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第4話 ①

 マルシャルにこの汚れた感情を告白しようと、何度思ったことだろう。だが彼は、なかなか学園に姿を現さなかった。多くて週の半分。酷いときは10日近く顔を見せることなく、時間は過ぎていく。  にも関わらず、彼の気配がこの学園から消えることは決してなかった。まるで見守られているかの如く、尼僧と助祭達はだらけることなく日々の勤めを果たしている。生徒達は毎朝毎夜、天の父に感謝を捧げるよう要求された。  勿論、ヨシュアの生活にも彼の存在はきっちりと据え付けられていた。広大な敷地の木々を剪定したり、自らに与えられた小さな小屋を初めとする様々な修繕作業をこなしたり。焼却炉の前に立つこともあったし、時には小さな三輪トラックを駆って町へ買い出しに出かけることも。  そしてその中には、滅多に用いられることのない神父の黒いBMW・E3を磨く仕事も、多くはない頻度だが含まれていた。  普段神父が運転手付きで乗り付けるのは古びたベンツで、車がいつ用いられるのかは興味が湧くところだった。けれどこの仕事を言いつける時、ノイマイヤーが余りにも素っ気ない表情を浮かべていたので、何となく口にするのをはばかられた。そうでなくともヨシュアは、年輩の女性を前にすると、どうにも萎縮してしまうのだ。  何はともあれ、命じられた仕事は力の及ぶ限りこなす所存だった。正式にこの場所で雇われることが決まったのだから尚のこと――全く人間なんてものは、俗世の欲からはどうやっても逃れられないものだ。例えささやかな賃金であっても、無償の奉仕と称して、パン屑を漁る雀みたいに仕事を拾い歩くよりは、自尊心を多少なりとも潤してくれる。  母屋の背後へ連なる、ブナとマツが大半を占める林へ寄り添うようにして建てられた木造の車庫は、次に嵐が訪れた暁に為す術なくひっくり返ってしまいそうだった。好奇心旺盛にあちこちを飛び回る子供達にとっての盲点とも言える、閑静な場所。重なり合う木陰は、夏の終わりの風が隠し持つ涼へ拍車をかける。もう幾らもしないうちに、シャツ一枚だと肌寒さを覚えるようになるだろう  無数のささくれと虫食いに冒された二枚扉を開き、引き出した美しい車と戯れる時間を、ヨシュアは嫌っていなかった。あの奇矯な寺男が人知れず去り、小屋を引き渡されて以来、確かに孤独の時間は増えている。彼の望む、誰をも傷つけずに済む内省の時間が。  けれど隙間風ですら攪拌できない、蒸れた熱気に支配された暗闇の中で考え込んでいると、様々な声が記憶の底から蘇ってきた。大抵はここへやってくるまでに投げかけられた非難だが、近頃はその中に、あの神父の、散漫とまでは言わないが、えらくのんきそうな口調が楔として打ち込まれる。 『独り顔を伏せ、自らを責め続けては、見える光も見えはしない』  ここではまともな人間として生活を送ろうと決意した。すなわち、人々にまともであると認めて欲しかった。  痛みの感覚は、四六時中責め苛まれることで無かったことにされる。傷つけたことは勿論、傷つけられたことも。この恥じる為に付けられた肉体的欠陥がある限り、自らは罪を背負い続けていることになる。或いは背負っていることに、安堵を覚えていられる。  認める必要がある。罪の黒いインクが一滴でもしたたり落ちれば、二度と潔白にはなれないと。  それでもなお、人の波に身を投じねばならないのだ。生活が苦行から、安らぎへ変わる日まで。  集う子羊の群へと、一歩でも足を踏み出す勇気は、まだ持てない。情けないことに。  耳へ入るものといえば流れるような葉ずれの音ばかり、学校の喧噪は遠い。ヨシュアは取りこぼしが無いか確認するため、車の周りをゆっくりと一巡した。  毎日水と洗剤で泡まみれにし、ワックスを掛ける必要はない。大抵は羽箒でちりを払い、セーム皮で窓や気になる汚れを磨いてやる。  まともに使える用具を探し出すのは大変だった。