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※ 第7話 ②
胸騒ぎは辛うじて表に出さずにいられたが、その分いつまでも心の片隅へ居座り続ける。
夜の祈りを済ませ、シーツの中へ潜り込んでも、なお。何度も寝返りを打ちながら、ヨシュアは重苦しさから逃げ出すことが出来なかった。
今日はあれから一度も母家へ足を運ばなかった。一体何がどうなったのか。詮索を重ねるのは良くない、好奇心は猫を殺す。己に課された責務を、粛々とこなしていればいいのだ。そうすればいつか、高みへ辿り付くことが出来る。夢にまで見た、まともな存在へと。
そう、自らはここのところ、随分と成長したのではないか。誰の目をもまっすぐ見て交わす、何気ない会話。危機を前にした時の、大人らしい的確な対応。「あなたは自らが子供だから、子供を相手にしたがるのですよ。そのことを自覚していますか?」澄まし顔の精神科医がする説教を思い出す。彼は何も解決してくれなかった。救ってくれたのは、マルシャル神父だけだった。
そう言えば彼は今日、港湾での炊き出しが終わった後に学園へ来て、明日中留まると聞いている。停められていたベンツは、相変わらず掃除が甘く、泥除けは汚れていたし、漆黒の車体は薄く埃の痕があった。
明日、自分が磨いておこうか。いや、あの車は明後日迎えに来るまで、町へと帰ってしまっている。残念なことをした。自らならば、神父の乗る車を常に綺麗に保っておくのに。そうされることが、彼にはふさわしいのだ。何と言ったって、この地域でありとあらゆる施設を統べ、誰もに尊敬される立派な方なのだから。
つれづれとした連想を心地よく漂うことで、ようやく目を閉じていることが苦痛ではなくなってきた。木の雨戸を叩く雨だれの音も、眠りへいざなう手助けとなる。今夜は一足先に冬が訪れたかの如く、風が強かった。
まどろみが破れた瞬間にまず知覚したのは、その音が激しくなっているということだった。みすぼらしい小屋が吹き飛んでしまいそうな程の嵐。柱や天井、そこかしこが軋みを上げている。隙間から吹き込んでいるのか雨漏りがしているのか、水の匂いが強くなる。
意識が現実まで完全に浮上する直前、シーツを奪い取られ、身体をひっくり返される。背中へ加わる、冷たく温かい重み。叫び声を上げようとしたところで、分厚い手で口を塞がれた。
「騒いだらぶっ殺してやる」
滴るしずくがヨシュアの頬を、枕を濡らす。どすの利いた声はその冷ややかさを簡単に上塗りした。
ヨシュアの身体が硬直を維持し、抵抗を寄越さないと見て取ってから、掌は外される。
「セバスチアン、帰ったのか」
「楽器屋をやったんだ。ビルケン通りの、あのいつも、ここの生徒を見かけるたび唾を吐いてきやがった、くそったれの親父の店をな」
興奮してまくし立てる口と連動し、手の動きも忙しない。ヨシュアの寝間着の上を乱暴に肩まで引きずりおろす。ボタンがぶちぶちと嫌な音を立ててちぎれるのが、寝台に押しつけられた体で感じ取る。
「奴が自慢してるクラリネットを盗ってやった、ざまあみろだ。売る手はずはしてある。今頃ウーヴェは最終列車に乗ってカッセルへ向かってる」
「何だって、君は……っ!」
思い切り首の付け根へ歯を立てられ、言葉は途切れる。血が滲んだかもしれない。セバスチアンは一向に頓着することなく、露わになったあちらこちらへかぶりつき続けた。
「ここまでやったら、もう怖いことなんかあるもんか。尼さん達でもサツでも何でも来やがれ。その前に、あんたをやってやる。やってやるんだ」
まるで自らへ言い聞かせているような口振りだが、ヨシュアを覚醒させるのは十分事足りた――目を醒ましたのだ、情欲が。
「……、やめてくれ、っ、馬鹿なことを……!」
放たれる叫びも、結局は己を洗脳するためのものだと、セバスチアンは気付いているだろう。虚しい抗いだった。
