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6.祭りの熱気にすれ違う

 街は、すっかり浮かれきっていた。  着飾った女達は連れ立って街へ繰り出し、男達はそんな女達を見て鼻の下を伸ばす。  商売人達は、露店の用意に大忙しだ。旅芸人の一座は広場に仮設のステージを作り、そこかしこに怪しげな客引きが立つ。  さらに目の前の竜人も、尻尾の先をピリピリ震わせて、なにやら期待した目でこちらを見ているのだ。 「今日は、このあとどうされるのですか?ヴィクトリノ大尉」 「そうだな……」 「お祭りですよ。実に、楽しそうです」  猫舌なのか、リンドヴルムは熱いコーヒーをちまちまと飲んでいる。一見、いつもの無表情な爬虫類の顔だ。  だが、出会ってから毎日毎日顔を合わせているセスには分かった。  これは、完全に浮かれている顔だ。 「あのな、リンドヴルム……祭りの夜に、ヴァンパイアハンターが遊んでていいと思ってやがるのか」 「え……?」 「いいか。人の行き来が増えて、さらに街中が浮き足立ってやがる。祭りで浮かれたやつらなんざ、ヴァンパイアにとって格好の餌だ」  祭りの時には、どうしても治安が悪くなる。人混みに紛れてのスリや置き引き、痴漢。暴行、誘拐。そういった犯罪を取り締まるために、治安維持部隊も近くの街から応援がきていた。  だが、彼らにはヴァンパイアを止めることはできない。  こんな日は、ヴァンパイアの食事も人間が起こす事件に隠れてしまうのだ。悲鳴は祭りの喧騒に紛れ、誰にも気付かれない。 「俺らは、日が暮れたら街へ出てヴァンパイアを牽制だ。ハンターがウロウロしてたら、やつらも警戒して大人しくなるからな」 「つまりは、一緒に祭りに出かけるのですね」 「ん?」  そうではないだろう。いや、そういうことになるのか?  リンドヴルムは、なぜか尻尾の先をよりブルブル震わせて嬉しそうにしている。だが、セスは釈然としなかった。  そもそも、男二人で祭りに出かけることの、何がそんなに嬉しいのか。 「セスさん!竜人様!」  店の奥から、祭り衣装に着替えたニナが出てきた。薄緑のワンピースは、花の刺繍と可愛いフリルで飾られている。胸元にはリンドヴルムのウロコが縫い付けられていた。その上からいつものエプロンを着けて、そばかすの浮いた頬には頰紅まで差している。 「どう?二人に見て欲しくて、着替えてきたよ!」 「ええ。とても可愛らし……あの、胸元のそれは私のウロコですか」 「そうなの!キラキラして、宝石みたいでしょ!」 「は、ああ。ええ、素敵ですね」  自分のウロコが装飾に使われている、というのはやはり気持ちがいいものでは無いようだ。だが、ニナはまったく気付いていない。  素直に喜んでいるニナに気を使っているのか、目を泳がせながらもリンドヴルムは無難な褒め言葉を口にしていた。  看板娘の可愛らしい姿に常連客達はにやけづらだが、セスは実に不愉快だった。  リンドヴルムのウロコはたしかにキラキラしているが、宝石ではない。体の一部だ。  竜人様と崇めているくせに、まるでミンクの毛皮を見せびらかすように、ウロコを誇らしげに飾っている無神経さに腹が立っていた。 「おい、行くぞリンドヴルム」  少し乱暴に席を立つと、リンドヴルムも躊躇いがちに立ち上がった。  ニナはニコニコとまた来てくださいねーと笑っていたが、明日は別の店に行こうかとすら思ってしまう。 「ヴィクトリノ大尉、怒っているのですか?」 「……別に、なんでもねぇ」  外はすでに、ニナと同じような可愛らしいワンピース姿の娘達で溢れていた。日傘をさして、裾をヒラヒラさせながら楽しげに歩いている。  空を見れば、少し雲がかかっていた。