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第65話
「とりあえずこの完全ノックアウト状態を見れば少し気が晴れるか? ……おっと、悪い」
それを足先で突いた先輩が、自分が靴を履いたままだということに気づいて慌てて脱いだ辺り、冷静なようでいて焦っていたのだろう。
なんだかまだ自分に起こったことが信じられなくて思考が散り散りだ。
「あの、ありがとうございます。なんでここに?」
「ホテルに迎えに行ったら帰ったって言われてさ、紫苑が電話かけたら不自然に声が途切れて変な音がしたっていうからもしかしたらと思って慌てて駆け付けたんだよ。鍵があって良かった」
二人で迎えなんて大げさなとは思ったけれど、この事態の後ではそうしてくれて良かったと感謝しかない。
「悪い。チェーン引きちぎった」
そして気まずそうに謝るムラサキくんに、玄関を見ればドアが開けっぱなしになって千切れたチェーンが垂れ下がっている。どうやら二人がかりでドアを引っ張って強引に開けたらしい。
先輩のところみたいにセキュリティがちゃんとしてなくて良かったと、場違いに笑えてしまった。
「あーとりあえずこいつは警察に突き出して」
「あ、あの! 警察はちょっと……」
「ダメなのか?」
「いえ、その、前にも同じようなことがあって、あまりまともに取り合ってもらえない上に結構嫌な思いをして……あんまり関わりたくなくて」
恐い思いはしたけれど、隠し撮りや変な手紙を送られたくらいで、後は今無理やり襲われたくらいで実際にはヤられていないし、家に入ったのだって無理やりとは少し違う。なにより女の子だったらもっと問題にすべきだろうけど、俺はか弱くもない男で、正直普段から俺の生活は褒められたものではない。
そうなるとどうせ警察を呼んだって大した罪にはならないし、嫌な思いをする方が大きい。
先輩たちを巻き込んでしまった俺が言えるわがままじゃないかもしれないけど。
「ここまでやられりゃあ立派な事件なんだけど……まあ、あんまり騒ぎにしたくない気持ちはわかる」
だけど先輩は腕を組んで少し考え込んでから、渋い顔で頷いた。
「あー、つまりあまりゴタゴタしなければ捕まってもらっていいってことだな?」
「え、は、はい。でもそんなの」
無理では? と当然の疑問を持つ俺と、ついでに俺のことを抱きしめたまま離さないムラサキくんにひらひらと手を振って、先輩はどこかに電話をかけ始めた。
「わかった。こっちは任せろ。紫苑、田淵のこと病院に連れてけ」
「でも先輩」
「人呼ぶから大丈夫。こいつにはもう田淵に近づかないようにさせるし、ついでにドアも修理の話つけとくし、必要ならお隣さんへのフォローもしとくから」
「先輩、なんでそんなにかっこいいんですか……」
まだ頭が働いていないこと以上に普通でも思いつかないことを全部引き受けてくれると言う男前の先輩に、改めて惚れ直しそう。いや、むしろ完璧すぎてただただ憧れる。やっぱり先輩は俺の憧れの人だ。
そんな尊敬の視線を受け、先輩は小首を傾げて妙に可愛らしく微笑んだ。
「ま、可愛い後輩と可愛い弟のため、かな。あ、もしもし粟島です。はい、この前相談に乗っていただいた件で……」
誰かと繋がり話し始めたことでこの話題は終わり、ともう一度手で追い払われる。
確かに俺がここにいてできることはないし、ありがたくお任せして退散することにした。
俺が着替えている間にムラサキくんが濡らしたタオルを持ってきてくれて丁寧に当ててくれる。やっぱり優しい。
「頼むぞ、紫苑」
「ん」
そして先輩はデキるサラリーマンらしく電話の向こうに耳を傾けながらも、口パクでムラサキくんを呼び車の鍵を渡す。それをムラサキくんは神妙な顔で受け取って頷いた。
行き際に見てみれば、倒れ伏した犯人はしばらく動きそうな様子はなく、人を呼ぶといっていたから任せて大丈夫だろう。
「ちゃんと調べてもらえよ。あと、診断書もらっとけ!」
最後の最後まで必要な注意を投げてくれた先輩に感謝をして、俺たちはムラサキくんの運転で病院へと向かった。
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