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第6章 郭公の夢路 1.マル、シカク、サンカク、いろいろな形
やけに風が強い土曜日だった。五月二十五日、天気は快晴だが、この風は雨を運んでくるらしく、明日は雨予報である。昨日は曇天だったから、「佐井銀星米寿のお祝い会」は空のタイミングを見計らったように開かれたことになる。
会場は名族会が管理する都心の邸宅で、広大な庭園の中にあった。駐車場を出たところで招待状のチェックと手荷物検査が行われるという、なかなか厳格な警備体制である。
「まさか藤野谷零はまた、厄介なファンに付きまとわれたりしているのか?」
緑の木立に囲まれた歩道で何気なくつぶやくと、叶がすぐ隣を歩きながら「いや、佐井銀星だからだ」という。今日の招待状は叶にも来ていたので――鷲尾崎平良の住まいへ送られていたという――同行することにしたのだ。平良はすこし遅れるらしい。
「そんなにVIPなのか? 紳士録で佐井家なんて、みたことがないが……」
「佐井家はオメガ系だ。名族の影のような家だから紳士録には載っていない。いや、家だったというべきかな。佐井銀星は自分で最後にすると宣言しているから」
叶はさらりといったが、一般人の一有にはどうもぴんとこなかった。ともあれ、今日のパーティには名族が多数招待されているらしく、駐車場は高級車でいっぱいだった。
叶は例によってダークスーツで、一有は鷲尾崎の別荘村に行ったときのセットアップにネクタイという出で立ちである。今日は駐車場で落ちあって、ふたりほぼ同時に車を降りた。叶がこっちをみたとたん、一有はなぜかどきりとしてしまい、サングラスをかけていてよかったと思った。
ゴールデンウィークから約三週間。生活に特段変わったところはないのに、一有の心理には奇妙な変化が起きている。なんだかこの一週間、叶がやけにまぶしいのである。
自分でも気恥ずかしいというか、変だと思うのだが、こうして横を歩いていても妙に意識してしまう。離れていた期間も含めれば叶とは二十年越しのつきあいで、今の関係はそれなりの波乱を乗り越えた結果でもあり、スーツも裸も見慣れていて、今更ドギマギするようなことは何もない――はずが、ゴールデンウィークのあと、叶がしばらく九州に行っていたあいだに、一有自身の認識が微妙に変わったようなのだ。
「お二人とも、おひさしぶりです」
アール・デコ様式の装飾が印象的な正面玄関を入り、受付嬢に招待状を渡していると、藤野谷零があらわれた。正月にメールでやりとりをしたものの、会うのは昨年以来である。アシンメトリーなデザインのジャケットとスラックスがいかにもアーティストといった装いである。
「お招きどうもありがとうございます。盛大な会ですね」
一有の声に、零は嬉しそうな笑顔をうかべた。
「こちらこそ、来ていただいてありがとうございます。最初は身内だけの会にするつもりだったんですが、祖父は交友関係が意外と広くて。それにこんな機会もこれが最後になるかもしれないと思うと自然に……鷲尾崎さんも、どうもありがとうございます」
「申し訳ないのですが、平良はすこし遅れるそうです」
「ええ、昨日のうちにご連絡いただきました。俺も最近初めて知ったんですが、鷲尾崎平良さんは先代がご存命のころ、何度も祖父に会っているんですよね。イチウ君は初めてだと思いますから、まずは紹介させてください。アレックスや三波も来てるし、天もどこかにいるんですが、この会場かなり広くて……」
零は以前会ったときより饒舌で、リラックスしている様子だった。一有と叶は彼について芝生の庭に面した広間を抜け、洗練された身なりの人々のあいだを突っ切っていく。奥から甲高い子供の声が響いてきたが、零がアーチ状の入口をのぞいたとたん静かになった。
「じいちゃん、今いい? 去年俺の絵を救ってくれたスーパーヒーローを紹介するよ」
スーパーヒーロー? 一有はこそばゆくなったが、零はいたって真顔だし、叶も平然としている。ガラス張りの書架に囲まれた半円形の部屋には白髪の老人と、見覚えのある子供がふたり。しかし子供たちは大人をみるなり、そそくさと出て行こうとしている。
「空知、慧、どこ行くの?」
横をすり抜けようとするふたりに零が声をかける。「外!」と叫んだ子はアルファで、もうひとりの子よりすこし小柄だ。
「庭の木の枝折ったりぶつかったりしちゃだめだからね? わかってるね? 警備の人には悪さしたら問答無用で捕まえるようにいってるからね!」