車庫の中のペール缶へ突っ込まれていた布はどれも薄汚れていたし、数本の箒と言えば羽がちびていたり、酷いものになると真っ白になるほど幾重にも巻く蜘蛛の巣の餌食となっていた。ギュンターがこの仕事へどれほどの熱意を持って取り組んでいたか、説明されずとも察することができる。  彼がぴかぴかに磨き上げた車は、聖職者が乗り回すにしては少し洒落ているように思えなくもない。これに乗り込んで、何不自由ない子連れの家族が、週末の郊外へ憩いに行く姿を容易に想像できる。或いは、あらゆる面において豊かで元気のいい、人生の中の夏を謳歌する若者が、気心の知れた仲間と共に乗り込んで行楽へ向かう姿。ヨシュアには全く縁の無かった生活。これまでだけではなく、これからも、きっと。  神父はどうだろう。少し考えてみたヨシュアは、これの持ち主の私生活を全く思い浮かべることが出来ないことに気がついた。  顔を合わせる機会が少ないとの理由だけではごまかせない。マルシャルは整った顔立ちと朗らかな性格、諧謔を弄することが出来る程度の知性と柔軟さを持ち合わせ、人に慕われている男だ。けれど彼はどこまでも神の僕。汗の浮くTシャツやごわついたデニムを身につけている姿など考えられない。  それともこれは単に、彼へそうあって欲しいと言う自らの願望が、想像力の翼を阻んでいるのだろうか。  羽箒を片手に後部座席の扉へ上半身を潜り込ませ、車内のあらゆる場所へ羽根を滑らせる。空いている方の手のひらを座面につきながら、ふとヨシュアは、神父が普段、後部座席のどの場所へ腰を下ろしているか、記憶を巡らせた。  確か彼は真ん中。それか運転手の真後ろから離れ、後部座席の右端へどっかりと身を置いているか。  一度想像力に火がつくと、まずやってきたのは好奇心や衝動でなく、畏れだった。一瞬、神父が纏う蝋燭と、ひげ剃り用化粧水の芳香が鼻をぷんと叩く錯覚。あの人はいつでも、身だしなみをとてもよく整えている。華美と言われる一歩手前まで。  そんな彼がにっこり笑いながら、手を差し伸べてきたような気がして、思わず勢いよく身を後ずらせる。いや、今の笑みは例えるならば何と表現すればいい?  馬鹿げた妄想だ。結局すぐさま身を戻しざま、ヨシュアは最後の仕上げとばかりに、キャラメル色をした座面へ箒を当てた。特に彼が身を落ち着けそうな場所は、何度も念入りに。  もしも次に彼がここへやってきた時は――恐らく週末のミサは本人が執り行うだろうと尼僧達は口の端に上らせていた――これに乗ればいいのにと思う。確かに聖職者には不相応な車かもしれない。だが彼は、並の人物ではなかった。既存の枠に収まる事を良しとしない、反逆者だ。ほんの短い邂逅の機会しか与えられていないヨシュアにも、それは理解できた。  もしも彼の出す指示へ従い、この車を運転することが出来たならば、どこへ向かわされるだろう。  ふんわりした羽毛を握りしめるような夢想。気付けば引きちぎらんばかりの勢いだった箒を乱暴にペール缶へ戻し、ヨシュアは口の中で自らを罵る言葉を噛んだ。禄に汚れてもいない水で満たされたバケツを地面から持ち上げる。  車庫を建設した人間は、何も考えていなかったのだろうか。前後に扉のついた吹き抜け形式の構造でも無いのに、水道は建物の裏手に付けられていた。車庫内に放り込まれていたホースは、触れれば指へ粘りつくほどゴムが劣化して全く使い物にならない。購入をノイマイヤーに報告せねばと思っているのだが、毎回言いそびれてしまう。  地面へ叩きつけるようにして水を撒き、手を洗おうとしたところで、ふと目を上げる。違和感と呼ぶに、それは余りにも自然に景観へ溶け込んでいた。  荷台付きの黒い自転車が、とりわけ若く、よく繁ったブナの木に立てかけてある。生徒用にと寄付された数台の内の一台だろうか。彼らは子供らしく、一度使ったものを片付けずに放り出しておくことがままある。  運んでおこうと足を向けた時には、完全にその仮説を信じ込んでいた。だから鼓膜を突き刺す、シッと鋭い息の音を耳にして、飛び上がりそうになる。  

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