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わたしの運命_3
「翔平さん、もうお休みでしょうか」
遠慮がちなノック音に、ぼんやりと物思いに沈んでいた意識が引き戻された。
「いえ、少し待ってください」
時計を見ると、夜の九時を過ぎたばかり。若い女性が他人の寝室を訪ねる時間ではないと思うが、親の招いた客人でもあるし、なによりお互いに興味を持ちにくいアルファ同士た。
支障はないだろうとドアを開けると、申し訳なさげに綾乃が頭を下げる。
「私のせいでお疲れの所をごめんなさい。実はその、折り入ってご相談したいことがあるんです。本当は昼間にお話しできたら良かったんですけれど、外ではやはり人目が怖くて」
「怖い?」
意味がわからないとは思ったが、もの言いたげな年下の従兄弟をこのまま追い返すわけにもいかない。外が怖いというなら、いまから連れ出すのも逆効果だろう。
「どうぞ。ドアは開けておきますよ」
「はい。叔母さまは先程お風呂に入られましたので、しばらく大丈夫だと思います」
ぱっと顔を明るくした綾乃を不思議に思いながらも招き入れると、他に選択肢もないので仕事用に使っている机の椅子をすすめ、自分は立ったままでいることにする。
「それで、母に聞かれたくない相談事というのは何かな」
母のことを出して尋ねと、罰が悪そうに綾乃は俯いた。ぐっとスカートを握りしめる手が、微かに震えている。
「じつは私、最近ストーカーというものに付き纏われているのです」
「ストーカー?」
「はい。最初は私の行動を監視しているような内容のメールやメッセージが送られてきて、何度受取り拒否をしてもキリがないんです。最近では電話も頻繁にかかってきて、脅迫状じみた内容の手紙や、その、気味の悪いプレゼントまで届きだして。もう半年くらい経つんですけれど、どんどんエスカレートしていて、もう怖くて堪らなくて」
「警察には相談したのかい。警視庁の方になら知り合いのツテがあったと思うから、無下にされることもないだろう。それに君が訴えればボディーガードくらい雇うだろう」
「だ、ダメです。お父さ……父には知られたくありません。それに相談したところで、私に落ち度があったのだろうと相手にされないに決まっています。叔母さまのご招待を受けたのは、こちらでならストーカーに知られずご助力を仰げるかもしれないと思ったからなのです」
思いがけない言葉に少し驚いて綾乃の顔を見返すと、いつもは俯きがちな彼女の目が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
その瞳に宿る意志の強さのようなものに、初めて彼女に気圧されるような気分になる。落ちこぼれと家族からはやや除け者扱いされている綾乃だが、彼女の身体に流れる血は間違いなく本流のそれだ。
「単身東京に来ることで追いかけてくるストーカーを炙り出すつもりかい。でもそれは、少し危険な賭けだよ」
「承知の上です。それでも私は、本家の力を借りずに決着をつけなければなりません。そしてどうか翔平さんに、今回の件でお力添えをいただきたいのです」
「俺が君に手を貸すメリットは?」
「叔母さまが進めようとなさっている婚約話、私からお断りさせていただきます。それに翔平さんは今日一日私に付き合ってくださいました。もしかしたら、もう邪魔なターゲットとして認識されているかも知れません」
「……なるほどね」
大人しそうな顔をしてまんまと罠に嵌めてきたなと、かえって感心すらする。
そこそこ出来る相手でも簡単に負けはしない自信はあるが、顔も知らない異常者を四六時中警戒するわけにもいかない。ここはひとつ、本家に貸しをつくっておくのも悪くないだろう。
「大事な従兄弟の頼みだ、もちろん引き受けるよ。で、君はいつまで東京にいる予定なの」
「今秋から英国留学をすることになっていますが、それまでは自由を認められています。大学の聴講生をして見識をひろげたいとでも言えば暫く東京に居られると思います」
「ま、うちの母は大歓迎だろうね。だが俺もずっと遊んでいられるわけじゃない。こう見えてもまだ大学院生なんだ。ゆっくり学んで人脈を作れとは言われているけれど、そう長くは日本に居られない」
「そうですね。私も此方にお世話になる許可を本家からいただく必要がありますので、移り住むのは春以降とさせていただきます。夏までに決着はつけるつもりで準備をしますから、三ヶ月だけ私に時間を割いていただけませんか」
「夏まで、か」
どちらにしても、仕事の勉強にも学業にも身が入らない現状だ。それに綾乃を助けるという大義名分を言い訳に、東京に居ることができる。
これ以上ない程にはっきりと拒絶されて、逃げるように会った婚約者にも見抜かれて、今さら何をどうするもないとは思う。
それでも同じ空の下に、なにかの偶然で会えるかも知れない距離に身を置きたいと思うのは、一体どういった心理なのだろう。もしかしたら自分の行動こそ、綾乃のいうストーカーなのではないか不安になる。
「では一度戻って、暫くこっちに居ても大丈夫なようにしてくるよ。君の身辺に関しては、俺の方でボディーガードを手配しておく。勿論、伯父に気づかれないようにとなると完璧に守ることは出来ないが、居ないよりはましだろう」
「ありがとうございます。この御恩、生涯忘れません」
晴れやかな笑顔で礼を言う綾乃は、なんだか自分の知っていた気弱な女性とは別人のように見えた。
こうして俺の人生の分岐点は、次の枝分かれへと進んだのだった。
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