「大丈夫だよサエ」
もうひとりの子供はベータで、アルファの子のあとに続きながら、落ち着きはらった口調でいった。こちらの方が兄貴分らしい。
「そうだ慧、千歳おじさんとアレックスも外にいると思うから、みかけたら呼んで」
「うん」
子供たちが出て行くと部屋は急に静かになった。零は銀星に二人を紹介し、昨年秋の、鷲尾崎家のガーデンパーティでの一件を話した。銀星の背筋はまっすぐ伸び、口数は少ないが、零に向けられたまなざしには愛情がこもっている。黒い目がすっと動いて一有をみる。
「それはそれは。どうもありがとう」
「あ、いえ、職務でしたから……」
気恥ずかしいだけでなく、妙に居心地が悪いのは、一有が祖父母のいる大家族にまるで無縁だからか。うまく言葉がつげずにいると、叶が半歩前に出た。
「佐井先生、はじめまして。先代が長いあいだお世話になりました」
銀星は急に顔をほころばせた。
「先生はやめなさい。鷲尾崎君のところはみんなそうだ、昔から」
叶が話しているのを幸い、一有はそっとうしろに下がった。背中に視線を感じてふりむくと、アーチの下に見覚えのある美貌のオメガがいる。佐枝朋晴――タレントかモデルのような印象的な容姿を一有はまだはっきり記憶していた。そのすぐうしろで目礼した五十がらみのベータは佐枝峡。去年の事件の後、藤野谷家を訪れた際に紹介された、零の兄だ。
「どうも、こんにちは」
「こんにちはー。佐枝さんが招待したっていってたから、アレックスが会えるって楽しみにしてましたよ。さっき庭に出て行ったから、呼びましょうか」
朋晴が気さくな口調でそういうと、零がふりむいた。
「アレックスなら慧に呼んでって頼んだよ」
「慧も庭? 空知と一緒に?」
「そう」
朋晴はぱちぱちとわざとらしくまばたきした。
「まったく、あのふたり、会ったらいつも磁石みたいにくっついてんだから……」
「頼と育は?」と零がたずねる。
「上。シッターさんがみてます」
「慧は空知と一緒に俺の方でみてるから、今日はゆっくりしたらいいよ。子供三人いたら毎日大変だろ? 俺なんか空知だけなのに、たまに戦争だよ」
「ま、大変っちゃ大変だけど、そこまで――」
朋晴はそういいかけたものの、つと峡をみあげてニコッと微笑んだ。
「うん、そうですね。今日は僕が峡さんを独占しますよ」
朋晴は一有と同世代と聞いたから、峡とはかなりの年の差である。しかもベータとオメガで、いったいどんないきさつで夫婦になったのだろうか。
以前紹介されたときも同じように思った気がする――と一有は考えて、ふと、そんな自分の考え自体にひっかかりをおぼえた。もし峡がアルファだったら、年の差など気にしなかったかもしれないと、ふいに気づいたからだ。
広間の方でパタパタッと足音が響いた。
「イチウさん、おひさしぶりです!」
広間の出口でアレックスが手を振った。長身とドレッドヘアに、鮮やかなプリントのワンピースが似合っている。すぐそばにいる男性は朋晴にどことなく似ていたが、アレックスの横ではやけに小柄にみえる。
いろいろな組み合わせがあるものだ――何気なくそう思ったとき、叶がこちらへ戻ってくるのがみえた。朋晴と峡に挨拶して、ごく自然に一有の隣に立つ。
昔もこうだった。聖騎士学園でも、大学でも。それなのに今日はまたドキリとした。一有は自分で自分の反応が不思議だった。仲の良さそうな夫婦に囲まれて、変に意識しすぎているのか。
実をいうとこの数日、一有はひそかに気にしていることがあった。鷲尾崎の別荘地で、叶がいった「結婚すれば――」のひとことである。
自分とは関係ないと思い込んでいた一有は、あの言葉を軽く流してしまった。だが今は……どうだ? なんにせよ、あの日の叶の真意はわからないままだ。
アレックス、それに彼女の夫の千歳と話しながら広間に戻ると、玄関ホールに鷲尾崎平良の姿がみえた。叶が広間にいた名族のアルファに捕まっていたので、一有はひとまず挨拶しようと平良の方へ行った。
「鷲尾崎さん」
「イチウ君、会えるといいと思っていたんだ。実はひとつ、頼みたいことがあってね……」
挨拶もそこそこにそんな話をされ、一有は思わずきょとんとする。
「俺に? なんでしょうか?」
平良は陽気な声でいった。
「一有君のご両親は宝探しのエキスパートだったらしいね。実は私もちょっとしたお宝探しをしなくちゃいけない。キョウとふたりで、手を貸してくれないか?」
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