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第66話
一応打ったのが頭だと言うことで検査はしたけれど、こぶができていたくらいで他に異常はなく、もし激しい頭痛や嘔吐なんかの症状が出たらまた来てくれと家に帰された。
とはいえ我が家は今現在帰れる状態になく、なによりムラサキくんがまっすぐ自分の家に向かったからそのままお邪魔することにした。
少しの間お世話になっていただけの家は、いつの間にか我が家よりも安心する場所になっていたらしい。
俺の場所、と勝手に決めていたラグの上に壁を背にして座ると、ムラサキくんのパソコンが見えて嬉しくなった。俺、この光景好きなんだよな。
「とりあえず寝てた方がいい。顔色悪いから」
「大丈夫大丈夫。こぶが痛いだけだから。それより」
わざわざタオルを冷やし直し、保冷剤を挟んでくれたムラサキくんはやっぱり心配性で、受け取りはしたものの一旦それをテーブルに置く。先にちゃんと言いたいことがあるんだ。
「助けてくれてありがとう、ムラサキくん。めちゃくちゃかっこよかった」
「……なんにもできてないからそういうのいらない」
「本当に。来てくれて本当に嬉しかった」
できすぎる先輩に対して若干のコンプレックスがあるらしいムラサキくんは、憮然とした表情のままでうそぶく。でも俺には助けに来てくれただけで十分なんだ。
あの瞬間、ムラサキくんの声がして、それがどれだけ嬉しかったか。言葉じゃ伝えきれない。
でも、なんで二人で来たのかは気になったから一応聞いてみたら、どうやらムラサキくんは代行運転手として連れてこられたらしい。なんでも先輩がバーに行くからには飲みたいと、代わりの運転手としてピックアップされたそうだ。
それは先輩なりの表向きの理由で、本当は先輩の会社に俺の連絡先を問い合わせる電話があったそうで、一応の所属先であるホテルの番号を教えたという報告を受け、その警戒のためにムラサキくんも連れてきたようだ。そのおかげで二人で助けに来てもらえたというんだから、俺はラッキーだったんだろう。
「もー、せっかく先輩に俺のバーテンダーとしての技を存分に見せられるチャンスだったのになぁ」
和やかに三人でお酒を飲める時間を潰すなんて、本当にひどい奴だなぁとできるだけ明るい声で言ったつもりだった。
「夕」
でもムラサキくんに落ち着いた声で名前を呼ばれ、手を掴まれて、自分の手が小刻みに震えていることに気づいた。
「あれ、おやおや? おかしいな、止まんない」
「夕。いいから」
ちょっと待ってね、と笑おうとした顔を伏せるように引き寄せられて。
「もう大丈夫だから」
「……っ」
抱きしめられて、声をかけられた瞬間、一気に目元が熱くなった。溢れ出してくる涙が止められず、ムラサキくんのシャツがじわじわと濡れていく。
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