  うなじから肩に流れた血を舌で丁寧に舐めとりながら、彼も絶頂への階段を駆け上がっていく。貴滉の最奥でさらに質量を増した雄茎がドクドクと脈打った。パンパンと肌がぶつかるたびに破裂音を鳴らし、結合部の薄い襞が捲れあがるほど抽挿が早くなっていく。 「出すぞ……」 「ちょ……だい。真吏の……いっぱい、お腹の中に……出してっ」 「イク……イクぞ――っ。俺の愛を……全部、受け取れっ」 「また、イッちゃう……イク、イク……ッ。う……っひ――あぁっ!」  ドクン……ドクドクッ……。  最奥にある蕾が、彼の灼熱の奔流を受け入れるかのように開いていく。番となった相手への射精は長く続く。受精率が低い狼が子孫を確実に残すためだと言われている。彼の逞しい雄茎が体内で激しく脈打ちながら大量の精液を注ぎ込むのを感じ、貴滉は何度も絶頂を繰り返した。 「何度言っても足りない。これからもずっと……愛してやる」  薄れゆく意識の中で、繰り返し耳元で囁かれる愛の言葉。その甘く低い声音にうっとりと口元を綻ばせながら、貴滉は深い眠りに落ちていった。  *****  灼熱の炎に焼かれるほどの火照りが嘘のように消えていた。糊のきいた冷えたシーツに身を震わせながら目を覚ました貴滉は、自分の体を抱き枕のようにして眠る真吏の姿に驚きつつも、その愛らしい寝顔に口元を綻ばせた。  二人の汗や大量に撒き散らした体液はどこにも見当たらない。肌に触れるシーツも新しく、体もさっぱりしていた。  彼を起こさないように腕から抜け出そうとするが、がっしりとホールドされた体は動かない。そっと二の腕を持ち上げた時、黒一色で彫られたトライバルタトゥーを切り裂くように残るナイフの傷痕を目にして息を呑んだ。  部族を意味するトライバルタトゥーはおしゃれの一つとして若者に人気のデザインだが、元来信仰のための装飾だ。それは社会的地位や、既婚を意味する。真吏がどうしてこのデザインを選んだのか分からないが、彼なりの拘りがあったに違いない。  引き攣れた傷痕をそっと指でなぞると、あの時の恐怖が蘇り体が震え出す。危険をおかしてまで克臣から守ってくれた真吏には感謝しかない。もし、彼らが助けに来てくれなかったら、貴滉はその生涯を終えていたかもしれないのだ。  そう思うと、その傷痕が愛おしくて仕方ない。真吏が眠っているのを確認すると、傷に唇を寄せて何度か啄んだ。  好きだから、あえて離れようとしていた。でも、今は離れたいとは思わない。好きだから――愛しているからそばにいる。それが必然なんだと気付く。 「真吏さん……」 「――まだ、足りなかったか?」 「えっ!」  掠れた低い声にビクッと体を震わせて、慌てて腕から顔を離した貴滉だったが、すぐそばで薄らと目を開けてこちらを見ていた真吏と目が合ってしまい羞恥に俯いた。  彼は眩しそうに貴滉を見つめ、頬に手を添えて引き寄せると唇を重ねた。 「あの……ごめんなさい。起こしちゃったみたいですね」 「なに、そのよそよそしい感じ。俺たち、もう夫夫なんだぜ?」 「え……あの。俺、あんまり覚えてないんだけど……」 「初めてじゃなくてもΩの発情期は自我を失う。そんだけ、俺を求めてくれたってことなんだけどな」  嬉しそうに笑いながら貴滉の腰を引き寄せて自分の体に密着させた真吏は、うなじの唇を押し当てながら言った。 「俺の番……。生涯守り、生涯愛する……絶対に離れられない運命のひと」 「真吏さん……」 「――三日間。一般的なΩ性にしては発情期間が短いな。初めてだったからか……」  その言葉に貴滉は大きく目を見開いたまま体を強張らせた。三日間も、自我を失い狂ったように真吏を求めていた――。その事実を知り、唖然とする事しか出来なかった。  しかし真吏は、別段驚くでもなく「増田医師に報告した方がいいな」と真剣な顔で呟いている。 「ちょッ! ちょっと待って! 増田先生に言うって……そんな恥ずかしいことっ」  焦った貴滉は真吏の手を払いのけて飛び起きると、前のめりになって彼を責めるように見据えた。 「恥ずかしい? 初めて発情期を迎えたんだ。主治医に報告するのは当たり前のことだろ? お前の体のこともあるし……」  真吏はいたって真面目な顔で貴滉を諭す。