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第9話
「でも恋人はいいもんだよ、ミケちゃん」
「おっとノロケですか?」
「ははは、ノロケになっちゃうかな」
恋人持ちを公表しているタケさんが快活に笑い、周りからは「ダメダメ、話し出すと止まんないから」「ミケちゃん、悪いこと言わないから戻った方がいい」と愛ある制止が飛ぶ。
なんでも非常に可愛い恋人らしく、モテるタケさんが選んだ相手ということで噂には聞くけれど実際会ったことがある人はいないらしい。
「タケさん、そんなに自慢の恋人なら連れてきてくださいよ。みんな楽しみにしてるんですから」
「いやぁ、ミケちゃんの悪い影響を受けたら困るからなぁ」
「あーそりゃ確かに」
「乗っかり癖ついたら困るもんね」
「えー、ひどすぎません!?」
みんなの中の俺の評価はどういうものなのか、一斉に同意されてつっこみを入れる。
そりゃあ俺自身の体験談は道徳的にはよくないし、決して勧められるものではないけれど、そんな悪の手先のような存在ではないんだから。
恋人がいて幸せそうな様子はいいと思うし、否定も邪魔もする気はない。ただ俺自身がそういう関係性を持つのが無理なだけだ。
だからといって一人で生きていきたいと思うほど人嫌いでもないのだから、せめて厄介な縁を作らないように後腐れない相手を選んでいるんだ。そこは個性として放っておいてもらいたい。
「いやでもオレがこの店の話しするとミケちゃんにも興味津々だし、レンくんの作る焼きうどんも食べてみたいっていうし、いつかはって思うんだけど実はどうにもムラサキくんにも興味があるらしく」
「ムラサキさん?」
微妙に声のボリュームを落とされて、カウンターに一人でつまらなそうにグラスを傾けるムラサキさんを見やる。
なんでも店の話はよくしているらしく、タケさんの恋人さんは正体が謎のムラサキさんに興味を持っているそうだ。
確かにあまたの男の誘いを断るゲイバーの謎の常連客、と言うとなにか物語が始まりそうな気はする。
ただ、あくまで表面をなぞってそういう言い方をすればというだけで、絡まれる俺からしたらそんなに面白い話ではないけれど。
「取られたらたまらないからしばらくは遠慮しとこうかなと思って」
「あー確かに人のものだと欲しくなる性癖持ちもいますもんねぇ」
たとえばムラサキさんが多くの誘いを断っていたのはただ単に好みの相手がいなかったからだけで、その好みの対象が「人のもの」というのだって大いにありうる話だ。
そうなるとタケさんの、というか「誰かの恋人」というのに興味を持つかもしれない。
ない話ではないですな、と深く頷いていると、「おい」と不機嫌そうな声を投げられた。広くない店内だ。しっかりとこちらの声は届いていたらしい。まあ、本気の内緒話ではなかったけれど。
「そんな趣味ないんで勝手にそれっぽく陰口叩くのやめてもらっていいですかつまみ食いの人」
「ちょっと! その言い方だと俺が人のものにちょっかい出す奴みたいでしょ!」
「一夜だけの男ばっか求めてる人がなにを偉そうに」
「ぐぅううー……」
「ミケちゃんは本当にムラサキくんに弱いねぇ」
笑いながら頭を撫でられて、もう一言ぐらいなにか言い返そうとしたけれど、そこで入り口から新しいお客さんが顔を覗かせたから反撃を打ち切った。
だから決して俺が負けたわけじゃない。勝負を預けただけだ。
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