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第16話
「え、ムラサキさんマンガ家なの!? ていうか絵うっま!」
なんにも知らない、という俺の言葉に応えて見せてくれたこれは、わかりやすい名刺代わり。
細かいことはわからないけれど、それでもわかるのはかなり絵が上手いんだろうということ。髪や服の柔らかな感じや、グラスの中のお酒の少しとろみのある感じがよく出ている。
ぼんやり想像していたものとは違ったけれど、確かに絵描きさんだ。
自分に絵心がないからか、アート方面のクリエイティブな職業は特に尊敬してしまう。
「もしかして、これこいつ?」
そんな俺と違って、レンが注目したのは描かれた絵の人物像の方。
長い髪を緩く結んだバーテンダー姿のその人。
かなりマンガ的で似顔絵ではないからそっくりというわけでもないけれど、確かに俺と言われればそう見えなくもないかもしれない。
「……まあ、多少はモデルにした」
「え、そうなの? これどういう話?」
向こうを向いたままのムラサキさんは、ぼそぼそと呟くように肯定してくれて、改めて画面に視線を落とす。それと同時にレンが画面に指を滑らせると、次のページが現れた。
「……悩み相談されたバーの店長が、大体のことをセックスで解決する話」
最初のページからいきなりのエロシーン。
今表紙に映っていた主人公らしき男が男に抱かれて喘いでいる。よっぽどひねくれた目で見なければ、男同士のセックスにしか見えない。それにしてはずいぶん綺麗だけど。
「あー……いわゆるBLってやつか?」
「まあ、そう」
軽く目を通すように指をスライドさせるレンの言葉に、むっつりと膨れた顔がより向こうを向く。
マンガの詳しいことは知らなくても、BLはさすがに知っている。ボーイズラブ。男同士の恋愛を描くものだ。
そういうものは女性が描くものだと思っていたけれど、少女マンガを描く男も青年マンガを描く女もいるそうだから、BLを描く男がいてもおかしくないのだろう。
実際、そういうものを目当てに女の子たちがゲイバーにやってくることもあり、そういう人たちを受け入れる観光バーというものもある。男だけのうちと違って、一見さんや女性、男女のカップルなんかも入れる初心者歓迎の観光地と割り切って楽しめるバーでは、BLが好きという女性も来るそうだ。
「あ、だからか!」
そこまで考えて、あっと思いついた。
気まずげに視線を逸らすムラサキさんがうちに通っている理由。
「なんで恋人探すわけでもなく誰かと交流するわけでもなく、俺のことからかってるのかと思ってたらネタ探しだったんだ。納得。すんごい納得」
もちろん普通に飲んだり食べたりするための行きつけとして利用しているのもあるとは思う。だけど自分のことを知ってもらうために喋ったり、誰かといい仲になろうとしなかったのは、ノンケだったからなのか。
こだわりがないくせにやたらといろんなカクテルを作らせたり、静かに飲んでいる割には話を聞いていたりしたのも取材のようなものだと思えば納得できる。
もちろんそんな風に使われたことを愉快には思わないけれど、普通の務め人ではないと思っていたし、絵描きというのは具体的になんだろうと思っていたその謎が解けてすっきりした思いの方が強い。
「そっかー。ムラサキさん、ノンケだったのか。そりゃ誰が誘ってもなびかないはずだ」
「確かに、どのタイプも断ってたもんな。……まあ、そうやって見りゃ普通に女にモテそうだしな」
ネタ扱いに対して不愉快さを出してもいい場面なのかもしれないけれど、俺もレンも強く納得してしまったからそれ以上はなにも言えなくなる。
そもそも最初からマンガを描くための取材だと言われたら、どういう態度を取っていたかわからないし。
「まあだから、ネタにしたお詫び。プラス、モデル代ってことで」
スマホを引っ込めポケットに突っ込んでから、ムラサキさんは早口で俺を助けてくれる理由を並べた。
知らないうちにモデルにされていた償いとでも言うのか、そんな提案を持ち掛けられて再度考える。いや、無償の親切と比べてギブアンドテイクなら悩む必要はない。
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