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※ 第4話 ②

 薄暗い森へ少し入り込んだところに、近い内に処分する予定の間伐材や切り倒された木が積み上げられている。突き出され、ひらひらと振られる掌は、さながらそのうずたかいごつごつした小山に、小さな楓の葉が舞い降りてきたかのようだった。  ヨシュアが近付けば、その手は途端に屈むことを命じる乱暴な身振りに変わる。到達した彼の腕を、レヴィは見かけから想像できるより遙かに力強い動きで引っ張った。 「ぼおっとしてんなよ、見つかっちゃう」 「静かに」  年季の入ったツァイスの十倍率双眼鏡へ目を当てていたミロが、鋭く叱責する。 「君達は……」  言いきるまでもない。指し示すレヴィの親指が、事の次第を飲み込めていないまま膝を抱えたヨシュアに説明を与える。  目をつぼめて眺めずとも、見逃しようがなかった。植樹されてからはある程度の時期まで、間違いなく丁寧な手入れが施されていたと分かる、幾何学的な間隔で植え込まれたブナの一本へ覆い被さる人の姿。鉛筆ほどの大きさにしか見えないほどの距離でも、その人物が身につけている赤いシャツは閃光弾のように視界へ飛び込んできた。  固く締まった腰から続く、しなやかで広い背中は、するりと回される白い手の愛撫で魚よりもくねる――白く見えたが、恐らくはもっと健康的な褐色の肌の持ち主だ。天を突く鬱蒼とした木々は、どれもこれも枝々を力強く伸ばし、暖かい日の光を地上に寄越しはしない。  ヨシュアが情景へ食い入るのを見計らっていたように、湿った土の匂いを伴うそよ風が、あえかな声をこちらへ届ける。聖歌隊の少年が出すものを思わせる、無防備な高さ。そこへ含まれる艶の滴りが、自らの偏執な心根による思い込みだと、ヨシュアはどうしても信じたかった。  弱々しい願いを、セバスチアンは簡単に嘲笑する。相手にする男の肩へ顎を乗せざま、彼は真顔を一瞬にして笑みに塗り替えた。確かにそう見えたのだ。咄嗟にヨシュアは、頭を膝の間へ埋めるようにして引っ込めた。 「気付かれたか」 「まさか。この距離だぜ」  ミロへ早口に言い返すレヴィの顔色は、鼻先へ浮かぶ雀斑が泥跳ねに見えるほど青白い。 「大体あいつ、見物されてても気にしないよ……もっと近くへ行こう。良く見えるところ知ってるんだ」 「いや、僕はここでいい」 「じゃあ勝手にすれば、馬鹿」  平坦な言葉付きで返すミロへ向けられていた眼差しが、自らへ投げかけられた時の恐ろしさと言ったら。自らの半分程しか生きていない人間に顎で促され、けれどヨシュアは逆らうことが出来なかった。 「ミロの奴、あそこでさ。一人でせんずりをこくんだ」  ひんやりと柔らかい地面を踏みしだきながら、林のより深い場所を中腰で進む。すっかり黒土に汚れたジーンズの尻へ、汗ばんだ掌を擦り付けながら、レヴィは唇を突き出した。 「普段あんなスカした顔してるけど、あいつ、一日に何回マスを掻いてると思う? まるで猿さ。授業中にも服の上からあそこをいじって、夜だって、毎晩毎晩ベッドをギシギシ、とても眠れない。ちぇっ、元プラハのお貴族様が聞いて呆れるよ!」 「彼は、よくこう言うことをしてる?」 「彼?」  怪訝そうに眉間へ皺を寄せての思案には、多少の時間が要される。 「ああ、セブのことだね。卵売りのウーヴェが来た時は、割とよくやってるかな」  教えられてぱっと記憶に蘇ったのは、厨房の裏口に立てかけられた黒い自転車。軽やかな身のこなしでサドルを跨ぐや否や、少年はペダルを力強く漕ぎ出し、風采の上がらない自らの傍らをすうっとすれ違う。一陣の爽やかな風。  ノイマイヤーの言だと「あの子は戦車に潰されて足が利かない父親を支えて、懸命に家の手伝いをしながら専門大学を目指しているんですよ。