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第3話

 年齢不詳の常連「ムラサキさん」は、一年に少し満たないくらい通ってきている人だけれど、最初はただの寡黙なお客さんだった。  それがいつの頃からか、俺に厄介なカクテルを作らせることを趣味とする嫌味な男に変わり、俺の中の好感度はずいぶんと急降下した。  ムラサキさん。  そう名乗っている理由は知らないけれど、わからないのはそれだけじゃない。ほとんどすべてと言ってもいいくらいだ。  普通は常連さんともなるとそれなりに人となりは知れて、大体どれぐらいの年か、どんな仕事をしているか、趣味に恋人の有無くらいはわかるのに、この人は未だ謎のまま。  意図的か寝ぐせなのかはわからない無造作ヘアは緩くパーマがかかったチョコレート色で、厚い前髪が目元を隠している。しっかりした鼻と厚い唇は見ようによってはセクシーな気がしなくもないけれど、全体的な雰囲気で台無しになっている。  身長は俺より少し低いくらいで十分高いはずなのに、猫背と緩い服装のせいでどうにもだらしなく見える。よく見れば厚い胸板や程よく筋肉のついた体をしているんだから磨けばそれなりになりそうなのに、本人にそのつもりはないらしい。  そんなムラサキさんは、見た目通り現在恋人はいないらしく、今のところ募集もしていないらしい。  ムラサキさんがうちの店に来だした約一年前辺りは、ある意味ミステリアスな風貌のおかげでいろんなタイプのチャレンジャーがいたけれど、タイプはいなかったのか全員が撃沈した。そのあまりの素っ気なさに何者なんだという話になって、時間をかけてタケさんが「ムラサキ」という名前と「絵描き」らしいってこと、そしてしばらくは誰とも付き合う気はないということだけを聞きだした。  知り合いで写真家の人がいるけれど、その人も独特な感性の持ち主で、きっとアーティスティックな職業の人は自分のペースを大事にするんだろうってことで、最近は落ち着いてのんびりと一人で飲んでいる。  そのまま静かに飲んだり食べたりしていてくれれば、なにも問題のないお客さんだというのに、そうはいかないのがこの人の厄介なところだ。  とにかく口が悪い。乱暴なわけじゃないけれど、なにが気に食わないのか俺に対してやたらと毒舌なんだ。 「アンタに、身なりの好みを合わせるような相手がいるわけじゃなし、どうせなんか男とトラブったんだろ?」 「あのねぇ、俺のなにを知ってるっていうんですかね、ムラサキさん」 「じゃあ誰かと付き合ってんの?」  俺が特定の誰かとは付き合わないというのは俺を知っている人には常識だし、今回の件はそのものずばりトラブルだし、当たっているからこそ強く言い返せないのが悔しい。  腕力に自信がない分、今までの人生を口でなんとかしてきた俺が、なんでかムラサキさんには勝てないから困る。

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