もがいて身体の下から抜け出し、寝台の頭板に肩を押しつけ、ヨシュアは改めて少年の姿を視界に入れた。暗がりの中で、白いシャツがぼうっと浮かび上がっている。土砂降りの中をここまでやってきたのだろう。それは引き締まった身体にぴったりと張り付き、複雑怪奇な皺を刻んでいた。
「ジョシュ」
セバスチアンは、静かだがとてつもなく威圧的な声で、名を呼ばわった。アメリカ風の読み方らしい。セバスチアンが名付けたのだ。
ゆっくり背筋がしなって、服に新たな皺が刻まれる。額に張り付く前髪の向こうで、ブランデー色の瞳が炯々と光る。彼はヨシュアを求めていた。強く、強く。そんなことはヨシュアにとって、初めての経験だった。
凍ったみたいに冷たくなった四肢を精一杯縮め、ヨシュアは頭板に身を寄せた。やめてくれ、と自らの惨めな嘆願が、水の中のようにぼやけて響く。声は震えていた。腹の底から立ち上る欲情に、息が上手く出来ない。
セバスチアンはじりじりとヨシュアににじり寄った。逃げることの出来ない膝を掴み、脚を押し広げられる。きしる衣擦れの音が、耳へとやたら鋭く残って仕方がない。
蛇のようにするりと、身体は脚の間に割り込んできた。目の見えない人間がする動きで手が顔を這い、薄く開いていた唇を見つけると、親指をぐっと歯の間に差し込む。ヨシュアが噛みしめ、拒絶することが出来ないと知っていたに違いない。じゅわりと溢れ出た唾液が、指を、顎を濡らす。
そこめがけて、セバスチアンは口を近づけた。勢いが付きすぎて、互いの歯がぶつかる。
二度目の口付けは血の味がした。強引に押し込み、絡みつく舌へ、ヨシュアも拙く、だが懸命に応える。擦り合わせる薄い、よく動く舌はやはり煙草の苦みがある。けれど何故か同時に、途方もない甘さを覚えるのだ。渇いているかのように、ヨシュアは混ざり合う唾液を何度も飲み下した。
まともに息継ぎも出来ず、酸欠に惑溺するヨシュアを、セバスチアンは全く考慮せず翻弄し続ける。唇で唇を覆い重ね、相手が上顎と歯の境界線へ触れられるたび、ぞくぞくと背筋を震わせると知れば、そこを執拗に舐め啜った。くちゅくちゅ、ぴちゃぴちゃと卑猥な水音は羞恥を煽る。それが気持ちいい。ぼうっとなる頭で、二つが分かちがたくなるのを、ヨシュアはなす術なく感じていた。
くたりと身体の力を抜いたヨシュアを、セバスチアンは更に暴こうとした。顎を無理矢理開かせていた手が、顎から喉、そして胸へと滑り下ろされていく。
「あんたの身体、本当にいやらしい」
ちゅ、ちゅ、と甘く唇を啄む合間、セバスチアンは切れ切れに囁いた。
「顔はこんなに、男らしいのに、肌も身体も柔らかい。服の上からでも、隠しきれてない。ずっと、ずっと、めちゃくちゃにしてやりたかった」
彼が掌で撫で回す胸元は、昔と比べて明らかに体毛が減り、残ったものもまるで新芽のにこ毛のように柔らかい。すべすべとした手触りに近くなっている。
「手術のせいか。まるで女みたいだな」
思わずかっとなって身体を押しのけようとしたが、すかさず腰に腕を回されて身動きを阻まれる。締め付ける腕はまだ大人と呼ぶにはほっそりしているが、力は遜色がない。とてつもない頑強さだった。軽く舌に歯を立てて拒絶の意を示せば、セバスチアンは弾んだ息で笑い、「女みたいだ」と繰り返した。
その間も愛撫は休みない。時折変形する程胸を揉み込まれ、仰け反った拍子に唇が外れる。セバスチアンは追わず、代わりに晒された喉へと唇をつけた。急所である頸動脈の辺りをきつく吸い上げられ、彼の胴を挟む太ももがびくついた。気づけば下半身は勝手に、恭順の意志を示している。離れたくないと言わんばかりに、足首は征服者の腰の上でがっちりと交差していた。
「あんたが、ウーヴェとやった後の俺を見てる時の目つき、まるで拗ねた女みたいだったぜ。羨ましくて仕方ないって顔をしてた」
「わ、たしは……」
