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2.最初の試験
下級吸血鬼が活動できる時間は、黄昏時から夜明けまで。
太陽が完全に隠された曇天ならば、昼間でも多少は出歩けるだろうが、基本的に太陽はヴァンパイアにとって天敵だ。
天気の良い朝に、ヴァンパイアが人を襲うのは困難だ。
だからといって、ヴァンパイアハンターが朝寝坊をする理由にはならないが。
「ヴィクトリノ大尉、おはようございます。ヴィクトリノ大尉」
ドンドンと、部屋のドアを叩く音で目が覚めた。頭がガンガンする。昨夜は少し、飲み過ぎた。
壁掛け時計を見れば、朝の九時を少しまわったところだった。
はじめ誰の声がわからなかったが、昨日のことを思い出し舌打ちをする。あの、リンドヴルムとかいう竜人の声だ。
なぜ、住処を知られているのだろうか。
「……るせぇな、やめろリンドヴルム。鍵はかかってねぇよ」
そう声をかけると、しばらく間を置いてドアが開いた。
ベッドから身を起こし、寝乱れた髪をすくい上げる。全く、最低な目覚めだ。
「不用心なのではありませんか?」
「男一人だ。何を警戒しなきゃならねぇんだ」
サイドテーブルの上の煙草に手を伸ばす。一本咥えて火をつけながら、部屋に入ってきたリンドヴルムを睨んだ。
昨日と同じ、白の神父服だ。首からは金の十字架を提げている。
白い服は、神に仕えるものか、結婚式でしか身につけることは許されない。少尉相当官の従軍神父だと言っていたが、たしかにその姿はヴァンパイアハンターや軍人というより神父のそれだった。帯剣していなければ、誰も彼を軍人だとは思わないだろう。
自分の住処である安宿の一室に、白い神父服を身につけた竜人が居るのは、妙な気分だった。まるで、おかしな夢でも見ているかのようだ。
リンドヴルムはセスが脱ぎ散らかした下着を見つけて、一瞬ギュッと目を瞑った。そして露骨に顔を逸らす。
「もしかして、その毛布の下は裸ですか」
「ああ……」
「信じられません。全裸で、鍵もせずに寝るだなんて」
「うるせぇな。寝起きに押しかけておいて、お説教かよ」
煩わしさに語調がきつくなるが、内心ではたしかに下着くらいは身につけておけば良かったとは思った。酔っていると、つい全部脱いでベッドに入ってしまう。悪い癖だ。
「そこのチェストに、着替えがあるから取ってこい」
煙草の先で示した方には、宿の据え付けのチェストがある。
顎で使われたリンドヴルムはぐりっと目を見開いて、瞬膜で数回瞬きをした。爬虫類らしい目だ。
渋々といった様子で、チェストを開ける。几帳面に折りたたまれた肌着と下着が入っているはずだ。
この街に来て二年になるが、セスはずっと宿屋住まいをしていた。掃除や洗濯は、別料金を払い宿の従業員にさせている。家事をするのは苦手なのだ。
もし借家で独り住まいなら、部屋は荒れ果て、チェストの中身はぐちゃぐちゃに丸めたものが押し込まれていただろう。
「……はやく、着替えてしまってください」
着替え一式を綺麗に重ねてセスに手渡すと、リンドヴルムはくるりと後ろを向いた。
別に男同士、肌を見られて困る訳ではないのだが。
煙草を灰皿に押し付けて、セスは受け取った服を身につける。
こちらに背を向けたリンドヴルムの、上着からはみ出た尻尾が左右にゆらゆら揺れていた。
「で?こんな朝っぱらから、何の用なんだよ」
「もう九時ですよ。朝っぱらというような時間ではありません。それに、言ったでしょう。私は貴方の補佐として、この街のヴァンパイア問題を解決するために首都から派遣されてきたのです。さっそく街で調査を」
「はあ?……勘弁してくれ、テメェは街で聞き込みでもする気だったのか?」
「何か問題でも?」
