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第2話
俺の勤め先であるゲイバー「ラクダのオアシス」は、雑居ビルの4F、ガタゴトと揺れる古めのエレベーターを降りてすぐの場所にある。
防音性を重視した少々重いドアを開ければ比較的明るい店内に鍵型カウンターとボックス席があり、明るい笑い声と空腹を刺激するいい匂いが漂ってくるはずだ。
忙しい時にはバイトも雇うけれど、店員は主にオーナーと俺の二人がメインで回している。
大変ではあるけれど、ありがたいことに顔が広い常連さんがいたり、料理とお酒の味の良さが口コミで広まってくれてお客を呼んでくれるからこそ、店の中のことに集中できるからなんとかやっていけている。
……というのはオーナーでありマスターであり俺の親友でもある円藤廉太郎 、通称レンの言葉であり、俺はほとんどただの店員として楽しく働いているだけだから大変さはいまいち実感していない。
ともかくそこは俺にとってのオアシスでもあり、帰ってくる家でもある。
だからこそトラブルを生み出さないように、どんなに寂しくても一夜限りの相手はお客さんから選ばないし、誘いは受けないようにしている。
まあ、とはいえ、狭い界隈だ。
寝た相手が店に来ることもあるし、真剣に付き合ってくれと通われたこともあるけれど、基本的には割り切ってくれる相手を選ぶようにしているからそこまでのトラブルはない。
特に最近は遠くまで足を延ばしてその場で調達するようにしているから後腐れはないはずなんだけど。
「おー、やっときたか……って、お前……え?」
久々の失敗の結果は、店に入った途端のレンの様子で知れた。
小柄な体躯と童顔のせいで若く見られてしまうところを、タトゥーだらけの筋肉質な体とピアスだらけの耳でいかつく仕上げているレンが、いつもの小学生みたいな笑顔を浮かべて俺を見て、そのまま止まった。視線が俺の頭に突き刺さっているのがわかる。
色んな感情が混じったその顔は、困惑、が一番近いだろうか。洗濯物をすべて干し終えた後に泥だらけで帰ってきた子供を見る母親のような顔をしている。
「なんだよその髪。なにがあった?」
「カワイイっしょ?」
とりあえず笑顔と一緒に小首を傾げてみるけれど、窺う目は晴れない。むしろよりいっそう険しくなったようだ。
上着をハンガーにかけ、代わりにソムリエエプロンを巻きながらカウンターの中に入る。その間もレンの視線は俺の髪から離れない。
当然と言えば当然だ。
昨日までは腰近くまであった金髪が、今は色も長さも違うんだから。
背中にかかる髪はなし、首元は涼しく、色は目に優しいミルクティ色。それが俺の新しい髪型。
「後で話すよ」
ともあれその説明はほぼ愚痴のようなものだし、店に来て最初に、しかもお客さんのいるところで話したい話ではない。それで納得してくれたわけではなさそうだけど、とりあえず今は保留してくれるらしいレンがやりかけていた作業に戻る。
その態度に感謝して、手を洗いつつざっと見回したところ、お客さんはいつものメンツだった。
常連のタケさんたちは奥のボックス席を二つ使って盛り上がり中で、俺が入ってきたことにも気づいていない。
そしてカウンターを挟んで俺の目の前にいる常連のムラサキさんは、いつも通り一人で飲んでいる。本来は店の奥のカウンター端が定席だけど、今はタケさんたちが盛り上がっているから避難してきたんだろう。
そのせいでさっきから視線が突き刺さっているわけだけど。
「……なんでしょうか」
実際は見えないはずなのに、厚い前髪の向こうから遠慮のない視線が注がれているのがわかる。マンガかアニメなら、太い矢印がたくさん俺に突き刺さっているはずだ。
質量のないその視線の圧力に、さすがに黙っていられず視線を上げた。
一瞬だけ前髪の隙間から覗いたのは、興味深げなアーモンドアイ。
「あのズルズルの切ったんだ? 原因、男?」
「相変わらず失礼なことをズバズバと言いますね」
人が気に入っていた金髪をズルズルと称し、原因は男だと決めつけるぶしつけさはいつも通り。ずばり当たっているのがまた苛立たしいところだ。
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