「まさかウーヴェに抱かれたかった訳じゃないよな。あんた、俺のこと抱きたかったのかよ、ええ?」
ふっくら膨らんだ乳輪をやわやわと揉んでいた指先が不意に、ぷつりと隆起した乳首を抓り上げた。芯へ情け容赦なく爪を立てられると、そこから鋭い信号が走る。ぴかぴかと鋭く光るそれが、下腹に出来た柔らかい袋に溜め込まれ、破く勢いで跳ね回る様を、ヨシュアは想像した。
「なあ、俺のことをどうしたかった……それとも、俺にどうして欲しいんだよ?」
ざくろ色に充血し、薄くなった皮膚を弾けさせそうな乳首を二本指でしごかれながら、ごりりと、股間を押しつけられる。セバスチアンのそこははっきりと兆しを見せていた。森の中で目にした、あの形のいい、綺麗な色をしたペニスを思い出し、思わず胸を喘がせる。
「わ、わたしは、出来ない、出来ないんだ……!」
それは歓迎すべき代償のはずだった。実際にこれまで、ヨシュアは受け入れてきた。
説明では、起こりにくくなるとだけ言われた。今までひっきりなしにむらついていた状態から脱し、興奮閾が高い基準まで引き上げられるから、精神的にも肉体的にも負担から解放され、振り回されることがなくなると。
そんなことはあり得ないと、出所後面倒を見てくれていたカニンガム医師は言った。それはあくまで心因性で、君が自信を回復すれば良いのだと。手術で取り除いたところで、器質の面で言えば問題がない。刺激があれば普通に使えるはずだ。
どれだけ励まされても、こんなにも心はたかぶっていても、無理なものは無理。
いつまで経っても勃ち上がる気配すら見せない自らのペニスを、ヨシュアは初めて恥だと考えた。これでは、今覚えている感情の証を、セバスチアンに立てることが出来ないではないか。
顔を歪め、泣き出しそうに身を震わせるヨシュアを、セバスチアンは呼吸が止まるほど固く抱きしめた。彼が自らの欲望を優先していることが、いっそ有り難い。
「いい、とてもいい」
異端の呪文を唱えるように、ヨシュアは繰り返した。嘘ではない。例え勃起していなくても、固いもので突かれる刺激は受け取っているのだから。
「言わなくていい」
セバスチアンは、焼け落ちてしまいそうな程赤くのぼせた耳へ囁いた。
「分かってる。俺はあんたがどんな罪人だって構わない」
「ぁ、あ……やめてくれ、言わないでくれ……私は、真っ当な人間に、生まれ変わりたい」
「出来るもんか。あんたは骨の髄から堕落してる」
シーツの上へ落ちていたヨシュアの手は取り上げられ、先ほど堪能した唇へと運ばれる。薬指の付け根へと立てられる前歯の力は強い。同時に固く勃起したペニスの先端が偶然、縫合の痕を強く抉る。二カ所から感じる衝撃が心臓で交差する。痛い。この痛みが嬉しい。
ひときわ強い反応を示したヨシュアの姿に、セバスチアンの目がきらりと光を帯びた気がした。
これは駄目だ、逃げなければ。
頭は強く警告しているのに、気づけばあっという間に寝間着のズボンを脱がされていた。うつ伏せの、犬が服従する姿勢を取らされる。
「おむつじゃないんだな」
えせ笑う声に頬を染めたのは、恥ずかしさ故ではない。
あの講演会以降、ヨシュアは服薬を、匂いのきつい薬を塗ることを止めていた。もう傷は塞がっている。後は今の状態に慣れるだけだ。
マルシャル神父が言ったわけではないが、彼ならきっとそう励ましてくれる――今この瞬間に他の男を考えるのは、とても冒涜的だと思った。
対してセバスチアンはどこまでも一途に、ヨシュアを見下ろす。男にしては丸く肉の付いた尻を、力強い両手がかき分けた。秘められた場所のひくつきは、親指をその上に当てられることで、逐一読みとられる。圧迫の力が強まると、痙攣は強まり、一刻も早く飲み込みたいとせがんでいるかのようだった。自らの身体なのに、利かない制御が辛い。腕に顔を伏せ、ヨシュアは何とか堪えた。
「あんた、初めてじゃないだろ」
尋ねるセバスチアンの口調はさらりと淡泊で、事実だけを確認しようとしていた。