東の空から、分厚く暗い色の雲が流れてくるのが見える。  祭りは雨天決行だ。露店などは閉まってしまうが、広場でのダンスは豊穣を願う儀式の意味合いもあるので、よほどの豪雨でなければ中止にはならない。  だが、雨が降ればヴァンパイアハンターは休業だ。 「彼女達は、オアイテサガシとやらに出かけるのですね。実に楽しそうです」  突然真顔でそんなことをつぶやくものだから、セスは思わず吹き出してしまった。  小首を傾げて瞬膜で瞬きをしているリンドヴルムは、なぜセスが笑っているのか分からず困惑している。どうやら、セスが言ったお相手探しというな言葉を、何かの遊戯だとでも思っているようだ。 「お相手探しってのは……つまり、今夜の共寝の相手を探すってことだぞ」 「共寝の、とは」 「はあ?セックスのことに決まってんじゃねぇか」  あまりに鈍いものだから、いっそおかしさを通り越して不安になってくる。  まさかとは思うが、リンドヴルムは女を知らないのだろうか。生真面目で世間知らずなこの男なら、ありえなくはない。 「セッ……。なるほど、伴侶となる人を探すということですか」 「まあ、祭りで出会って、そのままうまくいけば、結婚するカップルもいるだろうが。別に全員がそこまで真剣に考えてねぇだろ。気が合ったから、付き合ってみるか。ヤりてぇ気分だから、ヤるか。それくらいのノリだ」  リンドヴルムは信じられないことを言われた、という顔で尻尾を左右に振る。 「ならば……まさか、不純異性交遊をすると?」 「なにが不純だ。クソッタレの聖職者め。ヤりてぇ時に、同じようにヤりてぇやつがいれば、自然な流れじゃねぇか」 「なんてことを……信じられません……」 「じゃあテメェはないのか。童貞だってのか?」 「当然です」  きっぱりと言い切られ、セスの方が鼻白む。  当たり前のことだと言うように、リンドヴルムは胸を張っていた。普通の人間なら、いい歳した男が童貞扱いされたなら恥をかかされたと思うだろう。  しかし、竜人だからなのか聖職者だからなのか。リンドヴルムは堂々としたものだ。 「一生涯にただ一人。伴侶と決めた相手とだけ、性行為はするものです」 「別れたらどうすんだ」 「別れる?伴侶と決めた人と?そんなこと、あるのですか」 「あるだろう。死に別れってのもあるしな」 「そのあと他の伴侶を持つなど、できるのですか?私には不可能です。我々竜人は、生涯に恋は一度きりです。生まれる前から決まっている、魂の片割れと番うのです。それが当たり前と思っていましたが、人間は違うのですか」  なるほどなと、セスは腑に落ちた。  ミーシャを処女だと信じていたことも、そのミーシャがあの屋敷の主人とねんごろになっている声を屋根の上で聞いた時の狼狽えかたも、おかしいとは思っていたのだ。  竜人にはそもそも伴侶以外とセックスをする習慣がないからならば、納得がいく。リンドヴルムが特別に堅物というわけではないのだろう。 「ああ。人間はまあ、人によるが。基本的にはもっと適当だ。人間がテメェらみたいな貞淑な奴らばかりなら、もっとヴァンパイアが増えちまってたろうな」 「そうですね。そうか、ヴァンパイア化を拒む本能から、不純異性交遊をする文化が生まれたのかもしれませんね」 「そりゃ、深読みのしすぎだろう……」  納得しかけたリンドヴルムだったが、はっと息を飲むと恐る恐るという様子でセスの体を上から下まで視線でなぞる。  ウロコが逆立った尻尾は、今まで見たことのない動きをしていた。びったんばったんと、別の生き物のようだ。 「まさか……まさか、ヴィクトリノ大尉。貴方はもちろん他の方々とは違いますよね。童貞なのですよね?」 「んなわけねぇだろバカか」 「まさか。