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第5章 雉は忘れられないために啼く 9.身代わりはいらない
頭の上のあたりで、カタッと小さな音が鳴った。
一有は目をあけた。暗闇の中、大きなディスプレイを白い文字が流れていく。三時間以上におよぶ大作映画の途中で眠ってしまったらしい。ソファにころがったまま顔をこすった。黒い影が文字をさえぎって、叶の顔の輪郭だけがみえた。
「……キョウ」
一有は体を起こそうとしたが、叶の手のひらがひたいにかぶさるのを感じて動くのをやめた。
「今帰った?」
叶の指が一有の眉をなぞり、生え際をたどって、髪をまさぐる。体に張りつめていた緊張がすっと抜ける。
「イチウ、ずっとここに?」
「いや、ちょっと思い立って午後に来て……こんなに長く居座るつもりはなかったんだが……」
「そうか」
叶の手が離れた。橙色の間接照明が壁と床で光り、部屋はすこし明るくなる。一有は今度こそ体を起こす。床にリモコンとスマホが転がっていた。着信通知。ふいに頭がはっきりした。
「そうだキョウ、留守電の件」
叶はソファの前に立ち、一有をみおろしている。間接照明のせいか、目の下の影がきわだってみえた。
「水瀬さんとすこし話をしただけだ」
「すこし?」
「……秘書のフライングを看過するのはいただけないと指摘した」
「そうか。その……俺としてはまあ、ありがたかったよ。西條にも会ったのか?」
叶の頬がぴくっと動いた。
「ああ」
「電話ではいわなかったが、あいつ、ここ一度来たといったんだ。これ、本当か?」
「……ああ」
黒い眸がかすかに揺れたが、一有はむしろほっとしていた。変に取り繕ったりされるほうが、よけいな勘繰りを加えたくなってしまう。だから軽い口調でいった。
「すっかり忘れていたみたいだな。おまえも隅におけない」
「イチウ、誤解しないでほしいんだが」
「冗談だ。いっとくが俺は気にしてないぞ。昔おまえが誰と何をしていようが、どうでもいい。おまえがつけこまれなければいいんだ」
「……若気の至りだった」
ぼそっと出た言葉に一有は思わず笑った。
「突っ立ってないで座れよ」
叶は小さくため息をつき、上着を脱いで放った。ネクタイを引き抜いてテーブルに置く。腰を下ろすとソファがみしりと軋んだ。肩に叶の上腕が触れる。
「別荘で会ったアルファが俺を見て、おまえのタイプがわかるっていってたが、西條のおかげで意味を理解した。ちょっと似ているからな」
叶はさっと首をめぐらせた。いぶかしそうに一有をみる。
「何が?」
「西條だよ。おまえ、俺に似た男をひっかけていたな」
半分冗談で半分本気だった。眼鏡の秘書の仮面をとっぱらったオフの西條は、一有に多少重なるところもあった。顔は似ていなくても体型はほぼ同じで、スーツや靴へのこだわりもたぶん同じだ。
ところが叶は驚いたように目を見開き、そのまま固まった。
「おい、キョウ。否定するなよ?」
ふざけた調子で一有は叶の肩を小突こうとしたが、背中に回された腕に阻止された。叶は一有をぎゅっと抱きしめ、肩口に顔を押しつける。低い声が骨を伝って一有の耳に届いた。
「いわれてみればそうなのかも」
一有も叶の背に腕を回し、ぽんぽんと叩いた。
「ああ? 自覚なしだったのか?」
「……そうらしい」
意図せずにビンゴを当てたような気分だった。嬉しいのと照れくさいのと、やはりこんな話はするんじゃなかったという困惑とが混ざりあう。
まったくこのアルファ、どうしてくれよう。
「もう他の男は連れ込むなよ」
俺もしないからと続けるつもりだったが、不可能だった。照れ隠しにからかおうとしたはずなのに、すばやく顔をあげた叶の目つきに言葉が止まってしまう。
「あたりまえだ」
どちらからともなく顔を近づけて、キスをした。
短く重ねるだけのキスを何度も繰り返すうちに、股間に興奮が集まってくる。一有は唇のあいだから侵入してきた叶の舌を迎え撃つように舌をのばす。叶は唇をむさぼりながら指で一有の耳の裏をまさぐりはじめた。
背中から腰にかけて快感がぞくりと走り、一有は軽く腰を揺らす。ベルトのバックルとスラックスのボタンがぶつかり、カチカチと音が鳴る。耳たぶをしゃぶられ、耳穴に舌をさしこまれて、濡れた音で頭がいっぱいになる。力が抜けた瞬間をとらえてソファに倒される。一有は横たわったままシャツのボタンを外し、スラックスのファスナーを下げた。ソファが揺れ、叶の背中が視界から消える。どこかの引き出しを開ける音と、布が落ちる音が響く。一有は脱ぎ捨てた服をソファからはたきおとした。橙色の間接照明に叶の裸が浮かびあがっている。
いつもなら先にシャワーを浴びるぞと文句をいうところだ。でも今はどうでもよかった。早く叶に抱かれて、自分のものだと感じたかった。
この男が好きだ。誰にも渡したくない。
おおいかぶさってきた男の背中に腕を回す。陰茎が擦れあい、先走りの雫で腹が濡れた。叶は指をローションで濡らし、一有の中をさぐりはじめた。一本ずつ指が増えていく。焦らすつもりはないのはわかるが、だんだん我慢できなくなる。
「早く来いって、キョウ。おまえが欲しいんだ」
一有はせがむように体を揺らし、うすく微笑んだ。それがひどく妖艶な表情だと、自分では気づいていなかった。
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