「ムショか、自分で触ってたのか。どっちにしろ、勝手が分かってていいよな」
ベルトを外し、ファスナーの噛み合わせが開かれる音。そして衣擦れ。静寂の中で聞くのは新鮮だ。これまで自らが買った男も女も、服を脱ごうとはまずしなかったから。
彼が身を倒すと、育ったペニスが太ももに擦れる。敏感な内股に先走りが線を描き、生ぬるく濡らされることにすら興奮した。びくびくと肩を震わせるヨシュアを一層煽るよう、セバスチアンは耳へと言葉を吹き込んだ。
「今から俺が、あんたにすることが分かるか」
ヨシュアは無言で頷いた。セバスチアンは小鳥が啄むようにして、そっと耳朶を唇で挟んだ。そんな些細な動きで、何度も首を振る動きが抑え込まれる。
「ああ、そうさ。これを、あんたのここに挿れようと思ってた」
身体が起こされ、離れていく熱への恋しさに掲げていた尻が浮く。セバスチアンはもう、笑っていなかった。
「でもそれじゃ、あんたは気持ち良くなれない。あんたにはふさわしくない」
鋭く空を切る音が響いたと、耳が聞き取った次の瞬間には、背中を衝撃が襲った。身体を叩き潰されたのかと思った。事実、その場で蛙の如く無様に体勢を崩し、腹這いになる。
「倒れたら駄目だろ」
灼ける痛みに錯乱している脳へ、抑揚の薄い声が届く。膝で軽く腿を蹴飛ばす動きの無造作さが、その冷淡さを後押しする。
「これからやるんだぜ、あんたが好きなことをさ」
違う、と大声で叫びたかった。だがヨシュアは、まるで催眠術に掛けられているかのように、のろのろと身体を起こした。
首を捻った先で、セバスチアンが手にしていたものは、馴染みのものだ。これまでも彼ではない存在に、何度ねだったか分からない。
ただ、違うのだ。今までヨシュアが金を払った拷問人達は、みな醒めきり、軽蔑に支配されていた。だが今、セバスチアンは笑っている。少なくともそんな風に見える表情を浮かべていた。まくれ上がった唇から、食い縛った歯が覗いている。
「愛してる」
まるでそれが最後の息であるかのように、強く、確固と吐き出しながら、セバスチアンは言った。
「あんたを愛してるんだ」
その瞬間、ヨシュアは悟った。自らがこの若く美しい少年から、どのように思われているかを。同時に彼が、その見かけ同様とても若く、美しく、高潔であることも。どうして今まで、気が付かなかったのだろう。彼は男に身を任せても、心までは決して売り渡さなかったのだ。
それに比べて、自らは一体なんとはしたなく、節制のない淫乱なのだろう。闇雲に快楽を追い求め、肉欲で空っぽの胸の内を満たしてくれるなら、何にだって飛びつく。その対価に、愛すら差し出してきた。これを魂の堕落と言わず、何と言うのか。
自らの罪は定まった。罰を受けなければならない。
太い、黄銅色をした頑丈な金具がついたベルトを、セバスチアンは手の中でしならせる。愛していると声を限りに叫びたかったが、ヨシュアは飲み込んだ。期待に燃え立つ身で、何を言っても偽りにしか響かないし、己ですら自信がなかった。
それから何度打たれたことだろう。10あたりから、恍惚とした頭は数えることを忘れてしまった。
荒れ狂う風に揺さぶれる小屋の中に、何度も何度も、執拗な殴打の音と、ただただ惨めで哀れっぽさをはらむ、鋭く短い叫び声が響く。
狙われたのは背中や尻だけではない。太腿や二の腕の柔らかい場所にもおかまいなく、時に金具を叩きつけられることさえある。本能的に這って逃げれば腰を掴んで引きずり戻されて、強く激しい仕置きを加えられ、だがそれとて悦びでしかない。
ぶたれてもぶたれても、傷は上書きされる。腫れ上がって熱を持つ皮膚は、感覚がとにかく鋭敏になる。加虐を止め、顔を近付けるセバスチアンの視線も、玉になった血が連なる傷口を舐める舌先の感触も、剥き出しになった神経へ直接触れられているかのようだった。
「どうだい、この淫乱……本当に役立たずだな」
