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14.クイーンの嘘

 ヴァンパイアに狙われやすいのは、旅人や路上生活者など、行方不明になっても気づかれにくい人や、バイシュンフという職業の人々だ。  バイシュンフがどのような職なのかは、よくはわからない。  どうやら、マッサージなどのサービスを提供する女性のことらしい。まれに男性のバイシュンフもいる。少年少女がその職についている場合も、あるそうだ。 「……にんにくクセェ」  セスの声が、耳元で聞こえた。  街は静かだった。だが、明るい。  人々は家にこもり、玄関先にはにんにくや十字架がぶらさげられている。ヴァンパイアはにんにくの香気を嫌う。当然、セスにも不快な匂いなのだろう。  こうして、人々は精一杯のヴァンパイア対策をしているのだ。貧しげな小さな家すら、なけなしの油で明かりを灯し、ヴァンパイアの恐怖から逃れようとしている。 「ヴァンパイアは勝手には家にあがりこめねぇ。家に引きこもるのは、有効な手段だ」 「はい、セスさん」 「だからこそ、帰る家のない奴らが狙われやすい」  頷いて、マティアスは歩みを早めた。路上生活者が集まっている、町外れにある半分スラム街のようになっている地区を目指す。  そちらに向かうほど、人影を見かけるようになった。  明かりを灯している家も少なくなる。  この街はそれなりに大きな街だが、やはり貧しく日々の暮らしに困窮し、明かりに使う油を節約しなくてはならなかったり、そもそも篭る家すら持てない人々もたくさんいるのだ。  それが悲しくて、マティアスは少し眉間に皺がよる。 「ねぇ、そこの竜人様」  不意に声をかけられ、振り返ればひょろりと細い女性がいた。肩と手足は細いのに、胸だけはぼーんと張り出している。その胸を誇張するような、ぱっくりと前の空いた服を着ているその女性は、なぜかマティアスの腕を掴んで胸を押し付けてきた。  人間の女性は胸に脂肪がついていて、哺乳類なので母乳が出るそうだ。人間の男性にとって、胸が大きい女性というのは魅力的に見えるらしい。  しかし、竜人であるマティアスから見れば、それは不思議な柔らかいお肉の塊でしかない。  むにゅむにゅと腕に擦り付けられても、困惑しか感じなかった。 「あの、なんでしょう」 「なにさ。ケロっとして。ね、どう?一回銀貨二枚でいいよ」 「何がです?」 「だからぁ、アタシでスッキリしてかないかってこと!」 「スッキリ?」  頭上から、押し殺した笑い声が聞こえてくる。彼女が何を言いたいのかさっぱりだ。だが、セスには分かっていて、マティアスが困惑しているのを面白がっている。  悔しくて、尻尾がゆらゆらした。 「竜人様のお相手なんて、なんだかご利益がありそうだからね。サービスするよ」 「サービスとは……」 「ねぇ。さっきから、なんなのそのおかしな態度……まさか竜人様童貞なの?」 「いいえ。そうではありませんが」  この女性は、一体どういうつもりなのだろう。初対面の相手の腕を掴んで、性経験の有無などを訪ねてくるなんて。少々馴れ馴れしいのではないだろうか。  さらに、ずっと胸をもにゅもにゅと押し付けてくる。柔らかいが、同じ胸ならセスの胸の方が触り心地が良い。  セスの胸筋は逞しく隆起しているのだが、力を抜いている時はもっちりと柔らかいのだ。竜人にはない乳首も、薄茶色で可愛らしい。まるで目印のようなその突起は目を引いて、ついついつつきたくなる。  しかし、触ると怒られるので、あまり弄ったことはなかった。 「あの、離してください。私は仕事中なのです」 「なにさ。竜人ってのはお金持ちのくせにケチなんだね。それか、インポなの?」  プンプンと怒りはじめた彼女に、マティアスの困惑はより深まる。  インポテンツではない。セスの裸体を見れば、簡単に勃起する。なんなら、精力が強すぎて困っているくらいだ。  返事に窮したマティアスの耳元で、クスクスとセスの笑い声が聞こえた。 「金を払ってやれ。そして、最近見かけねぇ同業者がいないか、聞いてみろ」  物乞いのようには見えないが。いきなり金銭を渡すなど、失礼なのではないだろうか。  そうは思いつつも、マティアスは懐の財布を取り出して開く。紙幣を一枚指先でつまみ出すと、セスに「胸の谷間に入れてやれ」と囁かれた。  ギョッとしたが、しぶしぶ従う。 「あの、これを受け取ってください」  指示された通りに、大きな胸の谷間に紙幣を挟んだ。すると、彼女はなぜか機嫌が良さそうになる。安堵したかのようにも見えた。 「あん。竜人様は、胸が好きなの?なら胸でしてあげようか?」 「いえ別に。私は哺乳類ではないので……お話しを伺いたいのです。この数日で、姿を消した同業者の方はおられますか?」  