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15.褥で食い違う慰み事

 長い灰色の髪が、白いシーツの上に広がる。髪の束を掬い上げ、唇を寄せた。  クックッと、喉を鳴らすような低い笑い声。視線を髪から、赤い目を細めているセスへと移す。  ベッドに横たわるセスは、美しかった。  まるで彫像のように逞しく均整の取れた体躯。ヴァンパイアとの戦いでついたのだろう、古い傷痕が沢山ある。それもまた、彼の身体を艶やかに飾っている。  こちらを見詰める、冷たくて感情の読めない瞳も、またミステリアスだ。  この美しい人のお腹の中に、自分の血が入っている。消化され、彼の身体の一部となる。それを想像すると、ゾクゾクした。 「ああ、セスさん……」 「まだ何もしてねぇだろう。裸見ただけでなんてツラだよ。そろそろ見慣れろ」 「見慣れる日が来るのでしょうか。私には、眩しすぎます」 「当たり前だ。ヴァンパイアだって殺し慣れてきたろう?」  今夜は、ヴァンパイアを三人狩った。セスの助言があり、敵も油断していたとはいえ、一晩で三人もだ。少しは、自信を持てた気がする。セスさえ居てくれたなら、自分でもそれなりにハンターとしての仕事ができるのだと。  それにヴァンパイアを斬ることに対する罪悪感も、以前より薄れていた。 「それとこれとは、違います」 「同じだ。すぐに日常になっちまうんだよ……ヴァンパイアどもの返り血を浴びるのも、俺と寝るのもな」  長いセスの指が、マティアスの首筋に伸びた。そのまま、するりと鎖骨のほうへと滑っていく。  たまらなくなって、セスの上に覆い被さる。クスクスと愉しげな笑い声が耳をくすぐった。冷たい胸板に耳を押し当てても、鼓動は聞こえない。彼が含み笑う声が、止まった心臓を叩く音だけ聞こえた。  下肢に手を伸ばし、後孔に触れる。先に用意をしてくれていたのか、そこにはとろりとした油が塗り込められていた。  一緒に暮らすようになってからは、いつもこうしておいてくれる。下準備の仕方などわからないから、非常に助かっていた。  爪を整えた指を入れて、入り口をほぐす。しかし、すぐに挿れたくで挿れたくてたまらなくなってしまった。  ガチガチに腫れたペニスが、下腹部のスリットから飛び出してしまう。 「っ、うっ、セスさん……はやく貴方に入りたい」 「ああ、好きにしろ」  挿入しやすいように足を大きく開き、腰を浮かせてくれる。セス自身の性器も、首を擡げて濡れていた。とても扇情的な光景だ。セクシーにもほどがある。  セスの濡れた孔に、自らの熱を押しつけたマティアスは、欲望の赴くままに腰を進めた。 「んぐっ、うっ」  苦しそうに呻いて、セスは唇を噛んだ。いつも挿入の時は苦しそうだった。  切っ先が最奥にたどり着いた。壁のような物があり、これ以上は入らない。だが、ここは総排出腔(おしりのあな)であるわけだから、まだ奥はあるはずだ。  もっと奥に入りたい。もっと、彼の深い場所に触れたい……。 「ゔっ、んぅ!ぐっ」 「はっ、あっ、きもち、い、セスさん、ああ、私を、もっと中へ」 「これ、以上は、はい、ら、ね、あ゛ぐっ!んお、う!」  奥を穿つように抜き差しすると、脳が溶けそうな快楽を得た。気持ちがよくて、セスが受け入れてくれている事が嬉しくて、腰が止まらない。  セスの性器は、二人の身体の間で硬度を失っていた。優しく揉むようにしてあげると、少しずつ硬さを取り戻していく。 「んっ、んあ、はあ」 「あ、あっ、出ます、セス、さ、ああ」 「い、いいぜ、出せ……」  愛しいセスの身体を強く抱きしめて、射精感に身を任せた。一瞬、身体が浮いたような錯覚を覚え、目の前が真っ白になる。思考が快感に侵される。  射精の瞬間の感覚は、まだ慣れない。 「っ、はぁ、はあ……」 「情けねぇツラしやがって」  絶頂の瞬間の顔をからかわれ、気恥ずかしくて尻尾を揺らす。誤魔化すように、止まっていたセスへの手淫を再開した。  少し強めに、根本から先端までを扱きあげる。 「ん、こっちは慣れてきたな、っ、イけそうだ」  完全に勃起した性器を見て、マティアスはふと気がついた。  最中はいつも、萎えている。  事の前や終わった後は勃起しているのに。 「あの、セスさん……」 「あ?どうした。手ぇ止めんじゃねぇよ」 「その、もしかしてなのですが……私とのセックスは、気持ちよくないのですか?いつも、萎えてしまっているので……」  つい、彼の性器から手を離す。不満そうな顔をするセスを見下ろして、恐る恐る問うてみた。  すると、セスはまるで悪い冗談を聞いたような、なんとも嫌そうな顔をした。  ずきりと、胸にトゲが刺さったような痛みが走る。 「くだらねぇ。どうだっていいだろう」 「どうだっていい訳ないでしょう。私は不慣れなので……うまくできていないなら、教えてください」 「必要ねぇ。いままで通りでいい」 「なぜですか。私は、伴侶として」  ハッと、セスが鼻で笑った。その先の言葉は口にするなと、こちらを睨み付ける赤い瞳が言っている。 