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第18話

 そしてその後、いつもと同じように店を開けて仕事をし、それからいつもよりもだいぶ早めにムラサキさんに連れられて店を抜け出した。  一応お客さんにもらったキャップとレンのジャケットで軽い変装をしている上に、先に出たムラサキさんに周りを確認してもらっている。とはいえ遠くから見られていたらわからないし、目立たないように喋らず駅へと向かう。  まだ終電までには時間があるからか、辺りにはまだ飲み足らなそうな人たちが店を探すように歩いていて、見慣れた景色が少し違うもののように見えて変な感じがした。なんせ普段ならまだまだ店を出るような時間じゃない。こんな時間の風景、見慣れなくて当然だ。  そんな中を、人ごみに紛れるようにして駅の反対側の出口に向かい、そこからも遠回りをしてムラサキさんの家へ向かった。  繁華街である駅の反対側とは違い、住宅街の辺りは一転して人気がなく、家の明かりは点いているもののなんとも静かなものだ。  そんな住宅街をどれぐらい歩いただろうか。  遠回りをして辿り着いたムラサキさんの家は、予想に反して古いアパートの一室だった。いや、むしろ昔のマンガ家が住んでいそうな家と言えなくもないのか。  一階の奥から二番目。奥の部屋は真っ暗で、手前の部屋は電気が点いている。二階もちらほら点いているから、わりと夜型の人が多いのかもしれない。 「どうぞ」 「おじゃましまーす」  鍵を開け、電気をつけて中に入るムラサキさんに続き、ドアを閉めて上がらせてもらう。  右手にあるキッチンは意外にもちゃんと料理をしているのか使っている跡があって、そんなところに漂う生活感に少しだけドキドキした。 「汚いけど」 「あれ、結構広いんですね」  キッチンと隣の部屋を繋ぐ引き戸は明け放したままで、そちらの電気が点けば奥にもまだ部屋が見えた。1LDKというよりかは2Kという感じだろうか。  仕事部屋にしているんだろう手前の部屋は、フローリングで隅にパソコンが置かれ、その隣の本棚には本がぎっしり詰め込まれている。部屋の真ん中、少し壁寄りに低いテーブル。その下に敷かれたラグが、毛足が長くて気持ち良さそうなのがなんだか意外だ。  その奥にあるもう一部屋は少し狭く、和室だけれどその印象を消すように真ん中に大胆にローベッドが置かれている。シングルよりかは大きめに見えるから、セミダブルくらいだろうか。間にある仕切るための引き戸が全部開けられているために一続きの大きな部屋のようだ。  てっきりコンクリート剥き出しの寒々しいアーティスティックな部屋に住んでいると思っていたから、この生活感のある部屋はどうにも予想外だ。 「適当に座って」  言い置いてキッチンに向かうムラサキさんは、当たり前だけどこの部屋の様子に馴染んでいて、それを不思議な気持ちで見ながら壁を背にしてラグの上に座った。  パソコンラックの隣にある本棚には趣味なのか資料なのか色んな種類の本が並んでいて、あまり詳しくない俺でさえ知っているようなマンガも揃っていた。なんだか高校の時に友達の家に遊びに来た感じを思い出す。 「ミルクと砂糖は?」 「え?」 「コーヒー」 「あ、両方たっぷりで」 「マジか」  どうやらコーヒーを入れてくれていたらしいムラサキさんの問いに答えたら、信じられないという返しをされて、その声色の原因はテーブルに置かれたカップの中を見て知れた。ムラサキさんはブラックで飲む人か。  しかもちゃんとお客さん用のマグカップが用意されている辺り、俺の家より数段社交性のある家ということだ。俺の家には自分用の食器しかない。 「いただきます」  熱々のコーヒーは後からミルクと砂糖をたっぷり注がれたせいで溢れそうなほどいっぱいで、右手を添えて口元まで運び、啜るようにして一口飲んだ。 「あつっ、あまっ!」 「だろうな」 「でもこれはこれでおいしい」  入れたてのコーヒーは舌が痺れるほど熱く、外国のお菓子のように甘い。だけどそれが、ムラサキさんが俺のリクエストに従って作ってくれたものだと思うとなんだか美味しく感じた。  それにどちらかというと、そのブラック具合で眠れなくならないのかという方が気になる。

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