脚の間から差し込まれた手に、ぎゅっと不完全な性器を握り込まれる。そこは勃起しないまま、黄味を帯びた精をぼとぼとと垂れ流していた。
「いや、そうでもないのか。すっかり感じてやがる。こんな目に遭わされて」
「あ、ぁあ、うぅ」
過ぎた刺激に身を捩れば、傷口に爪を立てられた。じくじくとした痛みを引き裂いて生まれる強烈な快感に、とうとう力が抜ける。その場で転がり、ヨシュアははばかることない嗚咽を漏らした。
ずたずたにされた背中がシーツを掠めるだけで、そこに心臓が生まれたかのようにずきんずきんと脈動する。重なり合い、共鳴する、抱えきれないほどの苦しみ。気持ち良くてたまらない。無限に悦楽が生まれて、呼吸もまともにできなかった。
これまでならば、どれだけ酷い折檻を受けたところで、頭の片隅には現状へ目を配り、己を嘲る理性が居座り続けていた。しかしたがの外れた高揚は、頭を、体をふわりと宙へ浮かせる――感触が段々と失われる、手の下の寝台や、皺を刻むシーツを、ヨシュアは取り戻すことが出来なかった。
胸の前で祈りの姿勢で手を固く組み合わせ、ヨシュアが自らの執行人の姿を探した。蒼白になった顔を見つけた時には、思わず微笑んでしまう。セバスチアンは鋭く息を飲んだ。
「あんたの顔、鏡で見せてやりたい」
ぐっと寝間着の胸元に手が掛けられる。恐怖と官能で極限まで尖った乳首が布に擦れ、ヨシュアは「あ」と燃える呼気をこぼした。合わせ目を握りしめる手にくっきりと筋が浮き立ち、力がこもる。
「きれいだ。とてもきれいだ」
びりびりと、破壊の嫌な音が、口笛を思わせる強風の合間を縫う。服は瞬く間に布きれと化した。
左の足首を掴んで高々と掲げると、今度は体の正面へ、情け容赦のない暴力が浴びせかけられる。汗を掃き、なめし革のように艶めく胸、固い乳首、乱れる呼吸によって不規則にへこむ腹。脚の角度がつけられ、よく手首をしならせながら性器周りを打ち据えられた時は、残ったペニスもちぎれてしまうのではないかと思った。
声にならない悲鳴は、女のような甲高さだった。脳が爆発して生まれた真っ白い星が、視界から消えた頃、ヨシュアは唾液でべとべとになった口元を何とか動かした。
「……っ、わたし、は、うまれ変わりたいんだ」
こうしてシーツの上で何にも守られることなく横たわり、この崇高な少年が向ける嵐のような劣情を一身に浴びて、変形してしまいたい。階段の段を全て飛ばして、一息に頂上まで昇り詰めてしまいたい。
「おねがいだ、どうか……ぁ、あっ……!」
セバスチアンは黙って、またベルトを振り下ろした。重くて鋭い痛みは、ペニスだけでなく、みっともなく開かれたアナルにまで及ぶ。2度、3度。一瞬、ヨシュアは意識を失った。
まだ感覚の戻らないそこへ指がくぐり、引き抜かれる。突然の異物に怯え、過剰に分泌する腸液を指の腹で襞の間へ塗りたくってみたり、一気に指を引きずり出して縁を内側から軽く掻いたり、予想も脈絡もない挿出運動が繰り返される。拡張ではなく、具合を確かめための動きだ。
ヨシュアは熱い頬をシーツへ押しつけ、目を閉じた。内臓を掻き回される違和感よりも、孔の縁、尻の狭間、先ほど打擲された場所を親指が掠め、痺れを再燃させられることに意識が向く。
一頻り納得すると、セバスチアンはすっかり萎えていたペニスを、空いた手でしごいた。若い肉体は瞬く間に勃起を強固な状態まで取り戻す。くちくちと水音が、怒っているかの如く乱暴な息づかいに混じる。それをヨシュアは、不快だと感じた。
掌に唾を吐いて潤いを足すと、熱い先端が窄まりに当てられる。先ほど多少の道を作ったとは言え、これまで己を罰するかのような自慰で何度か乱暴に指を突っ込み、かき回しただけの用い方しかしていない場所に、彼のものを押し込もうとするのだ――もっとも彼は、手術を受けて以来、自らの性器へ手を伸ばしたことは一度もなかった。術痕に障るのが怖かったし、性欲を催すことなど、あり得ないと思いこんでいたから。