彼らに差し伸べないなら、一体他の誰へ手を差し伸べるんです?」 「彼って、かっこいいと思わない? 『荒野の七人』の頃のホルスト・ブッフホルツに似てるよ」  機敏に腕で払った張り出す木の枝を、ついでに上へ押し避けてやりながら、レヴィはヨシュアの顔をまじまじと見つめた。「あんたも悪くないね。ちょっとばかりはさ」それから、その言葉がとんでもない失言であったと言わんばかりに、わざとらしい顰め面を作る。 「でも、いくら顔が良くたって、男と寝たいなんて思わないけどね。他人のちんぽこを触るなんて、僕なら絶対嫌だ」    彼が案内した場所には、かつて一抱えはある木が聳え立っていたのだろう。立ち枯れしたのか、今では風化し、根の半分露出した切り株の傍らに、土砂が流出した後のくぼみが生まれている。  ひんやりした土の上へ腹這いになると、ヨシュアはレヴィと共に、絡みもつれる太い根の隙間から、情事の様子を文字通り覗き見た。  今ではもう、二人の表情もはっきり見える。せっかちなセバスチアンは、相手のジーンズの前立てへ手を伸ばしていた。掴み出されたペニスの大きさに、ヨシュアはひっと声を飲み、レヴィはすっかり面白がっている。 「すごいだろ、ヘアスプレーの缶位はある!」  それは軽く数度扱かれただけで、凶暴なほどの固さにまで勃起する。両手に余るそれをいじくりながら、セバスチアンは軽く顎を持ち上げ、自らのものよりほほんの僅かに高い位置へある唇に、自らの唇で触れる。まるで挨拶をしているかのような気軽さで、何度も、何度も。  目も眩まんばかりの若々しさと性的情熱を発散する、端整な顔立ちに同じく笑みを浮かべ、相手の少年も応えた。セバスチアンの身につけるポロシャツの裾から潜り込んだ手が、一体どんな動きをしているかは分からない。彼の掌が滑り、爪先が掻く、その一つ一つの動きに、セバスチアンは悶えた。肌が指へ吸い付いてしまったかの如く、微かに、だが休むことなく身がくねる。薄く開かれるぽってりした唇から、短くこぼれる熱い吐息は止めどない。 「ほんと、娼婦そこのけだ……あれこそ、血筋って奴じゃないかな」  肘で腕をつつかれ、堅い動きで顔を振り向けたヨシュアに、レヴィは身の丈に合わない不良の仕草で、口角をつり上げた。 「あいつは嘘つきだから、話なんか信じちゃ駄目だよ。あいつの母さんは、ベルリンでアメリカ兵の愛人だったって。で、捨てられて酒浸りになった母さんに厄介払いされて、ここへ放り込まれたんだ。父さんが迎えにくるって、あいつはいつも言ってるけど」  残りを侮辱的な溜息に変えた後、レヴィは仰向けになり、自らのデニムの真鍮ボタンへ指をかけた。  まだ頭が出来事に追いつかない。息の上擦りを押さえ込むため、ヨシュアは片手で口元を強く覆った。これ以上の見物はよして、この場から立ち去るという選択肢を知っていたのに、地面へ投げ出された脚は棒きれへ変わってしまったかのように動かない。  あの少年が奔放であることは知っていた。もうとっくに、肉欲を愉しんでいるものだと。だが現実に目の前で繰り広げられると、事実は稲妻のように身を貫く。    ヨシュアが窺い知ることの出来ない愛技で、セバスチアンは高められていた。ぜいぜいと肩を揺らしながら、固い鱗じみた樹皮を持つ幹へ背中を押しつける。それでも紅潮しきった頬と裏腹、向き合う存在を睨み上げる目はどこまでも挑発的だった。  少年は笑って、ぐっと腰を押しつけた。大人そのものの醜悪なペニスと、形は成熟しているが、綺麗な肉色をしたセバスチアンのペニスがすれ違う。  再び深まる口付けの間、少年の腕は相手の腰を固く抱き止め続けた。セバスチアンの両手は、相手の胸から肩、そして背中へと往復を続け、くまなくその逞しい上半身を撫で回す。まるで相手が心底愛しいと言わんばかりだった。    