胸でするとはなんだろう。とは思いつつも、セスに言われた通りの事を問う。  彼女は少し表情を曇らせ、遠くを見るような目をした。 「ああ……そういえば、エミリーを昨日から見かけないねぇ」 「彼女も、貴女と同じお仕事を?」 「そうさ。アタシと同じ、立ちんぼだよ」 「たちん、ぼ?」 「雇ってくれる店が無いから、こうして道端に立って自分で客を探してる売春婦のことだよ。なんだい、竜人様はものを知らないね」  通りすがりの相手に、こうして自分を売り込んでサービスを提供する。  マティアスにも、それが危険な事であるのはすぐ理解できた。話しかけた相手に悪意がないとは限らないのだ。さらに、人間である保証もない。 「この街のヴァンパイアハンターが逃げたって噂だろ?だからさ、他所に移るって言ってたよ。アタシも、旅費を稼ぎたいんだ」  ずきりと、胸が痛んだ。  その痛みは、セスが逃げたなどという、彼を侮辱するような噂が広まっているせいでもあるが、なによりも自分ではセスの代わりにはならないのだという劣等感がマティアスを苛んでいた。 「おい、リンドヴルム。何を呆けてやがる。テメェはハンターだろう。安心しろと、言ってやれ」  セスの声に、ハッとする。そうだ、今は落ち込んでいる場合ではない。  そっと、傍に立つ女性の肩を抱く。そして、できるだけ優しく語りかけた。 「ご安心ください。私もハンターです。このマティアス・ロルフ・リンドヴルムがこの街と貴女を守ります。信じてください」  すると、バイシュンフの女性は目を丸くして、パチパチと瞬きをした。  わずかに、頬が赤くなる。 「あ、そ、そう。へぇ……竜人様がねぇ……ならもうちょっと、この街で頑張ってみようかな」 「ぜひ、そうしてください」  そう言って体を離すと、彼女は少し残念そうにしていた。落ち着かない様子で、自分の腕を撫でている。なんだか、照れているようだ。 「おい。行くぞ」  頭上から、セスの声が降ってくる。なぜか、少し声音が冷たい。  慌ててバイシュンフの女性に礼を言って、その場を離れる。  角を曲って、バイシュンフの女性が見えなくなると、いきなり頭の上に何か柔らかいものがぶつかってきた。痛くはなかったが、驚いて尻尾が地面を叩いてしまう。  どうやら、コウモリに変身したセスが頭の上に飛び乗ってきたらしい。 「おい。テメェ、口説けとは言ってねぇぞ」 「口説く?なんの事……セスさん、何か怒ってますか?」 「くだらねぇ」  チッチッと、コウモリの鳴き声を出して、セスが頭の上から飛び立つ。  手を出してみれば、そこに止まってくれた。しかし、コウモリの顔は可愛いがなんの感情も読み取れない。  セスが不機嫌になった理由がわからず、マティアスは困惑した。 「仕事が終わったら、あの女を買うなり好きにすりゃいい。あっちからヴァンパイアの匂いがする、行くぞ」  仕事が終わったら屋敷に帰ってセスを抱くので、あの女性に会う暇はないと思う。だが、とりあえず反論はせずに頷いて、セスが視線を向けた方へと歩き出した。  ※※※※※  この街には、長くここを根城にしている始祖のヴァンパイアがいる。  彼女は適度に殺し、適度に眷属を増やしていた。そして、よそ者のヴァンパイアから縄張りと人間を守っていた。  長い間この街は、人間にとって『比較的安全な』街だったのだ。  だが、二年前にあるハンターがこの街に来てからは変わった。変わってしまった。  まるでハンターを嘲笑うように、下級のヴァンパイアを生み出して人を殺す。幼い少女まで、その毒牙にかける。  なぜだったのだろう。暴君と化したヴァンパイアクイーンに、それを問えるものは居ない。 「はっ、はあ、なんで、こんなっ」  死ぬ前に聞いておけば良かったと。今まさにハンターに狩られかけている一人のヴァンパイアは後悔していた。  クイーンが目の敵にしていたハンターは、街を去った。クイーン本人から、そう聞いていた。もうこの街にはまともなハンターはいない。いるのは、ハンターかぶれのトカゲ男。  そのはずだったのだ。 「神よ。この者の罪を許したまえ」  祈りの言葉が追いかけてくる。路地裏の、袋小路に追い詰められたヴァンパイアは、壁を背に震えていた。  体中が熱くて、ひどい火傷のように爛れている。  いつもは路上で客待ちをしている売春婦に近づき、買ってやるふりをして物陰に連れ込んで襲う。後腐れのない、簡単な狩りだ。  しかし、今夜は違った。この街にハンターはいないと聞いていたから、処女を食ってみようかと獲物を探して歩いていたのだ。  もはや少女を攫って食っても、咎めるものはいないのだからと。  そうして油断しているところを、いきなり後ろから聖水をぶっかけられのだ。  チーッと、頭上でコウモリの声がする。見上げると、雲一つない星空を小さなコウモリが飛んでいた。 