貴滉は、確かに一般的なΩ性とは異なっている。でも、発情期を迎えただけで秘め事までも医師に報告する必要があるのかと困惑していると、真吏は優しく微笑みながら貴滉の頭を撫でた。 「お前はもう『出来損ない』じゃないんだよ。それに、一人の体じゃない……」  体を起こした彼は、貴滉を後ろから抱きしめると再びうなじに顔を埋めながら下腹を撫でた。そこは不自然にポッコリと膨らんでいる。そのことに初めて気が付いた貴滉は息を呑んだまま、自身の腹部をまじまじと見つめた。 「俺……妊娠、したの?」  早すぎる展開に頭がついていかず、心の声が漏れてしまった。それを聞いた真吏は堪らないというように肩を揺らして笑い出した。そして、掌で少しだけ力を入れて押した時、後孔からトロリと何かが溢れるのを感じて、貴滉は緊張と羞恥に身を強張らせた。 「あ……っ」  シーツに糸を引いて落ちた白濁……。それは三日間、真吏が貴滉の中に注いだ精液だった。 「――そうだったら嬉しいな。初めての発情で妊娠する確率は少ないと聞く。ホルモンが安定しないと、いくら注いでも着床しない。それには夫である俺も努力しなきゃいけない……」 「努力って……。真吏さんが?」 「もちろん、お前だけってわけにはいかないだろ? 俺だってブランクあったし……。もっともっと頑張って経済的にも安心させたいし、何よりお前を愛さないと!――このタトゥーを彫った理由……両親への反発ってのが一番なんだけど、自分がα性だってことを誇示したかっただけなんだ。イキがって、これがあれば最強になれるような気がして……。でも、アイツに傷つけられて今は良かったと思ってる。つまらないプライドを捨てて、心からお前を守りたいって思った。こんなものなくても強くなれるし、αであることには違いないって分かったから。ちゃ~んと『運命の相手』には発情できたしなっ」  生まれたままの姿で、最愛の人と肌を密着させることがこんなにも心地良く、嬉しいものだと初めて知った。  真吏の指先が、溢れた精液で潤んだ蕾に触れる。発情期のなごりか……ジンと腰の奥が甘く痺れ、無意識に吐息交じりの喘ぎ声が漏れた。 「あぁ……っ」 「その声、堪らないな……。俺以外には発情しないとはいえ、他の男を誘惑することは許さないからな」 「しないよ……っ」 「そうは言うが、お前……無自覚すぎるんだよ。なあ、貴滉――」  不意に言葉を切った真吏は、貴滉を強く抱きしめると耳朶を甘噛みしながら言った。 「――愛し合いながら、ゆっくり恋をやり直そう。あっという間に過ぎてく恋じゃ、俺たちが出逢った意味がない」 「うん……」  貴滉は肩越しに振り返り、腕を捩じって彼の頭を引寄せると唇を重ねた。どちらからともなく絡めた舌がクチュリと小さな音を立てた。満足げに目を細めた真吏は、唇を触れ合わせたまま囁いた。 「俺に稲月の姓を名乗ることを許してくれないか?」 「え?」 「もう漆原家とは関係ない。お前と新しい家庭を作りたい……」  真摯な彼の申し出に貴滉は涙を溢れさせた。α性であった父親の死によって一族からは絶縁されたが、母親のたっての希望でこの姓を名乗ることだけは許された。天涯孤独だった貴滉にとって、家族が出来る喜びに涙を止めることが出来なかった。 「それって悲しい涙? それとも――」 「嬉し涙に決まってるだろっ」  貴滉は真吏の頬を指でキュッと摘まむと、泣きながら笑った。それにつられて真吏も笑った。  心が満たされる……。こんな時間が、これからずっと続いていくと思うだけで胸が弾んだ。 「真吏さんに……逢えてよかった」  第二の性が持つ本能で惹かれ合ったわけじゃない。いや、結果的には本能が引寄せたのかもしれない。  でも――二人は恋をした。長くて苦しい時間を共有しながら、少しずつ距離を縮め、時に離れた。  互いが失ったものを取り戻した時、心が……想いが重なった。  今なら素直に言える。声を大にして言える。 『この人が運命の番です!』――と。

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