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第11話

 それから、実際に動き出せたのは数時間後の昼過ぎのことだった。  もしかしたらまだ外にいるかも、という気持ちと手元にある写真の単純な恐怖で思考も体も固まってしまって、とにかくここから出ようと決めるまで情けなくもそれだけ時間が必要だった。  数日家を空けられる荷物、というよりかは目についたものをカバンに詰め込み家を飛び出した。  行く当てもなく、結局は店のある駅に来てしまったけれど、まっすぐ店に向かうのもまずい気がしていつも行くのとは反対側の方へ歩いた。  店の近くはどちらかというと繁華街という感じだけど、駅を挟んだこちら側は静かな住宅街だ。あまりこの辺は来たことがなかったから知らなかったけれど、駅のどちらに降りるかでがらりと雰囲気が違う。  突然知らない町に来てしまったような感じに途方に暮れてとぼとぼと歩いていると、小さな公園を見つけた。時間が微妙だからか場所が微妙だからか子供も大人も誰もいない。  とりあえず座りたくなって見回してみてもベンチがなかったため、そのままブランコに向かった。しっかり補強された立派なブランコだけど、あまり乗っている様子がないのはここが少し薄暗いからだろうか。  ……さて、これからどうしよう。  レンに電話して今日は休んだ方がいいだろうか。でも今さらという気もする。そもそも家を知ってるのなら直接訪ねて来ればいいのに、どうして写真なんて渡してきたんだろう。 ただ、家を知っているとアピールするため? それとも他になにか目的があるんだろうか。  誰が、どうして。 「なにしてんの、こんなとこで」  見知らぬ相手の得体の知れなさに息が詰まりそうになったその時、突然声をかけられて驚きに握っていた鎖が音を立てた。  弾けるように顔を上げて見つけたのは、公園の入口に立っている意外な人物。 「……ムラサキさん、こそ」  店に来る時より数段ラフな格好で、片手にビニール袋を提げて俺を見ていたのはムラサキさんだった。  着古したシャツに緩めのスウェット、そしてサンダルと、休みの日のおっさんって感じの格好なのに微妙にオシャレに見えるのはなぜだろうか。  でもその姿を見て、ほっと息がつけた。  いつもは話しかけられるとどきりとするその姿を見てこんなに安心することがあるなんて思わなかった。 「俺はコンビニ。家あっちだから」 「え、あ、そうなんだ」  あっち、と指さされたのは駅とは反対の方向だけど、その言い方からしてそう遠くもなさそうだ。ずいぶんとラフな格好だと思ったら、どうやら自分の家の近所だかららしい。  この辺りなんだったら店まで歩いていける距離じゃないか。  まさかそんなに近かったなんて想像もしていなかった。  詳しい住所は別として、それぐらい話題にしてもいいのに、と近づいてきたムラサキさんに一言くらい言ってやろうとしたけれど、真正面から見る瞳にぶつかって先手を取られた。 「それよりそっちは」  しかもその言葉でほんの少しだけ忘れていた自分の事情を思い出して気分が落ち込む。  家が近所のムラサキさんとは別に、俺がここにいるのは明らかにおかしくて、それを問われて開きかけていた口を塞いだ。 「……なんかあったのか?」  窺うその声に、なんにもない、とは即答できなかった。  店の中だったらもうちょっとうまく返答できたのかもしれない。だけどまさかこんなところでムラサキさんに会うとは思わなかったから、スイッチが上手く切り替わらない。  それでも一応しらばっくれてみようと「なんで?」なんて笑って見せたら、視線を合わせるように目の前に腰を落としたムラサキさんが小さくため息をついた。厚い前髪が少しだけ揺れる。 「顔色悪いし、表情が硬い。そもそもアンタがこんなとこで時間潰してるのがおかしい」 「相変わらずズバズバ言いますねぇ」  常連さんは店が始まる時間も知っているし、普段の俺の様子も知っているから、変に思ったらしい。苦笑いでも笑えたことで、少し気が解れる。 「また男か? ケンカでもしたのか?」  寝不足のせいもあって、たぶん弱っていたんだろう。大した言い訳も反論も思いつかず、ただ俺は肩をすくめた。

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