仕事着の軍服に着替え、セスはベッドを降りる。
その気配にようやくリンドヴルムも振り返った。やはり、竜人の表情はわからない。だが、なんとなく浮き足立っているのは分かる。
熱意があるのは結構だ。だが、それに巻き込まれる身にもなって欲しい。
「……朝飯を食いにいく。ついてこい」
「私はお腹は減っていません」
返事は待たずに、セスは部屋を出る。
いつも通り鍵をせずにその場を離れようとしたが、リンドヴルムに注意されても面倒くさいので一応施錠した。
二階にあるセスの部屋から階段を降りて玄関に向かう。リンドヴルムは大人しくついてきていたが、宿泊客や従業員にギョッとした目で見られていた。竜人なんて、この街では滅多に見かけない。
「ヴィクトリノさん。その……その竜人様は、お連れ様ですか?」
「あ?」
「ええと、部屋が空いてなくてですね」
この宿の女将が、恐る恐るというように話しかけてきた。もうこの宿に住み着いて二年。もう長い付き合いだ。
だが、今まで見たことがないくらいに狼狽えているようだった。その顔には、この安宿に竜人様を泊めるなんてとんでもない!と書いてあるようだった。
「そういや、リンドヴルム。お前、首都からこっちに来て、宿はどうしてるんだ」
「はい。長い滞在になるかと思い、空き家だった屋敷を買いました」
「一人暮らしか?」
「いいえ。もちろん使用人を雇っていますが、それがなにか……」
宿の女将に目配せをして、軽く肩をすくめてみせた。あからさまにホッとしている女将とセスを見比べて、リンドヴルムは不思議そうにしている。
しかし、流石は竜人。宿住まいに給料のほとんどを使っているセスとは、経済力が全く違うようだ。わざわざ家を買うとは。一カ月で帰ることになったとしたら、とんだ無駄遣いだ。
セスが住み着いている宿は、街の大通りから少し外れた裏道にある。いかがわしい店や酒場も並んでいる、あまりお上品とはいえない人間が集まる一角だ。
まだ朝だからその手の店は閉まっているが、リンドヴルムのようないかにも堅物そうな竜人が、道端で男を誘う娼婦を見たらどんな反応を見せるのだろうか。
大通りに出ると、セスは馴染みの食堂へと足を運んだ。『シマリスの台所』なんていう、センスのかけらもない店名だが、ここあたりでは人気の店だ。
「あ、セスさんいらっしゃい」
店の扉を開けると、ウェイトレスのニナがにこやかな笑顔を浮かべ、そのまま固まってしまった。視線は、セスの連れに釘付けだ。
店中を視線を集めているリンドヴルムは、物珍しそうにキョロキョロとカウンターに置かれているを料理を眺めている。
籠に入れられた丸い黒麦パンやビスケット。毎朝、近くのパン屋から仕入れているものだ。それと、大量のオートミール。
大皿には茹でたソーセージと塩漬け肉。炙ったベーコンなどが積まれていて、ドンと置かれた鍋の中には野菜の煮込みが入っていた。
だいたい毎日同じメニューが並んでいるが、鍋の中身はスープだったり煮込み料理だったりする。
これをそれぞれ食べたい量買い、木皿に入れてもらうのだ。酒や茶はウェイトレスが給してくれる。容器を持参すれば持ち帰りもできた。
「このパンは、何か練りこんであるのですか?色が黒いです」
「そりゃ、黒麦だからだ」
代金を渡し食べたい量を伝えると、店主が木皿に煮込みを入れて、ベーコンと薄切りにしたパンを載せて手渡してくれる。あとはコーヒーを頼んで、リンドヴルムを連れて店の一番隅にある二人がけの席に着く。
朝食の時間には少し遅いからか、あまり混んではいない。セス達の他には、酔っ払いの老人と、一組の若い男女がいるだけだ。
硬い黒麦パンを匙がわりにして、セスは野菜の煮込みを食べる。それを、向かいに座ったリンドヴルムは瞬膜のまばたきをしながら見ていた。
