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第20話

「これでも力仕事で結構筋肉ついてるんですけど?」 「そのわりにはサラリーマンに簡単に押さえ込まれたんじゃなかったか?」  ああ言えばこう言うというか、打てば響くというか。  俺の事情を色々と知っているムラサキさんにはやっぱり口で勝てそうになくて言葉を返す代わりに歯噛みしてしまう。 「心配しなくても、夕に襲われるほどひ弱じゃないんで」  確かにマンガ家というアクティブとはいえない職業についているわりにはムラサキさんは胸板が厚く、筋肉もそれなりについているように見える。筋トレでもしているのかその厚みは男らしく、意外な力強さに女の子がきゅんときてしまうやつだ。  それがわかってしまうからろくに言い返すこともできずに口をつぐむしかないわけで。  本来なら俺が安心させるために言ったことなのに、なんでこんな悔しい思いをしなきゃならないんだ。  とはいえ対抗するために押し倒す気もなく、むしろそんなことをしたら逆襲された上に家を追い出されそうだから黙ったままでいることにした。さすがに今日は家に帰りたくない。 「とりあえず俺はやることがあるからその間に風呂入ってこい」 「あ、仕事?」 「そう。半日分溜まってる」  半日とはつまり、俺に付き合っていた時間分ってこと。  そういえば公園で俺に会った時はコンビニ帰りのようだったし、作業中のちょっとした息抜きだったのかもしれない。それがそのまま俺と店に来たことによって時間を取られたせいで、本来片付けるべき時にやることをこなせなかったのだろう。  ついでに言うと、ここに俺がいると集中できないだろうし、その申し出を受けるのはやぶさかではない。俺だって別に邪魔したいわけではないのだから。 「じゃあ遠慮なく」  さすがに持ってこなかった寝る時用の着替えを借りて、ユニットバスではないお風呂に入らせてもらった。  お湯を溜める音は響きそうだし時間がかかりそうだから、とりあえずシャワーだけ。いちいち聞くのは悪いから、シャンプーも勝手に借りてしまおう。  そんな感じに、ずいぶんと洗いやすくなった頭を洗いながらふと考えた。  あれ、今日、俺って抱かれるのかな……?  いつもの当たり前の流れだったら、シャワーを浴びたらそのままベッドに直行だ。だってそのために男と会って、そのためにシャワーを浴びるんだから。  でも今日はそうじゃない。そういう目的で家を訪れたわけじゃない。  ……だけどムラサキさんは俺をそういう男と知っていて家まで連れてきたんだ。お手軽に寝られる男だと思ってるだろうから、そうなるのも代償のようなものじゃないだろうか。  なんせ趣味じゃない男と寝た結果がこうなっているのであって、ならば俺は断われるような立場ではない。 「でも、それはちょっとなぁ……」  いくらその日に会ったばかりの相手と数えきれないくらい寝てきたとはいえ、それはその瞬間の快感のためだ。その場で終わりの、そのためだけの相手。だから体を繋げることに他に意味はない。  でも、顔見知りと寝るのはそこになにか関係が生じそうで好きじゃない。したい時にわざわざ相手を探さずともいいようにセフレを作ろうとしては思いとどまるのはそこだ。  気持ちなんて、生まれてたまるか。一日で忘れるような相手がちょうどいいのに。 「……でもまあ、そうなったらそうなったでしょうがないか」  実際そうなったときに、いや、終わった後に考えればいい。  そう決めて泡を洗い流し、手早く他も洗い終えて風呂を出た。体がさっぱりして気持ちもだいぶさっぱりした。どうやら俺は思っていたより色んなことに取りつかれていたらしい。 「お風呂どうもでした」  声をかけながら戻ると、ムラサキさんはパソコンの前に移動していて、考え込むように頬杖をついていた。あまり集中できていたようには見えない。  シャワーの音がうるさかったのだろうか。それとも人がいる気配に気を散らされたか。  俺の声に振り返ったムラサキさんは、髪を掻き回すように乱してパソコンの画面を消してイスを下りた。 「とりあえず俺も風呂入ってくるから適当にやってて」 「背中とか流す?」 「じっとしとけ」  そう言い置いて、クローゼットから服を掴みだして風呂場へ行ってしまった。

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