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ハリネズミの憂うつ_4

「考えてもいなかったって顔ね」 「すみません」 「どうして謝るのよ、馬鹿ねぇ。アタシこそごめんなさい。ちょっと先走りし過ぎちゃった。とにかく少しでも元気を取り戻しましょう。ゼリー出来てるから食べてみて」 「ありがとうございます」  優しく背中を叩く手に促されて、診察室の隣にあるリビングにお邪魔させてもらう。  南国風の飾りが彼方此方に飾られた空間は、狭いながらも温かな雰囲気で居心地が良さそうだ。  大きなハワイアンキルトのカバーがかかったソファーに座らせられると、澤井先生が肌触りの良い膝掛けまで掛けてくれた。労わられ過ぎても、かえってきまりが悪い。 「はい、すりおろしリンゴのゼリーよ。何個か作ったから、気に入ったら持って帰って」 「ありがとうございます」  点滴を入れたからか、小さなガラスの器に入ったゼリーが美味しそうに見える。恐る恐る人匙すくって口に運ぶと、市販品にあるような甘味のない、さっぱりとした冷たいリンゴの味がするりと喉を滑り落ちた。 「美味しいです」 「あら、よかったわぁ」  久しぶりに美味しいと感じた味に感激していると、あっという間に器の中は空になった。そのまま座って様子見をしてみても、吐き気が襲ってくる様子はない。 「大丈夫そうね。はい、温かいルイボスティー」 「あの、そういえば父は?」 「一度家に帰ったわ。夕方頃に迎えに来るって言っていたから、ゆっくりしていきなさい」 「なんか、ご迷惑をお掛けしてすみません」 「健ちゃんの息子さんはアタシの息子みたいなものだから遠慮しないでぇ。あ、変な風にとらないでね。あくまで美しい友情としての意味だから」  大きな体でうふふと口元を隠して笑われると、まるで熊が照れているようだ。我慢しきれず少し笑ってしまうと、澤井先生も同じように笑顔を見せてくれる。 「先生は、相手のこととか聞かないんですか」 「聞いてもいいなら聞かせてもらうわ。でもね、ここに来る子は何かしら事情のある子が多いから、無理には聞かないことにしているの。どんな選択も、悩んだ末にその人が出した答えを尊重して、精一杯の手助けをするだけよ。それがアタシみたいな医者の務めだと思ってる」  温かいお茶を飲みながらゆったりと交わされる会話に、ささくれだっていた心が癒される気がした。  歌舞伎町の裏路地に診療所を構えているからには、真っ当な患者などほぼいないだろう。どんな事情があってこんな場所で医者を続けているのかは分からないが、少なくともこの短い時間のやり取りで、澤井先生は信用できる人だと思えた。 「俺の相手は、アルファの両親から生まれたアルファです。付き合っているとかではなくて、本当にその、ちょっとした酒の上の過ちみたいな感じで一回だけ……まさかその、に、妊娠するだなんて、俺もアルファなのにどうして」  思い切って口に出してしまうと、どっと押し込めていた疲れが襲ってきた。  そうだ。いくら俺の中にあるオメガ遺伝子が翔平と合うにしても、アルファ性であるはずの人間が妊娠までするものなのか。 「そうねぇ。アタシも場所柄色んなカップルを見てきたけど、アルファ男性同士で妊娠したって話は聞いたことがないわね。その辺はちょっとツテを当たってみるけど、ひとつ言えることはその相手とアナタは間違いなく番だってことじゃないかしら」 「それは、俺も……そうだと思います」 「だったらどうして、貴方は一人で背負い込もうとしているの。残念ながらアタシは運命の相手に出会えていないけど、番のカップル自体は何組か知ってる。正直、理屈が通用するような関係じゃないでしょう。お相手が身重の貴方を放り出すとは思えないんだけど」 「それは」  それは違うと、咄嗟に言えなかった。翔平は今ごろ、遠い異国の地で新しい生活を始めているところだろう。  榊家の選ぶ相手だ。見合い相手はきっと、半端者の自分のなどには一生縁がない生粋のアルファに決まっている。  必死に好きだとすがり付く彼奴を、手前勝手な理由で振り払ったのは俺の方だ。傷つけて、突き放して、ただの一度も好きだとは言ってやらなかった。 「もう、会えないんです。彼奴を今後の俺の人生に関わらせる気もありません。もう少し考えさせてください。俺には……まだ決められません」  気を抜くと下腹部を触ってしまいそうになる手を、ブランケットを握りしめることで押し留める。  たくさんのことを考えなければならない。家のこと、仕事のこと、自分のこと。そして俺の意思決定にただ無抵抗でいるしかない、このお腹の中の子どものことを。

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