最初、圧に対してそこは拒むように後退し、やがて諦めて蕾が綻びるかの如く開く。痛みは凄まじかった。だが出血することはない。つまり今、燃えているかのように熱く、シーツを赤黒く汚す傷よりは余程軽傷だということだ。
めりめりと体を寸断されそうな圧迫感に、ヨシュアは天を仰ぎ、震える唇をぱくつかせた。無意識に逃げを打つ足がつま先立ち、腰をシーツから浮かせる。
逃がさないと言わんばかりに、セバスチアンは残りを、それはかなりの長さであったにも関わらず、強引に腰を使って押し込んだ。文字通り串刺しにされ、ヨシュアは咽び泣いた。
真上からぽたぽた落ちてくるのが、彼の纏う雨の滴なのか、汗なのかは分からない。それはヨシュアの頬を濡らすものと混ざり合う。美しいものが穢れる。自らと交わったせいで。
「ぅ、ああ、あ、ああああっ、あーっ……」
涙は瞳が溶けるように溢れ出す。ただただ悲痛な声を耳にして、セバスチアンは笑った。
「ああ、ジョシュ」
真上にあった顔が降りてくる。ヨシュアの鼻に自らの鼻先を擦り合わせ、愛しげに、そして憎らしげな囁きが吐き捨てられた
「あんた、気持ちよくってたまんないんだな」
汗でこめかみに張り付いていた髪が、丁寧に払いのけられる。すっかり熱く膨らんだ瞼の先、きらきらと宝石の粉を撒いた程も世界を輝かせて見せる涙の膜を通して、ヨシュアは世界を見た。大事なものは全てがぼやけて見える。セバスチアンの顔も――元々暗闇で見える訳などないのだとしても。
薄く目を閉じ、触れてくる掌へ頬を擦り寄せる。口付けすらした。持てる限りの厳粛さと崇拝を込め。
途端、まるで熱いものへ触れたかのように手は引っ込められる。ちくしょう、とセバスチアンは唸った。今まで優しく頬を撫でていた手は、もう少し下、ヨシュアの首へと回された
先ほどまで得物のベルトを固く握りしめていた掌は、びっしょり汗ばんでいた。何度か滑りながらも、それはぐっと首を寝台へ押さえつけることに成功する。
「あんたの命を握ってるのは誰だ」
気管を潰される物理的な恐怖で身を竦ませるヨシュアに、セバスチアンは言い放った。
「それは俺だ。俺を見ろ。あんた自身から、俺はあんたを奪って、手に入れてるんだ」
ナイフで刺し殺すように、杭を叩きつけて深い穴を開けるように、腰の動きはまだ固さの取れない腸壁を蹂躙する。
腹側へ乱暴に突き上げる動きに、ヨシュアは釣り針へかかった魚の如くもがいた。窒息が進みすぎると、頭が本能のまま乱暴に振りたてられ、体の末端から中心にかけて痙攣が走り、そして直腸が中に納めたペニスを圧搾するほど締め付ける。そのたびにセバスチアンは手を緩める。何度も何度も繰り返した。
生と死の間を綱渡る絶妙な匙加減に、ヨシュアはまともにものを考えることが出来なくなっていた。
「笑うなよ、くそっ、なんでだ……笑うな!」
セバスチアンに罵倒を浴びせられるまで、ヨシュアは自らが目を剃刀みたく細め、唇を綻ばせていることに気付かなかった。
けれど、どうして笑ってはいけないと言うのだろう? こんなに気持ちがいいのに。自らを求める相手に全てを委ねることが出来るのに。
自らの掌から手綱が奪い取られても、今ヨシュアは恐れなかった。罰は予定調和の中では与えられない。息の根を止められるのは余りにも苦しかった。
だが苦痛と後悔の中で死を迎えない限り、生まれ変わることはできない。
乱暴に突かれて撓められることで、柔らかい袋が決壊する。蓄積され、消化された快感が、全身の細胞一つ一つに染み渡っていった。こめかみの血管が破裂しそうなほど脈打つのが、一番に意識を占めている。
自らは死の淵にいる。もしも声を発することが出来たならば、殺してくれと請願していただろう。彼の手で止めを刺されたい。大天使が燃える剣を振り下ろし、邪悪な蛇を切り捨てるように。殺してほしい、殺してほしい、この救いようのない人生から一気に運ばれた幸福の絶頂で、全て終わりにしてほしい。