二人は恋人同士なのだと、誰もが定義するだろう。今になって、理解が一条の光と化して脳へ差し込む。    いっそ無邪気に聞こえる唾液の絡む音の合間、唇が束の間離れる時、セバスチアンの顔つきは陶酔以外の何物をも含んでいない。純化し過ぎ、いっそ無感動に思える程だ。これが利己的な願望でしかないと何度心の中で唱えても、凝視する先で痙攣じみた震えを見せる睫毛と、その奥で乾いたブランデー色の瞳に、惑わされる。  唾液が銀の糸と化し舌と舌を繋ぐほどの粘性を帯びた頃、少年は不意にキスを交わしていた相手の後頭部へ手を回した。髪を鷲掴んで、天を向くほど思い切り顎を仰け反らせると、噛みつくように一言、二言と叩きつける。折り悪く天上を疾った風により、荒ぶる木々のざわめきは、声を掻き消してしまう。それとも余りにも下品で、この場所では本来絶対許されないほど冒涜的な口走りに、自然すら怖気をふるったのかもしれない。  何にせよ、セバスチアンは笑った。相手の濡れた唇へぶつけるようにして。緩んだ眦へ、ふつふつと湧いた汗が流れ込む。彼が汗かきであることを、ここへ来て一ヶ月ほどの観察で知っていた。 「ああ、やばい。セブの奴……」  隙間の出来た履き口から差し入れた手は、熱心に動かされている。レヴィはうっとりと呟いた。 「ずるい……くそっ、ずるいよ、羨ましい……ん、僕もウーヴェにキスしてほしい……」  もはやおかずは必要のない次元に到達している。時折熱く乾いた唇を舌で舐めながら、マスターベーションは激しさを増す。閉じた瞼を震わせ、子犬のように鳴らされる鼻の切なげな響きが、目の前から聞こえるくすぐったげな嬌声と絡み合って、清廉な空気を汚した。  少年は最初、どっしりした木へ相手を押しつけ、背後から挑みかかろうとした。だがセバスチアンは、肩胛骨を幹へ押しつけたまま、履いていたジーンズを下着ごと下ろした。しなやかな片脚を少年の腰へ巻き付け、軽く顎で促す。引き寄せられた少年の両手が、剥き出しの尻を下から抱え上げた。いっそ恭しさすら感じさせる手つきも納得できるほど、日に焼けない尻は小さい。  肉塊は、注意深く押し込まれた。あんなものが人間の身体へ入るのかとの戦慄きは、杞憂に終わる。少年が少し腰を進ませるたび、セバスチアンは後頭部を幹へ擦り付け、譫言の調子を上げる。膜が張ったようなヨシュアの耳の奥で、その声は際限なく反響する。 「ああっ……最高だ……でかくて、きもちいいのが、はいってくる……」  欲しいんだろ、この淫乱。少年の囁きに嬲る色が加わるほど、興奮は増すようだった。 「っ……ほしい」  そう何度も頷いては、肩に爪を立てて、更に煽り立てる 「はやく、もっと、もっと来いよ、もっと、たくさん、ほしいんだ、ほしい、ほしい……!」  濃い陰毛が汗ばむ肌へ触れる段になると、もう鉤に掛けられた肉ほど為す術がなくなる。セバスチアンが荒い息と共に、うっすらと割れた腹筋を上下させるたび、ペニスを納める場所も収縮を繰り返すのだろう。美しく猛々しい少年は、獣さながら剥き出しにした歯を固く食い縛った。こめかみからぽたぽたと滴り落ちた汗が、まだ子供の柔らかい残り香を微かに保つセバスチアンの肌を濡らす。  おやすみのキスをせがむ幼い不安を湛え、軽く瞼を引き下ろしたまま唇を探すセバスチアンを、少年は焦らし続ける。口付けを涙ぐんだ眦、鼻先、口角へ与えたかと思えば、真っ赤に火照った耳に何事か吹き込む。  やはり内容は聞き取ることが出来なかったが、恍惚を醒めさせるには十分なものであったことは間違いがない。目が見開かれ、ゆるゆると項を撫で回していた手に力がこもる。憎悪すら滲ませながら、セバスチアンは一度、少年の首に歯を立てた。  見計らっていたように、尻を支えていた手の力が緩められた。