そんな、なんてことだ」  なぜかショックを受けたリンドヴルムは、いつもの教師のように丁寧な口調すら乱れてしまっていた。  今にも膝から崩れ堕ちそうだ。尻尾もまるで死んだ蛇のようにクタクタになっている。  往来の真ん中で情け無い呻き声を上げている竜人はよほど物珍しいのか。周囲からはクスクス笑いが聞こえ、不躾な視線が集まってくる。  舌打ちをすると、セスはリンドヴルムの肩を抱いて歩き出した。  とりあえずその場から離れ、人気のない路地裏を目指しリンドヴルムを引きずっていく。 「ああ、神よ……なぜこんな、ああ、私はどうしたら」 「それはこっちのセリフだ、クソが」  まったく、どうしてこんなことに。  リンドヴルムが傷ついている理由がよく分からず、宥めようがない。面倒だから捨てていきたい気持ちもあるが、流石にそれは無責任な気がした。  たった一人の、自分を慕う部下だ。道端でうずくまって、奇異の目で見られている姿を想像すると、胸がムカムカする。 「テメェもさっさと童貞なんざ捨てちまえ。ヴァンパイアになる確率が上がるだけで、なんの価値もねぇ」  そんな軽口を叩けば、リンドヴルムは急に足を止めた。バンッと、尻尾が地面を叩く。  竜面を見上げれば、燃えるような目をしたリンドヴルムがこちらを睨みつけていた。珍しく、怒っているように見える。 「わかりました」  完全に目が座っていた。何が逆鱗に触れたのかわからないが、リンドヴルムらしくなく、冷静さを失っている。 「おい、ムキに」 「いいえ。貴方がそう言うのなら、すぐにでもそうします」  まさか、今から娼館にでも行く気か。  場末の売春婦にリンドヴルムの初めてを食い散らかされると思うと、鳥肌が立った。  グッと、リンドヴルムが腕を掴んでくる。力強く、硬く、冷たい手だ。この手が女を抱きに行く。  つい、それを乱暴に振り払い、体を離した。 「そうかよ、なら好きにすりゃあいい。だがな、今日は忙しいって話はしたな」 「……そうですね。わかりました。なら、今夜お祭りの後にします」  これ以上、何も言うべきことはなかった。  リンドヴルムがそうすると決めたならば、口を挟むことではない。代わりに、唇に煙草を挟んで苦い煙を吸い込んだ。  明日の朝食の時には、リンドヴルムは何か変わってしまっているのだろうか。  ※※※※※  夜の帳が下りても、祭りの夜はまるで昼間のように明るい。  中央広場では、楽団の演奏に合わせて、みな楽しげに体を揺らし踊っている。そこかしこで、酔っ払いがけたたましい笑い声を上げていた。  懐中時計を見ても、ヴァンパイアの気配はない。空模様が怪しいからだろうか。月はすっかり雲に隠れて、今にも一雨来そうだ。 「そこの竜人様とハンターさん。どうだい、一杯」  露店でハチミツ酒を売る赤ら顔の男が、木製ジョッキを押し付けてくる。あまりハチミツ酒は好きではなかった。だが、つい手が伸びてしまう。  黙りこくったまま後ろをついてくるリンドヴルムのせいかもしれない。この居心地の悪さを、酒で誤魔化したかった。  金を渡して、甘ったるい匂いがする酒を口に含む。鼻腔にハチミツの香りが広がり、舌をとろりと滑りおりた。  思ったより、悪くない。 「お酒なんて、飲んでいいのですか?今日は忙しいと言ったのは貴方ですよ」  ようやく口を開いたと思ったら、小言だ。  グッと、残りを一気に呷って、空になったジョッキを店主に返す。 「いい飲みっぷりだねぇ」  店主に軽く手を挙げて答え、リンドヴルムを無視して歩き出す。  ポタリと、鼻先に雨粒が落ちた。頭上の分厚い雲は、祭りが終わるまで待ちきれなかったようだ。もったいつけたのは最初の一粒だけで、あとはぽつりぽつりととめどなく落ちてくる。  