それが嘘だと、剥き出しにされた本能が叫ぶ。このまま死ぬのは。自らは死ぬのか。
人間にとって最も原始的で、一番の恐怖が、さっと全身から血の気を引かせ、逆流させる。一瞬で、肌が紅く燃え立たった。逃がすまいとでも言わんばかりに、セバスチアンは喉元を握りしめた。
人間が死に果てる寸前に、腹いせの如く見せる、大きい痙攣じみた全身の震え。それは内臓にまで波及し、きゅうと下腹が絞る動きを見せる。
「っ、うぁっ……!」
セバスチアンが短く呻いた。顎を震わせ奥歯をがちがちと鳴らしながら、深く深くペニスを納めたまま腹の中へ射精する。
今までとは別の自分が目を覚ます。身体の中を他人に濡らされるという、最も屈辱的な行為に、ヨシュアはひたすら感じ入った。恍惚に頬を緩め、くったりと全身を弛緩させる。
ペニスはもう、ぱりぱりに乾いた先走りをまとわりつかせたまま、全く反応を見せていない。それが一体どうしたと言うのだ。
男が体感する中で、一番気分の良い行為を終え、セバスチアンはふらふらと身を離した。ぐぽりと性器が直腸から分離し、白くクリームのように固まった精液が後に続く。その感覚に、思わずヨシュアはあ、あ、と弱々しく鼻にかかった、泣く寸前の赤ん坊じみた声を上げた。
泣き声を思わせる軋みと共に寝台から降りざま、セバスチアンが顔を背けたと分かった。衣服の乱れを直し、指一本動かせないヨシュアに背を向ける。
彼が睦言の一言も投げかけず、口付けの一つも与えることなくその場を去ろうとしている事実に、ヨシュアは落胆を覚えなかった。ただ闇の中、後ろ姿の輪郭を象る影がとても大きい存在であるかのように思える。たった今まで側にあった熱が失われ、寒くて仕方がない。遠さかる歩みに伴い、ぎしぎしと湿気で膨らんだ床板が擦れ合う響きに、胸がざわめく。
外はまだ嵐だ。そんなところに出て行く必要はない。もうしばらくここにいればいい。
そう言おうとしたが、声が出ない。締め上げられた喉が通すのは、掠れたうめき声だけだった。
耳障りな音の中、小屋の扉を閉めざま呟かれた「ちくしょう」と短い罵り文句。その言葉を、セバスチアンがずっと呟き続けていたことに、彼の気配がなくなってから初めて気が付いた。
過剰に分泌されたアドレナリンがゆっくり、ゆっくりと体内から消滅していく。興奮が醒め平常に戻るまでの過程は、時間を逆行させ、記憶を辿る猶予を与えた。
自らがしたことを理解した途端、ヨシュアは果実のように甘く紅潮した全身が、一瞬にして青ざめるのを感じた。いても経ってもいられず、寝台から身を起こそうとする。が、全身を雁字搦めにする激痛へ、呻き声と共にその場へ突っ伏してしまう。
ほんの少し前には清潔に乾いていたシーツを汚す、血と汗と精液。顔を押し当て、明らかに異質な匂いを嗅ぎ取れば、胸が握り潰される。
これに、独りで耐えろというのか? 到底出来るわけがない。
苛む傷に脂汗を流し、這うようにそろそろと動きながら、椅子の上から昼間身に付けていた衣服を掴む。捩れ皺の寄ったシャツが背中へ張り付き、血を染みつかせた。
小屋の外ではいつの間にか嵐がぴたりと止み、気味の悪い静寂に支配されていた。夏と紛う生ぬるい風が、頬を叩く。噂話でも囁き合うかの如く、重く濡れた森の枝々で葉擦れを湧き起こる。
いささか威勢が悪く揺れるその向こうに建物を探そうと、ヨシュアは腫れた目を懸命に凝らした。夜空を覆い尽くす不穏な雨雲の下、周囲の闇を吸い込んだような母屋は漆黒で、輪郭によって辛うじて存在を知らしめる。
恐怖は辛うじてねじ伏せることが出来る。風前の灯火と化した気力をかき集め、ヨシュアは露を含む、柔らかに危うい芝を踏みしめ、取り憑かれたように足を動かした。
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