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第4話

 風呂場で頭をガシガシと洗いながら、Nという人物について考えてみた。  Nのイニシャルがつく知り合いは数名いる。  誰だ誰だ、と取り留めもなく考えていたけど、無駄なのでやめた。  どうせ数時間後に分かる事だ。  春と同じベッドに上がって、腰を振った人物が誰なのか。  具体的にそのシーンを想像するとやっぱりムカムカしてくるけど、寂寥感(せきりょうかん)も沸いてくる。  春に限って、俺を裏切ることは無いと思っていたのに。  目尻にじわっと何かが滲んだのを感じて、慌ててシャワーの湯を顔に掛けて洗い流した。  とにかく、相手の出方次第だ。  真摯に頭を下げ、二度と春に近付かないと誓うんだったら許してやろうか。  もし横暴な態度を取られた場合は…と考えながらシャワーのお湯を止めた時、玄関のドアが開いて、中に誰かが入ってきた気配を感じた。  早っ。もう来たのかよ。  耳をすませていると、春の話し声が聞こえた。次いで低い男の声も聞こえてくる。  二人はリビングへ入っていったようなので、俺は風呂から上がり、着替えを始めた。  髪まで乾かし終えたところで、拳をぐっと作って気合いを入れる。  まず始めが肝心だ。  俺を見た瞬間の相手の表情。それによって血飛沫が飛ぶかどうかが決まると言っても過言では無い。  一挙一動も見逃すまいと、意を決してリビングのドアを開けた。 「あ、しーちゃん。もう上がってもらってるから……」  春が恐る恐るといった表情で振り返る。  隣に座っていた男は、黒いスーツ姿だった。  肩幅が広く、まるでラグビー選手みたいなガタイの良さだ。  こんな体つきの知り合い、いたっけ?  そいつも、肩越しに振り返る。  目と目が合うと、脳天をかち割られたような衝撃が体を突き抜けた。  狐につままれたような顔をして見ていたら、そいつは目を細めてにこーっと笑った。 「久しぶり、静瑠(しずる)。相変わらず口が悪いな。ギャーギャーうるせぇし、名前と性格が全然マッチしてないんだよ」 「どうして」 「どうしてって、静瑠が今すぐ来いって言ったんだろ。映画観たかったのになぁ。こうなるんだったら時間ある時に無理してでも観とけば良かった」  そいつはそう言って唇を尖らせた。  はい、血飛沫確定。  だってありえない。ありえなさすぎる。  こいつが、春の浮気相手だっていうのか。  春は居心地が悪そうに俯いている。 「春」と硬い声で呼びかけると、ビクッと肩を竦ませた。 「相手、ヤクザじゃねぇじゃんか」 「え、ヤクザ? 俺そんなこと言ってないよ。顔に傷があるってだけで」  そいつの顔を見ると、目の下から唇の脇にかけて一直線に引っ掻いたような傷が付いていた。 「飼い猫に顔を引っ掻かれたのがみっともなくて、あんまり人に会いたくないって言ってたから……」 「くそっ、紛らわしいことしてんじゃねえよ!」  俺と春のやり取りを、ニヤニヤと見つめるNの名前は、直文(なおふみ)。  春と出会う一年ほど前に別れた、俺の元彼だ。  俺の三歳年上だから、彼は今三十二歳。だから春とは七歳差ということになる。    よりにもよって、なぜに元彼と春が?  それに一番の疑問はこれだ。 「直文って、リバだったの?」 「まぁ、今付き合ってる奴がそうでさ。合わせてるうちに出来るようになった」  淡々と答えやがるけど。  直文も恋人がいるってのに、ありえねぇ。  そもそも直文とは別れて以来一度も会っていない。それなのにどうして春と知り合ったんだ。  俺の気持ちを見透かしたように、春は口を開いた。 「しーちゃんが会社の飲み会だっていう日に、いつものバーに行って飲んでたら、たまたま直ちゃんが隣に座ったんだ。はなしの流れで、お互いの恋人の写真を見せ合うことになって。しーちゃんの写真を見せたら『付き合ってたよ』って言うから」 「で? そこからどんな話をしたら、セックスしようぜってことになるんだよ?」  春が『直ちゃん』だなんて気安く呼んだことにもイライラとして、早口で責め立てた。  春はまた、俺から視線を逸らす。  困ったらだんまりか。  呆れていると、直文の低い声が空間に響き渡った。 「どうして春くんが俺とそんなことをしたのか、心当たりはねぇの?」

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