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第34話
「わお」
満を持して、なんて言い方はどうかと思うけれど、それでもやってきたその日、俺は少しばかり珍しい仕事場についていた。
訪れたパーティーの会場は、デート場所としてもよく使われる港に泊まるレストランシップ。
普段はロマンチックな夜景とディナーを提供してくれるクルーズ船で、今回は貸し切りでのパーティーだそうだ。
想像はしていたけれど思っていた以上の豪華な内装に、思わず声が弾む。
普段だって豪華でオシャレな環境で働いてはいるけれど、これはまた違った迫力があってテンションが上がる。
メインの会場である室内とは別に、デッキにもカウンターが作られていて、大迫力の夜景とともにお酒が楽しめるようになっているらしい。
俺が担当するのはそのデッキ側と聞いた。
今日は大人しく真面目なバーテンダーを心がけるつもりだけど、いいシチュエーションに酔った男が引っかかるといいなぁとはこっそり思っておこう。
「ん? ということはもう一人いるのか?」
俺がデッキ側ということは中のカウンターにも人がいるということだ。
まだ時間があるし、自分の持ち場に着く前に挨拶を兼ねて会いに行ってこようかなと行く先を変えた時だった。
「おや」
どこかで聞いたことのある声がして、振り返ればそこにいたのは意外な人。
「この前はどうも」
「あ、あの時のバーテンダーさん……!」
あいにくと仕事じゃないときの記憶力はあまり誇れたものじゃないんだけど、そのテクニシャンそうな指は覚えている。
あの時、イケそうだったのに邪魔が入って逃がしたバーテンダー。
ケチが付いたあのホテルには近づかないようにしたためにもう二度と会うことはないだろうと思っていた人と、まさかこんなところで再会するとは。
驚きに言葉が出て来ず、頭に手をやってふと気づく。
さっぱりしている首筋。そういえばそうだった。
「よく俺のことわかりましたね。全然違うでしょ?」
よく考えたら目立つ金髪はあの時切り捨てたし、髪型も髪色も違うというのによく気づけたものだ。俺だったらたぶん通り過ぎても気づかない。
だけどその人は「わかりますよ」と事もなげに言って笑った。
「職業柄、できるだけ人は覚えるようにしてますから。それに」
小さな手招き。それから周りを気にしながら耳に口を寄せられ。
「髪型が違うくらいじゃ忘れないよ。あの時さっさと連絡先を聞いておくんだったって後悔したからね」
そう、こそりと囁かれ、幸先の良さに思わずにやついてしまった。
どうやら彼も彼で俺のことが気になってくれていたらしい。やっぱりあの時も大人しくこの人を選んでおくべきだった。
「改めて、藤沢 です。バーテンダーしてます」
「あ、田淵です」
なんて、おちゃめな感じにちゃんとデザインされた名刺を差し出されて、反射的にこちらも名刺を差し出す。こちらは見事な対比とも言えるほどシンプルな名刺。
それを受け取った彼――藤沢さんは、とりあえず場所を移そうと俺の腕を取った。そして歩き出してすぐ、何気ないようすで距離を近づけその話題を持ち出した。
「そういえば、この前の男が次の日に君のこと聞きに来たけど、なにかあった? 必死に探しているようだったから気になったんだけど」
「うわ……」
ここが今日の職場じゃなかったら、遠慮なく悪態をついていたところだ。
やっぱりそういうことをしていたのかと想像するだけで顔が歪む。
そしてこういうとき本当に自分の生活圏内で飲んでなくて良かったと思う。
「大丈夫? なにかトラブルがあるなら相談に乗るよ」
「いえ、たぶん大丈夫です。すみません、ご迷惑をおかけして」
「迷惑というか、心配でね。美人は変な奴に好かれて大変だなと」
「やだなぁ。褒めてもなにも出ませんよ?」
「本心を言ってるだけだよ。頼ってほしいのも本心」
どうやら仕事の後の予定は決まりのようで、じゃあまたあとでと挨拶をしてそれぞれの持ち場に向かった。
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