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第54話
でもやっぱりそのやりとりを詳しく説明できないしどろもどろの俺を、先輩は片膝立ててそこに肘を乗せて楽し気に眺める。
高校の時の俺の願いだった先輩との朝は、現実になった今、違う意味でドキドキが止まらない。
「ふぅん。それなら、俺とは名字で呼び合う田淵くん。他には誰に名前で呼ばれて、誰と距離を縮めようとしたんだね?」
「え?」
「コレ」
まっすぐと指で差されたそれは俺の胸元。その指先を追って視線を落とせば、はだけた胸元に小さなうっ血。
その印に気づいて、今度こそ思いきり血の気が引いた。
「恋愛に向いてないとか言っといて、えっろいもん付けてるじゃん? ん?」
「あ、いや、これはそういうんじゃなくて、ですね」
ムラサキさんがつけたキスマークだ。まだ消えていなかったのか。
「胸元のキスマークは独占欲と威嚇の意味っていうけど、相手を嫉妬させるようなことしたのかな? 悪い子ちゃん」
ニヤニヤと、妙に色気のある笑みでキスマークをつつく先輩に、なにも説明できず、口を開けたり閉めたり繰り返す。
それをつけた主は先輩の弟さんで、それがつけられた理由は俺が男と遊ぼうとしていたからで、先輩が訪ねて来なかったらたぶんそのまま寝てましたなんて、どれ一つとして言えるわけがない。
まるで街中で突然外国人に話しかけられた日本人のごとく必死に、かつなにも喋ることができないでいる俺を見て、先輩は「俺も色っぽい話してぇなぁ」ととぼけて話を終わらせてくれた。
違うんだ。
決して先輩が想像しているような色気のある話ではないんだ。そしてまったく健全でもない。だからこそなにも説明ができない。このジレンマをどうしてくれよう。
「さーってと、田淵、朝飯にする? それともシーズン2にする?」
追い込んだのも先輩なら、茶化して逃げ道を用意してくれるのも先輩で。
ソファーに座り直した先輩から、なんとも選びようのない二択を持ち掛けられて肩から力が抜けた。
本当に、この人には敵わない。
「……先輩、俺とドラマどっちが大事ですか」
少しくらい反撃したい気持ちになって、こちらもにっこりと問いかける。二択で来たなら二択で返してやる。
「うわぁ、ひどいこと言うようになったなぁ田淵は。そういう君にはリアルタイムで進むドラマを最初から視聴する権利をやろう」
「たぶんですけどそれ、1シーズン見るのにリアルで一日かかるやつですよね?」
なんだかんだでキッチンに立とうとする先輩を追って、俺も昼に近い朝飯を用意するためにキッチンに向かった。
朝から心臓に悪い兄弟だ。
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