臍を裏から突き破る勢いで腹の奥深くへ入り込まれ、悲鳴じみた声が上がる。  そこから先は、ただ二つの身体が絡み合うばかりだった。少年の力強い腰の動きは、止まることを知らない。嵐の中の小舟程も翻弄されそうになるのを、セバスチアンは爪先立った片足だけで辛うじて踏みとどまった。襟ぐりが伸びることなどお構いなしで、先ほど歯形を付けた相手の肩の付け根へ吸い付く。 「っ、ぅん、あぁ、セブ、ずるい……」  行為が熱を帯びるにつれ、野次馬の喝采にも熱が入る。レヴィはデニムで押さえつけることの出来なくなったペニスを解放し、両手で懸命に擦り立てた。 「ウーヴェ、すき、だいすき、ウーヴェ、ウーヴェ、ぼくを見て……彼みたいな兄さんがいれば……抱きしめてもらえたら、とっても素敵なのに……」  先走りが白濁するにつれ、ぬちぬちと粘っこい音が大きくなる。もっとも、すっかり自らの熱を追うことに夢中の二人には聞こえることなどないだろうが。  自らを征服する男の腕に抱かれ、法悦に上り詰めたがるセバスチアンの姿をどれだけ目に焼き付けたところで、ヨシュアは官能を得ることが出来なかった。頭の片隅が機能不全を起こしている。このまま一生壊れたままでいて欲しい。いざ正気に戻り、感情がどっと思考回路へ流れ出したら、きっと耐えられない。  少年の若さが先走る、勢いのまま叩きつけ、ときにぐちゃぐちゃと抉る動き。セバスチアンが刻む眉間の皺は、快感によるものなのか、それとも苦痛によるものなのか。押し上げられる腸に連動して肺から漏れる空気が、声帯を震わせて作る切羽詰まった喘ぎの連なりに、拒絶の色を読み取ってしまう。  駄目だ、そんなことをしてはいけない。そう割って入って、彼を引き離してしまいたかった。大人の権限を利用して。卑怯だ、姑息だ、野暮だと罵られても構わない。彼をこれ以上痛めつけたくはなかった。  押さえていた指が掠める、彼の接吻によって蕾を膨らませた唇。彼のものになってしまうかもしれないと、あの時ヨシュアは絶望を抱いた。  自らが力及ばず、地獄へ堕ちるのは構わない。だがそこに道連れが欲しいと思わなかった。思ってはいけないのだ、決して。  セバスチアンは稚い残酷さで、確信を持ちながら、ヨシュアの願いと努力を何度でも踏みにじろうとするだろう。そして罪から罪へと飛び回る足は、軽やかではければならない。  最期の時を迎えるとき、自らのペニスを強く掴む手とは反対の腕で、セバスチアンは男の身体へ固く縋りついた。溢れる涙が放心の容貌を溺れさせる。ついで与えられた、身の内への勢いある射精に、肩がびくびくと揺れた。 「ああっ……!!」  競うようにして、隣のレヴィも埒を明けた。微かに漂っていた青臭さがどっと増して、襲いかかる。目眩にその場へ突っ伏しないよう、ヨシュアはかさついた木の根を強く握りしめることで耐えた。  せわしない子供は、余韻なぞに耽らない。繋がったままがくがくと膝を笑わせるセバスチアンの腰を掴むと、少年は自らの性器を引き抜いた。ペニスに劣らず巨大な睾丸は、さぞや大量の精子を放ったのだろう。すぐさま震える内腿は、幾重もの白い濁液に伝い覆われる。こぽりと新たな流れへ上書きされるたび、セバスチアンは全身を跳ねさせながら、満足げな微笑みを深めた。  もしもあの表情が偽りでなく、本心からのものであるならば、自らは彼を満足させてやることが出来ない。有無を言わさず、ヨシュアは突きつけられた。  少年は驚異的な手早さで身繕いを済ませ、仕上げにファスナーを上げざま、見つめるセバスチアンへ向き直った。柔らかく、そして倦んだ喋り口は、はあはあと乱れたレヴィの息遣いをかき分けて鮮明に届く。 「あそこの楽器屋、ギターなんか置いてないぜ。