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第70話

 そうだ。それを言われれば、確かに泣いた。泣いている姿を見せた。泣き虫だとか強がりだとか言われてもしょうがないくらい弱った姿を見せた。  最初はなんで中学生がこんなところに通りすがったんだろうと不思議だったけど、知らない人だったからこそ遠慮なくすがってしまった。  それはすべて、まったく関係ない親切な男の子との、あの一時だけの時間だと思ったからだ。 「まさかあんな怪しい中学生が先輩の弟だったなんて、そんなのわかるわけないじゃん……!」 「気づかれてないとは思ってたけど、そこまで思われてたとはさすがに驚きだ」  詳しいことはぼかしたけれど、それでも弟のムラサキくんだったらすぐにわかっただろう。それが兄であり、俺の先輩である粟島久遠のことだと。  いや、むしろこのマンガの描き方だったら、俺の話を聞くより前に気づいていたことになる。 「……わかってたよ。夕が兄貴以外見てなかったことは。悔しいけど、俺の存在なんかこれっぽっちも目に入ってなかったってことも」  まさかと見つめる視線の先で、ムラサキくんは苦みを混じらせ柔らかく笑った。  先輩への想いは隠していたつもりだったけれど、どうやら見破られていたらしい。それゆえに、いたはずの弟という存在さえ気づかずにいたことさえも。 「兄貴のことをいつもキラキラした目で見つめてて、他のものなんにも目に入ってなくて、それがいいなって思ってた。すごく綺麗に見えたんだ。兄貴のことを見つめてる夕が」 「ムラサキくん……」 「そんな目で見られてる兄貴が羨ましかったし、ずるいなって思った。あの人、いつもなんでも軽々と人の欲しいものを手に入れるのに、それを特別だと思わないんだからさ」 「……先輩は、なんでもできる人だし、魅力的だからみんなに好かれてるもんね」  先輩は太陽みたいな人だから、自分がどれだけ眩しさに気づかない。その上でとてもフレンドリーだから、俺みたいに勘違いする人間がでてきてしまうわけで、とっても罪深い人なんだ。弟であるムラサキくんは、身近でそれを感じていたんだろう。  まあ例に洩れず俺も先輩しか見ていなかったんだけど。 「だから、ごめん。知ってたんだ、一緒にいたのが兄貴の彼女なんかじゃないって。でも意地悪して言わなかった」  確かにあの先輩なら彼女ができたことを隠さないだろうし、弟だったらそれを知っていておかしくない。  ムラサキくんはそのことを謝るけれど、そのおかげで納得した。だからムラサキくんはあんなに親身になって慰めてくれたのか。  あの時の優しさの理由が、全方位じゃなくて、俺だからって理由で、それにはちゃんと下心もあって、それが不思議と微笑ましくて嬉しかった。 「本当は、マンガみたいに都合よく俺に傾いてほしかったし、俺のことを見てほしかった。無理だったけど。ていうかあっという間に姿見せなくなったからマジで焦ったし、あの場で告白しとけば良かったって後悔した」  だから、ムラサキくんの描いたマンガではその先の未来があった。  あそこで知り合って、徐々にお互いをわかり合って結ばれるというストーリーがあったけど、実際はそうならなかった。だからこその「願望」なのか。

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