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タイムマシンを探しに行こう_3

店の奥にあるトイレのドアを開けると、もともと客が少ないこともあってから人影はなかった。  そうこうしている内にも迫り上がってくる嘔吐感に、一番清潔そうな個室に飛び込むとそのまま便器の中に一度吐いてしまう。  ここ最近どうも食欲がなかったので、先ほど口にした刺身以外、出せるものは殆どない。 「うぇ、くッそ、な、んだこれ」  何度か吐いてもう胃液も出ないのに、ムカムカとする嘔吐感が治らない。これまで吐くことなど殆どなかったのに、訳が分からなくて混乱する。 「おいおい、大丈夫か。まさか刺身が傷んでたのか」 「すみま、せ。はぁ、はぁ、ちょっと……治まってきましたから、先輩も……気持ち悪いんですか?」 「いや、俺は刺身苦手で箸つけてないから」  なら頼むなよと心の中で突っ込んだが、言葉を発するとまた吐き気がきそうなので大人しくしておいた。本当に刺身が悪かったのだろうか。食中毒にしては治るのが早い気がするするし、なんとも判断に苦しむ。 「お前の具合も悪そうだし、もうお開きにするか。お迎えも来てるしさ」 「お迎え?」  反射的に冥土へのお迎えかよ、と思ったのは概ね間違ってはいなかった。俺が奢ると言っていたのに、誤解されたくないから割り勘ねと無理やり現金を握らせると、坂田先輩は手を振るだけで店内に残った。  どれだけ顔を合わせたくないのかとあきれたが、俺だって気が重い。雑居ビルの二階にある居酒屋からエレベーターの扉が開くと、目に入ってきたのは周囲の迷惑を顧みない白い外車のカブリオレ。  よそ見をするどころがじっとエレベーターを見続けていたらしい翔平が、もたれかかっていたハンドルから音がしそうな勢いで身体を起こす。 「なんでお前がこんな所に居る。それとここ、駐車禁止だぞ」 「ちょっと停車してるだけだって。お、お食事は終わった?」 「……食欲なくしたから帰る」 「あ、家まで送るよ。乗って」 「遠慮する、恥ずかしい」 「亮ちゃん、顔色が悪いんだってッ」  慌てた様子で運転席から出てくる翔平にそれ以上強くは出られず、仕方なく助手席のドアを自分で開ける。  居るだけで人の注目を集めてしまう男にここでエスコートなどされては、それこそたまったものではない。  腹立ち紛れに乱暴に腰を下ろした高級外車のシートは、俺の知るどの椅子よりも心地よく身体を支えてくれた。俺なんて普通に国産のSUVなのに。  いや、国産車最高だから、悔しくなんてないですけどね。雨の多い日本でオープンカーとか意味がわからんと思うしね。 「シートベルトしないと駄目だよ」 「あ、悪い」  はっとして自分でやろうとするより先に、翔平の身体が覆いかぶさるように身を乗り出してくる。ほんの少し手を伸ばせば、すぐ目の前の距離。不味いと思うと同時に、翔平の匂いがふわりと鼻先に香る。 「ッッ?!」 「よし、車だすよ。どうかした?」 「い、や、何でもない」  口もとを手で隠しながらもなんとか笑ってみせると、不思議そうな顔をしながらも翔平はゆっくりと車をスタートさせた。  妬みからつい文句を言ってしまったが、オープンで良かった。排気ガスと街の騒めきにかき消される隣の気配に、なんとかほっとひと息をつく。  それにしても妙だ。先ほどの急な嘔吐感もそうだが、これまで付き纏う翔平を邪魔に感じても、彼の匂いを嫌だと感じたことなど一度もなかった。  むしろあの匂いに籠絡されかねないので、翔平が近づくことを嫌がっていたのが本音なのに、先ほど感じたのは間違いなく鳥肌が立つような嫌悪だった。 「亮ちゃん、怒ってるの?」  黙りこくってそっぽを向いている俺に、不安そうな翔平の声が尋ねてくる。たしかに怒ってはいるが、色々とありすぎて何から詰問すべきが迷ってしまう。 「もし俺に嫌な所があるなら、直すよう努力するから教えて」 「じゃあまずひとつ、迎えに来られること自体も嫌だが、この派手な車はもっと嫌だ。今度これに乗ってきたら逃げる」 「え、この車そんなに嫌だった、ごめん。昔、亮ちゃんがカブリオレかっこ良いって言ってたから買ったんだけど、そうだよね、高校生の頃の好みとは変わるよね」  ……健気ッ。なんて一瞬思ってしまったが、誤魔化されないぞ。中高生の頃にカブリオレ乗り回したいとか言ってたこと覚えられているなんて、黒歴史みたいなものじゃないか。 「別に、謝ることじゃないだろう。俺が関係ない時は好きに乗れば良いわけだし」 「いや、亮ちゃんの好みじゃないなら処分するよ防犯上良くないって親にも言われていたし」 「しょっ……中古で出さないのか。これ新車だろう」 「うん、先週買った。運転手の中野さんに頼んでおけば、ちゃんと処理してくれるから大丈夫」  なんでこんなお坊ちゃんが俺のような庶民、それも落ちぶれかけの家の半端者を構うのだろう。  大人になればなるほど感じる環境格差と価値観の相違に、世間知らずの子どもの頃のようにノホホンと好意を受け取ってはいられない。  セレブから見れば蟻の見る夢のようなちっぽけな未来だって、俺には実現したい大切な物なのだ。  無言のまま左手にある指輪を外すと、横目で見ていた翔平が息を飲むのがわかる。かまわずその丸い金属を翔平のポケットに指輪に滑り込ませると、俺は視線を前に固定したままハッキリと告げた。 「GPS付きの指輪を贈る相手とは、もう付き合えない」

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