今夜はもう、ヴァンパイアは来ない。 「ヴィクトリノ大尉、雨です」 「そうだな。もうヴァンパイアハンターの仕事は終わりだ」 「ええ。何事もなくて良かった」  露店の店主たちは慌てて店を畳みはじめ、露店目当ての観光客もいそいそと宿へと向かっていく。  祭りを楽しみにしていた若者たちは、冷たい雨にきゃあきゃあと悲鳴をあげていたが、それでも輪になって踊るのをやめようとしない。  ヴァンパイアハンターにとっては雨は救いだが、彼らにとってはとんだ災難だ。多少は、同情する。そして、安堵も覚えた。少なくとも、あの踊りの輪の中にはヴァンパイアはいないのだ。  ぼんやりと踊りを眺めているうちに、雨足はどんどん強くなってしまった。  ぐっしょりと濡れた軍服が、肌に張り付く。さっさと着替えて、体を拭きたい。 「……じゃあ、また明日な」  帰りに酒を買って、部屋で飲み直すかと踵を返す。  しかし、硬い手に肩を掴まれ、引き止められた。  驚いて振り返ると、なぜかリンドヴルムも驚いたように目を丸くしていた。ゆっくりと、瞬膜が閉じる。 「どこへ行くのですか」 「はあ?……ずぶ濡れなんだ、帰るに決まってんだろう」 「ここからなら、私の屋敷の方が近いですよ」  たしかに。今いる中央広場から少し歩いて坂を登ればリンドヴルムの屋敷だ。  着替えと傘を借りてから宿に帰った方がよさそうではある。  しかし、今はあまりリンドヴルムと一緒に居たい気分ではなかった。なぜだか、胃がムカムカしている。飲み慣れないハチミツ酒を飲んだからだろうか。 「濡れて帰りてぇんだ」 「ダメです」 「ガキじゃねぇんだ。雨に濡れたくらいで風邪ひくほど、やわじゃねぇよ」 「いえ。もちろんそれもありますが……言ったはずです」  リンドヴルムの手が、肩から腕をなぞる。そして、なぜか手を握ってきた。  雨のせいで、余計に冷たい指先が、セスの指に絡む。 「私は今夜、初めて、セックスをするんです」  まさか。童貞を捨てるところを見てろとでも言うのか。  冗談じゃない。そんな趣味はない。  なぜ部下が女を抱くところを横で見ていなければならないのか。  混乱するセスの体が、いきなりリンドヴルムの胸へと引き寄せられる。背中に回る、硬い感触。  ウロコに覆われた腕に抱きしめられて、ようやくセスはリンドヴルムの意図に気がついた。 「テメェ、まさか、その相手は俺のつもりか」 「他に誰がいるのですか」  腹の奥から、底意地の悪い笑いが込み上げてくる。  伴侶としかセックスはしないなどと言っていた、この生真面目な聖職者が。安い挑発に乗って、異種族の男で童貞を捨てようとしている。不純異性交遊ならぬ、不純同性交遊で。  それは、実に面白かった。リンドヴルムが冷静さを取り戻した時に、どんな面をするのか。 「ハッ、そうかよ。趣味悪りぃな、テメェは」  少しムッとしているリンドヴルムの腕から抜け出そうとしてみるが、がっちりと拘束されている。仕方なく、彼に体を預ければ、満足気に尻尾の先を震わせていた。  ゴリッと。硬いものが、下腹部に触れる。勃起しているのだ。 「もうおっ起ててやがるのか、童貞くせぇ」  つま先から脳天まで、ゾクゾクとした愉悦が這い上る。背徳感と妙な興奮に、痺れていた。初雪を踏み汚すときの喜びを、リンドヴルムの欲望の硬さに感じていた。 「当然です。私は今すぐにでも……貴方と(つが)ってしまいたい」  色気のない、ど直球な誘い文句だ。だが、悪くはなかった。  セスの腰を抱いたまま歩き出すリンドヴルムに、大人しくついていく程度には、その気にさせてくれる言葉だった。

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