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第62話
「そういえば、これ届いてたよ」
「俺に、ですか?」
……警戒はしていたつもりだった。だけどまだまだ甘かったらしい。
表向きの職場であるホテルのバーカウンターにて、のんびりとお酒を嗜んでいたお客様を見送った俺は、そう言って封筒を渡された。
ホテル宛に送られてきたらしい。
そんなことは普段ないから、「田淵夕様」と名前の書かれたそれを、首を傾げながら受け取って気づいた。
あの封筒と同じものだ。重さはあの時と違ってだいぶ軽い。
似ているだけだと思いつつも、封筒を持つ手が震える。だって、なんでここに。
後をつけられた? でもどこから? なにかで知られた? なにから? 先輩の家は? どうしてここに?
パニックになりそうな気持ちをなんとか抑え、大きく息を吸ってから思いきって封筒を開けた。
「……っ」
出てきたのは写真が数枚。
その一枚目を見た瞬間、最初の時よりも強い衝撃を受けた。
そこに映っていたのは俺と、そしてムラサキくんだった。
俺の家の前。一人で外で手紙を確認しているムラサキくん。荷物を持った俺と合流し、タクシーに乗り込むまでがしっかりと写されている。
いたんだ。あの時に近くにあいつが。そして見られていた。俺がムラサキくんと一緒にいるところを。
そしてそれを見ていたと、俺の仕事場に送ってきた意味。
「……っ、は、はっ」
呼吸が乱れる。手が震える。
これは、ダメだ。
俺だけならまだいい。でもこれはダメだ。ムラサキくんはダメだ。
俺のせいでムラサキくんに害が及ぶなんて、絶対ダメだ。
「大丈夫? 顔真っ青だよ?」
言われて、自分がうまく呼吸ができていないことに気づく。たぶん今、ひどい顔をしている。
「すみません、申し訳ないんですが今日は帰らせてください」
まだ終わりの時間には早い。
それでもお客様は引いているし、よっぽど顔色がひどかったのか「早く帰った方がいい」と勧められてお礼を言ってその場を辞する。
……これ以上逃げていたらダメだ。
本人に直接会って、なんとしてでも解決しないと。
そう決めた俺は、手早く着替えを終えるとそのまま自分の家を目指した。どうせホテルがバレているなら直接行ったって構いやしない。
俺の家を見張っているのならその辺りにいるのだろうし、いなくても家にいたらそのうち来るはずだ。その時に返り討ちにしてやる。
自分の家に向かう道すがら、怒りが恐怖を上回って、握りしめていた封筒がぐしゃぐしゃになっていく。これ以上ちまちまとちょっかい出されたくない。なによりわざわざムラサキくんのことを示してきた写真に腹が立った。
たかが一回ヤったくらいでこんなに執着するなんて、どんな思考をしてるんだ。会ったらまず、人に変な夢を見るなと怒鳴ってやるんだ。
そう息巻いていた俺は、家に着き、階段を上っている途中で電話が鳴っていることに気づいた。画面に出ている名前はムラサキくん。
『夕? 今どこにいんの? なんか具合悪くて帰ったって言われたんだけど大丈夫か?』
少し迷ったけど電話に出たのは、余計な心配をされたくなかったから。
どちらにせよ心配をかけると思うけど、それでも無事で、なんでもないんだと言うことだけは一応伝えておかないと。
「あー迎えに来てくれたのかな、ごめんね。大丈夫。今はえっと、実はちょっと取りに行くものがあって……」
『は? まさか一人で家行ったのか?』
案の定声に剣呑さが混じって肩をすくめる。怒られると思ったけど、写真のことは言いたくないからできるだけ明るい声を出す。お叱りは後で受けるから、今は大人しく家に帰ってほしい。
えっと、鍵はどこだっけと探りながら心配するムラサキくんに答える。やっぱり出ない方が良かったかな。それとも居場所を嘘ついた方が良かったか。
あ、鍵あった。
「大丈夫、すぐ帰るから。心配しないで……っ」
油断、だ。
電話に気を取られながら鍵を開け、ドアを開けた瞬間背中を強く押された。
よろけて家の中に踏み込んだタイミングでもう一度強く肩を押され、横向きに倒れ込んだ時に頭が勢いよく床に打ち付けられた。その衝撃でスマホが滑るように手を離れ、なすすべなくその場に倒れ込む。
途切れ行く意識の中で認識できたのは誰かの影と、玄関の鍵が閉まる音だった。
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