「一年間、訓練したって言ってたな」
そう話を振ってみると、リンドヴルムは頷いた。
誇らしげに、リンドヴルムは自らの肩に刻まれた金の刺繍を撫でる。その十字は、ヴァンパイアを殺す技能と知識を十分に持ったものの証、のはずだった。
「実戦は?」
「……グールとの戦闘なら何度も。ヴァンパイア自体の討伐は、させてもらえませんでした」
やはりなと、セスは自分の予想が当たったことに落胆を覚えた。
悪意からかはわからないが、リンドヴルムの教官は竜血とヴァンパイアの関係を教えていない。
さらに、ヴァンパイアハンターとしてもっとも大事な『適性試験』は、ヴァンパイアを殺せるかどうかだ。
彼はその試験すら受けていないまま、十字の刺繍を与えられてしまった。
「ヴァンパイアの弱点は、知ってるか?」
「はい。聖火の明かりや聖水、ニンニクの匂い、祈りを捧げられた十字架。日の光などです。あとは、流れる水を渡れない。人の住まう家屋に足を踏み入れるためには、家人の了承を得て招かれなければならない、などの制約もあります」
「まあ、そんなもんだな。だがな、それはあくまで下位吸血鬼の話だ」
ベーコンをひと齧りしてから、セスは自分の指で自分の胸を指して見せた。的確に、心臓のある位置を。
「ヴァンパイアの弱点は、ここだ。心臓だ。いいか、ほかのことはどうでもいい。ここを必ず確実に、迷わず、刺し抜けるようになれ。テメェのクソ教官は教えてねぇのかもしれねぇが、本来ならそれができるようになって初めて、肩のソレを貰えんだ」
始祖やロードと呼ばれるヴァンパイアであれば、日傘をさせば昼間に街を散歩だってできる。
にんにくも、十字架も、聖水も恐れない。
心臓を一突き。
奴らを確実に殺す方法は、ただそれだけだ。
逆に言えば。どれだけ強力なヴァンパイアでも、心臓を突き刺せば殺せる。
そしてこの方法は、ヴァンパイア自体の苦しみが一番少ない殺し方でもある。
「剣技の訓練はしました。戦闘においては、十分お役に立てるかと思います」
表情の変わらない爬虫類の顔で、リンドヴルムはそう言った。ピンと背筋を伸ばしこちらを見ているその目には、自信が溢れている。
何も知らない、どこまでもまっすぐで澄んだ目だ。
「そうかよ。なら、この話は終いだ」
それきり、黙って食事を口へ運ぶ。リンドヴルムと世間話をする気にもならない。
いままでは、この街には本職のヴァンパイアハンターはセス一人だった。
犯罪者の取り締まりや、街を狙う山賊などから街を守っているのは、ベイリー達自警団と治安維持の為に駐屯している軍人達。彼らはヴァンパイアがらみの事件は、基本的に手を出さない。
セスのようなヴァンパイアハンターが、だいたい街に一人か二人軍司令部から特命を受けて派遣されて、その全てを担うのだ。
ヴァンパイアがらみの事件など、毎日起こるわけではない。一人でも、特に問題はなかった。
だからこそ、突然やってきたこの可愛げのない無知な部下を、どうすればいいのか分からない。
「ああ、ここにいた!ヴィクトリノ大尉!また、あんたに頼まなきゃならない事件が起きたんだ!」
店の扉を荒々しく開けて、見慣れた丸顔が飛び込んできた。汗だくになったベイリーだ。
セスを探して走ってきたのだろう。
「どうぞ、ベイリーさん」
「あ、ああ。いや、大丈夫ですよ。座ってるひまもありませんしね」
リンドヴルムが席を譲ろうとしたが、ベイリーは首を振って遠慮していた。
そして、テーブルの上のコーヒーをガッと掴んで一気に煽ると、ぷはぁと大きなため息をつく。
「おい、俺のコーヒー」
「いや、すまん喉が渇いて……それよりヴィクトリノ大尉!すぐに来てくれないか!大変なんだ、また死体が」
「ああ、うるせぇな。飯屋でする話かよ」