「こんな早い時間に、繁華街をヴァンパイアがうろちょろしてるなんてな。舐めやがって」 「貴方が居ない、という理由だけでこんなにも治安が悪くなるのですね」  人語を話すコウモリに向かいそう言って、白い神父服を着た竜人は手にした剣を構え直した。  あのコウモリはなんだ、誰かの使い魔だろうか。  そんな疑問が浮かんだと同時に、目の前の竜人が剣を繰り出してきた。とっさに身を翻し、巨大な獣へと姿を変える。黒い毛並みの、トラに似た獣だ。  顔を引き裂くつもりで爪を振るうが、その爪は何か棍棒のようなもので打ち払われた。鋭い痛みに悲鳴をあげ、慌てて後退ろうとするが、後ろはすぐに壁だ。  見れば竜人の尻尾が変化している。鱗がトゲのように逆立ち、太くなっていた。それが、鞭のようにしなって襲いかかってきたのだ。 「なんでだ、未熟だって聞いていたのに!」 「誰にだ。テメェは、ただの雑魚じゃねぇようだな」  頭上から降ってくる冷たい声に、ギクリとする。  たしかに、下級ヴァンパイアではあるが長く生きクイーンにもお目通りを許されている身だった。 「う、噂でだ……街の噂で」 「誤魔化せると思ってんのか?」  コウモリが竜人の側に舞い降りると、その姿はゆらりと黒い煙に変わる。そして、一瞬のちには黒い軍服を着た男の姿になっていた。  見覚えのある、灰色の長い髪。彫りの深い、精悍な顔立ち。ただ、瞳の色だけが深紅に変わっていた。  消えたはずのヴァンパイアハンター、セス・ヴィクトリノだ。 「なっ……」  クイーンは嘘を吐いたのか。  セスと竜人、二人のハンターがこちらを睨んでいる。聖水を浴びてすでに満身創痍の自分では勝ち目が無いだろう。  そう悟ると、ヴァンパイアはその場に頽れて額を地面に擦りつけた。 「なんっ、で、死にたくない!死にたくない、ハンターはいないって、ううっ」  なぜ、ハンターであるセスがヴァンパイアになっているのか。彼が女を知らないはずはない。ヴァンパイアにとって、処女童貞の匂いは『ご馳走』の匂いだ。すぐに分かる。  だがセスからは美味しそうな童貞の匂いはしなかった。  ならばこの街のヴァンパイアの中で、セスを眷属にできるのは、クイーンのみのはずだ。  なぜ、クイーンは嘘をついた。なぜ、ハンターをヴァンパイアなんかにしたのだ。  あまりの恐怖と混乱に、地面に爪を立てて喚く。ザリッと、金属が土を削る音がした。見れば、顔のすぐ横に鈍色に光る剣が突き立てられていた。 「おい、テメェ。俺を噛みやがったクソ女を知ってるな?」  ゾワゾワと、怖気が背筋を這い上がる。  顔をあげる事すらできなかった。冷や汗が、地面に垂れ落ち暗い染みを作る。  セスからは、クイーンに似たプレッシャーを感じた。力の差が、ひしひしと伝わってくる。この覇気はなんだ、元ハンターだからだというだけでは納得できない。まるで、始祖かロードのようだった。 「それ、は」  答えようとして、喉が詰まった。自分の首を自分の手で押さえ、声が出るのを止めたのだ。無意識で。  そのまま、指が喉に絡みついて締め上げてきた。 「ガッ」  体が、勝手に動いている。  ヴァンパイアは首を締めても死なない。  ただ、声帯が捻じ切られる激痛は感じた。悲鳴すらあげられず、地面でのたうつ。 「な、何を……?」  トカゲ男のハンターが、困惑したような声をあげる。  セスが舌打ちをし、ヴァンパイアの腕を剣で切り落とした。 「カハッ」  やっと開放された喉を空気が通り抜けるが、声にはならなかった。情け無く、パクパクと口を開け閉めする事しかできない。 「……彼は、どうしたのですか?」 「命令だろう。こいつを使役する立場のヴァンパイアが、こいつが余計な事を話せないようにしたんだ」 「貴方に退職届を出させたように、ですか」 「ああ、そうだ。命令は遠隔でできるもんじゃねぇから、元々そう命じられてたんだだろうな」  そう言って、セスは地面に転がるヴァンパイアの背を踏みつけた。  必死にヴァンパイアがもがいても、セスの足はびくともしない。まるで象に踏まれたかのようだ。  目玉だけを動かし、セスの顔を見上げる。血のように赤い虹彩を妖しく光らせた男が、まるで路上のゴミでも見るかのようにこちらを見下ろしていた。 「こいつからは、何も聞き出せそうにねぇ。時間の無駄だ。さっさと片付けて次に行くぞ。夜はまだ、長いんだからな」  トカゲ男のハンターが頷いて、剣を振り上げる。  クイーンは、なぜセスをヴァンパイアにしたのか。  なぜ、それを内緒にして、ハンターが消えたと嘘をついたのか。  その疑問を抱いたまま、哀れなヴァンパイアは二度目の死を迎えた。

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