トロンボーンとか、お高くとまった奴ばっかり」 「俺が弾くんじゃねえよ……かっぱらって売り飛ばすんだから」  運動靴の中、踵までずり落ちていた靴下を手探りで引っ張り上げながら、セバスチアンは嘯いた。 「3つ向こうの駅で売るんだ。お前が売りに行ってくれたら、代金の半分、分けてやってもいい」  少年が出したのは「あー」と間延びした感嘆符だったが、踵を返しざま振られる首が、答えを知らしめる。  一人取り残されたセバスチアンは、しばらくぼんやりと木に寄りかかっていた。横顔は虚ろだった。恐らくは疲労によって。執拗に繰り返された接吻で充血した唇は、未だうっすらと開かれたままでいる。だがそこは、もしまた触れたり、差し込む何かが見つかれば、すぐにでも飲み込んでしまいそうに見えた。  一人前の男と呼ばれるには、欲しい物を他人へねだらず、自分で見つけ出さねばならない。地面に落ちたジーンズのポケットをまさぐり、取り出されたのは赤いパッケージとライターだった。  夏の終わりの緑が纏う清々しさが、香ばしい刻み葉の臭気に飲み込まれる。アメリカのカウボーイ、男の中の男が吸う煙草を、セバスチアンは実にまずそうな顔で呑んだ。性交の後に一服だなんて。彼がそれを、自分をも含めてペテンに掛けるための虚勢として行っているのか、心底欲しているのかは分からない。分かりたいとヨシュアは思わなかった。立ち塞がる紫煙は、若さを含めてセバスチアンが持つ魅力を全て奪い取り、乾いた味気ない物へと変えてしまう。  結局彼は、鼻先が焦げそうになるまで粘って毒を吸い続けた。赤い炎を運動靴の踵で踏み消した後も、表情はけぶったまま、ついぞ覇気を取り戻すことはない。  足下で蟠っていた下着を丸めジーンズに押し込む慣れた手つきも、乱暴に脱ぎ捨てられたポロシャツのぐっしょりとした汚れも、詰め物で不格好に膨らんだ尻をぎこちなく揺すってその場を離れる背中も、ヨシュアはあまたず見届けた。目を背けたいと強く思っていたのに、結局叶わなかった。言葉は喉が塞がっているから掛けられないのではない。そもそも掛けてはいけないものだ。  出歯亀の葛藤など知る由もなく、声なき声を素知らぬ顔で押しのける、小枝を踏み折り、落ち葉を蹴り避ける力ない足音。それは当人の姿が見えなくなっても、ヨシュアの耳の奥底にねばりついてなかなか消えてくれなかった。 「なんだ、マス掻かなかったの」  二の腕を強く突く指が湿っているのは、汗なのか、それとも拭き取りきれなかった精液の残滓が残っているのだろうか。すっかり満ち足りた風で、レヴィは言った。 「あんなすごいのに、もったいない……それとも、あんたの趣味じゃなかった?」  硬直し、指先まで冷え切った身は、懐っこく押しつけくる肩を拒絶できない。まるで同級生に話しかける慣れ慣れしさへは、自らの優位を悟った故の余裕も含まれている。 「なっ、嘘なんだろ。子供に手を出して捕まったって。その罰で、タマを切り落とされたとかセブは馬鹿言ってたけど、まさかね。何の病気、梅毒とか?」 「嘘じゃない」  からからに干からびた舌で言い繕いは出来ない。ヨシュアは素直に頷いた。 「3年の刑期を、手術と引き替えで半分に短縮してもらったんだ」  抑揚も失せた声でそう答えれば、飛び退くようにして身体が離される。唾を吐かれなかっただけ僥倖と言うべきだろうか。立ち上がったレヴィの見せる極めつけの軽蔑を鑑みれば、そうされても全くおかしくはなかったのに。 「まさかマジだったなんて……最低だな。気持ち悪い」  足早に去る姿を後目に、ヨシュアは顔を伏せた。汚れることの無かった両手を組み、心の中で唱えたのは、神への祈りの言葉だ。自らではない者の為に。性欲以外の事柄の為に。彼がそんな行いをするのは、久しく、本当に久しく無いことだったのだ。

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