残ったベーコンと煮込みをパンで拭って口に放り込み、一気に飲み込む。
席を立つと、一緒にリンドヴルムも立ち上がった。
ちらっとそちらを見れば、目が爛々としている。初めての事件に、興奮しているようだ。
ちょうどいい。この未熟な青二才が、どの程度使えるのか試すチャンスだ。
※※※※※
死体が見つかったのは、富裕層が集まる高級住宅地だ。街の名士や金持ちは、みなこの辺りに屋敷を構えている。
大きな庭付きの家が立ち並んでいるが、特に大きく新しい屋敷の前を通り過ぎた時にリンドヴルムが足を止めた。
「どうした?」
「あ、いえ。ここが私の屋敷なのです。随分と近くで事件が起きたのだなと思いまして……」
「……」
「ははあ。そりゃあ、心配でしょう。用心棒を雇った方がいいかもしれませんね」
ベイリーは素直に心配そうな顔をしているが、セスはなんとも言えない複雑な気持ちになった。
少尉相当官の給料で買えるような屋敷ではない。元々、家が金持ちなのだろう。
竜人という最上流階級の、お金持ちのぼんぼんが。なぜ危険なヴァンパイアハンターなどになろうと思ったのか。わざわざ苦労をしなくても、のうのうと暮らしていけるだろうに。
いつか機会があれば、聞いてみたいものだ。
リンドヴルムの屋敷からしばらく歩いた場所に、彼のものよりはひと回り小さい屋敷があった。
見事な花壇には、季節の薔薇が咲き誇っている。
甘い匂いに、セスは思わず顔をしかめた。
「良い匂いですね」
「ああ、そうかよ。俺は花の匂いは嫌いだ」
花壇では、ヒゲを蓄えた壮年の庭師と自警団員が話をしている。庭師の顔色は悪く、心ここにあらずといった様子だ。
自警団員はセスに気付くと、ぺこりと頭を下げて、次にリンドヴルムに視線を移してあからさまにギョッとしていた。そろそろ、リンドヴルムが傷ついていないか心配になってくる。
「死体はどこだ?」
「あ、ええと。庭で発見されたんですが、今は屋敷の中です。ここの家の人はみんな集まってます」
「死体を勝手に動かすんじゃねぇよ」
「死んだのは、ここの奥さんだったんですよ。第一発見者のメイドさん、ショックだったみたいで。地べたに寝かせてられないと」
気持ちはわからないでもないが、ヴァンパイアに殺されたのかもしれない死体には、近寄らない方がいい。
突然グールとなって起き上がる場合があるからだ。
「よろしければ、彼女のために祈らせていただけますか」
「そうだなリンドヴルム。まだ神父が来てねぇなら、やってやれ」
「ああ、そりゃあ……助かる。いや、助かります」
死んだ目で黙り込んでいた庭師が、少し表情を緩ませてリンドヴルムを見上げた。目元が赤い。泣いていたのだろう。
「自警団が、ハンターが来るまで屋敷を出るなというから……神父様を呼びに行く暇なかったんだ。どうか、奥様をお見送りしてください。竜人様に祈りを捧げてもらえるなんて、きっと奥様は天国で自慢できますよ。さあ、旦那様に紹介します。こちらへ」
神父を呼んで見送りの儀式ができないことがよほど気がかりだったのだろう。庭師は安堵した様子でベラベラと捲くしたて、リンドヴルムの袖を引いた。
リンドヴルムは神妙に頷いて、自警団員の案内で屋敷へと入っていく。
それをチラと横目で見て、セスは懐中時計を取り出す。針の先は、屋敷の方を指していた。
(中にいやがるな……さて、リンドヴルムは気付くか)
セスが足を止めていることに気づいて、リンドヴルムが振り返る。首を傾げて、爬虫類の目でこちらを見ていた。
自分にとって初めての部下が、試験に合格できるかどうか。それを見定める為に、セスは彼の後に続いて屋敷へと足を踏み入れたのだった。
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