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あなたの側で_3

 ぐっとスカートを握りしめていた手が緩み、綾乃が正面からこちらを見る。沈黙は肯定と同じだ。  彼女が相談を持ちかけてきた時、村瀬が綾乃を密かに付け回していたのは事実だろう。しかしそれ以前、二人がどういった関係であったかに関しては、実際のところ全くと言っていい程明かされてはいなかった。  こちらの独断で調査会社に調べさせてはいたが、出て来たのはあくまで養護施設に居る大勢の一人と、ボランティアで訪れていた有力者の娘という構図だけだった。  本来ならもう一歩踏み込むべきだったところを、無意識の内にその可能性を除外し現状にばかりが目がいってしまっていた。いやむしろ、綾乃によってそう誘導されていたのだろう。 「具体的なストーカー行為の殆どは貴女の自作自演だった。俺に協力を仰ぎわざと一緒に行動するよう仕向けたのは、姿は見せなくても村瀬が自分を追ってくる確信があったからですね」 「そうです。時臣さんは私の前から一方的に姿を消しました。ですが彼をこのまま放置することは、非常に危険でした。私は一刻も早く彼を見つけ出さなければならなかった。それは彼の頸を噛んでしまった、なんの保証もないのに番契約をしてしまった私の責務ですから」  予想はしていたはずなのに、オメガの頸を噛んだという言葉に同じアルファとして衝撃を受ける。  アルファとオメガの絶対的な関係である『番』には、実際のところ様々なパターンがある。そもそも本物の番同士が出会える確率は極めて低く、故に性本能の強いオメガは子を成すために誰であろうと受け入れる一面がある。  オメガ性が最も恐れているのが、発情状態で頸を噛まれることによる強制的番の契約だ。本来の番を求めるよりも子孫を残すことが絶対的な性は、噛んだ相手に合わせて体質そのものが変化してしまう。  そして一度そうなってしまうと、番を求める性ホルモンが分泌されるオメガは生涯にわたってその関係に支配されることになるのである。  反対にアルファは優れた遺伝子を求める欲求が強いため、この強制ホルモンが本来の番相手にしか分泌されない。本能行動として頸を噛みたがるが、俗に言う運命の相手を見つけたり、最悪の場合は飽きた等の理由から一方的に番契約をした相手を捨てる事例が過去後を経たなかった。  故に現代では、抑制剤の服用と合わせてこの番契約の行為にも法的義務と制約が強く課せられている。 「それを俺に告白することが、どういう意味を持つのか分かっているんですよね。婚外下でのアルファとオメガの番契約は法に触れる行為です」  引導でも渡して欲しいのかと綾乃を睨みつけると、ふと彼女が見たことのない柔らかな笑顔を見せた。  いつも地味で控えめで、一歩下がった位置に立って穏やかに微笑んでいるだけの女。いや、彼女だけではないのかもしれない。家族の前で、親族の前で、社交の場で、自分が貼り付けていたのも恐らくそんな笑顔だった。嘘偽りのなく笑えたのは、きっと亮介といる時だけだった。 「自分の始末は自分でつけられます。時臣さんの頸の歯型という証拠が無ければ、私が自首したとしてもこの件は揉み消されたでしょう。彼を助けるために、私は貴方や叔母さまを騙し利用しました。これから私と彼は法の裁きを受け、恐らく榊からは追放されるでしょう。本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」  深々と頭を下げて謝罪を述べると、綾乃は立ち上がってからもう一度一礼をした。彼女の言葉に迷いは見られない。本家の娘という楔を自ら断ち切り、潔いまでに愛する伴侶を選んだ女性がそこに立っている。 「貴女は、俺が思っていたよりずっと強い方だったのですね」  羨ましいと、心から思った。全てを捨てても亮介と居られるなら、俺はそれが出来ただろうか。一族に染まって生きてきた人間が、榊から離れて生きることを本当に選べただろうか。  幼い日の挫折から振られ続けの人生に、その現実をどこか真剣に考えてはいなかったのだと気付かされる。亮介がイエスと言ってくれたら捨てるのではなく、本当に願うのなら、ただ一人の榊翔平になって彼の前に立たなければいけなかったのだ。 「翔平さんは私とよく似ている。失礼ながら、ずっとそう思っていました。お詫びというわけではありませんが、これをお渡ししておきます」  握らされたメモ帳の切れ端を見ると、几帳面な字で電話番号らしき数字が書かれている。 「私が身辺調査をした際に入手した番号です。貴方ならきっと、どんな結果でも恐れることなく前に進まれるはず。そう信じて、お渡しします」 「……綾乃さん」 「身辺整理も終わりましたので、これから警察に行ってまいります。お元気で」 「何かあれば、いえ無くても、遠慮なく連絡してきてください」 「ありがとうございます」  力強く自分の足で歩き出した綾乃に、勇気を貰ったように胸が熱くなる。改めて貰った紙片を握りしめ、亮介の名前を何度も心の中で繰り返した。

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