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第55話
「あれ、なんでここに?」
その夜、こちらだけはいつも通りに働いているホテルのバーカウンターに現れたのは、驚きのムラサキさんだった。ドレスコードを気にしているのか、家やレンの店に来る時とは違ってオシャレ仕様だ。
とは言っても船上パーティーのときほど決めているわけではなく軽くセットした髪とカジュアルなジャケットで大人っぽくしている辺り、わりとTPOに合わせて動ける人らしい。
最初からこのバージョンでいてくれれば、俺だってもう少し好意的に見れたというのに。
それでも先輩の弟だとわかったからか、なんとなく可愛らしく見えてしまう辺り、俺も都合がいい。
「兄貴に迎えに行けって言われた」
「先輩に?」
あまり面白くなさそうな顔でカウンターの端に座るムラサキさんは、どうやらおつかいを頼まれた弟らしい。
今日は何時になるかわからないから気を付けて帰れと出かけに言われたけれど、心配し足りなくてわざわざムラサキさんに迎えを頼んでくれたのか。
先輩も先輩だけど、わざわざ来てくれるムラサキさんもムラサキさんだ。嬉しいけど、なんとも過保護な兄弟だな。
「顔緩んでるぞ」
「そうですか?」
俺の内心が読めるのか、愉快ではなさそうな指摘を受け、背筋を伸ばして真面目なバーテンダーを装う。せっかくムラサキさんが普通のお客さんぶって来てくれたんだから、しっかり仕事をこなさねば。
「マルガリータ作って」
「かしこまりました」
場所に合わせたのか、ムラサキさんのオーダーはいつもとは多少違うもの。
マルガリータはスノースタイルで作るのが定番だ。グラスのふちをライムで湿らせ、塩を入れた皿に付けて塩をふちにつけたらグラスの用意はオッケー。
あとはテキーラとホワイトキュラソーとライムジュースをシェーカーに入れてシェイク。用意したグラスに注げば完成だから難しくはない。けれどレンのバーではいちいちスノースタイルなんてしないから、やっぱり雰囲気に合わせてくれたのかもしれない。
「やっぱいいな、夕がシェーカー振ってるの」
途中でムラサキさんがカウンターに頬杖をついたままそんなことを言うものだから、若干動揺してぎこちなくなったのはナイショだ。
結局そうやってお客さんとして俺が終わるのを待ってくれて、一緒に帰ろうということになったんだけど。
一つ思い出したことがあって、寄り道をすることにした。
ムラサキさんには眉をひそめられたけれど、一人ではないし、短い時間だから大丈夫だろうと俺が押し切った。
そういうわけで俺は、ムラサキさんとともに久しぶりの我が家へ戻ったのだった。
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