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第4話
「あ、俺それ持ってくね」
だからこういう時はさっさとこの場を離れるに限る。
ちょうどよく出来上がったオーダーの品に、俺は皿を両手に乗せてお得意のスマイルとともにカウンターを抜けてボックス席へと向かう。
焦げたソースの香りが鼻をくすぐって、こちらまでお腹が鳴りそうだ。
「はい、お待ちどうさまー! レン特製の焼きうどんですよー」
バーにしては珍しいうちの名物焼きうどん。
小腹が空いた時にはちょうどいいそれは、この界隈では美味しいと有名でこれを目当てに人が来るぐらいだ。
そしてオーダーの品をテーブルに並べている時に常連さんたちも俺に気づいたようで、視線が主に頭に集まる。率先してそれを言葉にしたのはタケさんだ。
「あれ、ミケちゃんイメチェン? 可愛いね。前も良かったけど、これも似合ってるよ」
短くなった髪に触れて、爽やかに笑うタケさんがモテるのはこういうところだと思う。
「もー褒め方百点満点っ。だからタケさん好き」
「俺も好きだよミケちゃん。なんなら今夜家来る?」
「あー残念。俺この店のお客さんとは寝ないんだよねぇ」
「それこそ残念。じゃあ気が変わったらいつでも言ってよ。ミケちゃんならいつでも大歓迎」
「冗談。タケさんにはラブラブの恋人がいるでしょう」
流れるように笑顔のトークを交わして、小皿もついでに並べれば、口々に常連さんたちが褒めてくれてあっという間に上機嫌にしてくれる。
ちなみに「ミケ」とは店での俺の名前。
最近は本名である田淵夕の方が呼ばれることが少ないくらいに俺の人生を占めている特別な名前だ。
その名の理由は簡単。捨て猫を拾う癖のあるレンに拾われた俺だから、猫っぽく「ミケ」。ついでに、長身ゆえにタチに間違われることも多いから、名前でネコを示しておくのが手っ取り早いかと思ってそう名乗っている。
あまりにそれが慣れすぎて、たまにホテルのバーテンダーとして雇われている時に、「田淵さん」と呼ばれるとむずがゆくなるくらいには馴染んでいる。
そんな俺とは違って、タケさんはいわゆるモテ筋だ。
普段はジムのトレーナーをしているそうなタケさんは、しっかり鍛えられた筋肉が自慢の有名人で、短髪丸髭で爽やかムキムキときたら大抵の男が放っておくはずがない。だからいつもモテモテで、周りは人でいっぱいだ。
いくら鍛えても一定以上の筋肉がつかない俺には羨ましい話。
「ホント、あの気遣いと優しさは、誰かさんに見習ってもらいたいよ」
カウンターに戻る途中に思わずぼやいた言葉を、宛てた本人が聞き取ったのかすれ違いざま腕を掴まれた。
「別に似合わないとは言ってないんですけど?」
すくい上げるように俺を見たムラサキさんは、ニヤニヤとしか言えないような笑いを口に刻む。
「新しい髪型、この前のズルズル無駄に伸びてたのより全然いいよ」
なぜその厚い唇を、誰かを口説くために使わないのか。
褒める気があるのかないのか、どうやったって素直に喜べないいじり方をされて、ため息をついて軽くなった頭を振る。途中に付け足された無駄な言葉を全部省いてくれれば、褒めているように聞こえるのに。
「ムラサキさんのために切ったわけじゃないから、気を遣わないでいいんで」
なんにせよ、俺にレシピが厄介なカクテルを作らせるのが好きで、それをニヤニヤと楽しげに見ていて、毎日のように来るのにさっぱり身の上を話さないような謎の相手じゃ、ちょっかいをかけられて嬉しいものではない。
嫌うほどでも追い出したいほどでもないから、ただただ厄介な人だと思う。
ともあれその手をほどいてカウンターの中に戻れば、そこにいたのは門番ならぬ逆らえぬマスター。
「じゃあなんで切ったんだ?」
怒っているわけじゃないけれど逃がしてもくれない迫力で、レンが腕を組んで待ち構えている。どうやらタケさんのように軽いイメチェンで納得してはくれる気はないらしい。
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