「伴侶?……言ったろう。俺はもう死んでんだよ。テメェは死人に餌をやって飼ってるだけだ。セックスは餌の対価だろ。間違えるんじゃねぇ」  ヒュッと、喉を空気が通り抜ける音がした。何か言おうとしたのに、衝撃のあまり声にならなかったのだ。  何を言いたかったのかは、言葉にならなかった声と共に消えて分からなくなってしまった。 「だから、いままで通りでいい。テメェが俺を使って満足してりゃいいんだ」  意味がわからなくて、マティアスは黙ってセスの体から性器を抜いた。萎えて小さくなったそれは、するりとスリットにしまいこまれる。 「わ、たしは」  子を産めない同性でも。異種族でも。死人でも。セスだけが魂の片割れであり、生涯の伴侶であると知っている。  だが、やはりセスはまだそれを納得してはいなかったのだ。  一緒に暮らして、毎日セスの中に招かれて。理解してもらえたと勘違いをしていた。  セスは、ただマティアスが気持ちよくなりたいがためにしているだけだと思っていたのだ。 「……快楽が欲しいのでは、ありません」  愛しい人だから、繋がりたいだけなのだ。  だが、そんな勘違いをさせる抱き方しかできていなかったという事なのだろう。  ベッドの隅にひっかけていた神父服を掴むと、マティアスはベッドを降りた。 「おい」  セスの声が追いかけてきたが、振り返る勇気はなかった。そのまま、自分の寝室を出る。  廊下の窓のカーテンは、全て締め切られている。それを少しだけめくると、朝日が差し込んだ。  もう夜が開けた。セスは自分の棺桶に帰って寝るだろう。  徹夜明けの目には、太陽は眩しすぎる。目を焼かれてしまいそうだ。だが、今は少しだけ。眩しすぎるものに触れていたかった。  ※※※※※ 「だからって、そんな事オレに相談します?」  赤ら顔を余計に赤く染め、ベイリーは目を白黒させた。  いつもの『シマリスの台所』。  以前はセスと二人で訪れていたが、数日ぶりに一人で足を運んでみた。ベイリーが居るかと思ったのだ。彼も毎朝ここに来ているのを、マティアスは知っていた。  案の定、ニコニコしながら店にやってきたベイリーを捕まえて、マティアスは半ば無理矢理同席させて話を聞いてもらっていた。 「その、ヴィクトリノ大尉を、あっちで満足させられないなんて話を……オレにされても」 「プライベートな話をできる人が、セスさん以外には貴方しかいないので」 「そりゃあ光栄ですがね……オレだって、そんな経験豊富ってわけじゃあないしさぁ」  ベイリーは既婚者だから、伴侶との営みについては詳しいのではと思ったのだが。  あてが外れて肩を落とすマティアスを見て、ベイリーはあたふたしはじめた。 「いや。そもそも、テクニックの問題じゃなくて、多分それ以前の話でしょう」 「はあ……それ以前とは」 「えーっと、ヴィクトリノ大尉は、挿れてる間だけ萎えてるんですよね?」 「はい」 「だから、さ……普通挿れないところに挿れてんだから、辛いんでしょう。様子見しながら良く慣らして、優しくしなきゃ……って、朝っぱらからなんの話してんのかなオレは……」  優しく。  確かに、セスが気持ちよすぎて本能に突き動かされるまま動いてしまっていた。優しさは足りていなかったかも知れない。  だからセスは、愛されていると感じる事が出来なかったのだろうか? 「確かに、私はもっと彼の体を気遣うべきでした。とても参考になります」 「竜人様、たのみますよ……ヴィクトリノ大尉をあんまり手荒にしないでやってください……」 「はい。これからは優しくします」  ものすごく複雑そうな顔で、ベイリーは自分のカップに手を伸ばす。そこにわずかに残っていたコーヒーを呷ると、カップを持ち上げてニナにおかわりを頼んだ。 「竜人様は、コーヒーおかわりどうですか?」  素朴な笑顔をこちらに向けてくれるニナに、マティアスは首を振って答えた。喉は渇いていないし、実をいうとこの店のコーヒーは渋くてあまり好きではなかった。 「ねぇ、今の話ちょっと聞こえちゃったんだけどね。セスさんは、竜人様の家にいるって本当?」 「ええ、一緒に暮らしています」 「ハンターを辞めて、街から逃げたって噂だったから……よかった。じゃあ、またお店に来てくれるかな」 「そうですね……」  ヴァンパイアになってしまったセスが、朝食を食べにくる事はもう無い。朝日は毒だし、人間の食べ物は栄養にはならないのだ。 「実は、彼は病気を患っていまして。私の屋敷で、療養をしているのです」  前もってセスに指示されていたように答える。  誰かにセスの所在を聞かれたら、ずっと患っていた持病が悪化し、マティアスの屋敷で療養しているのだと答えるように、セスに言いつけられていたのだ。  急に退職し姿を消した理由としては、一番自然だろう。 「そんな、セスさん病気なの?」 「え、病気……?」  そういえばベイリーには言っていなかったので、ベイリーもニナと一緒に目を丸くしている。小声で「信じられない、病人にそんな酷い」と呟いていた。  毎日セックスをしているという話をしたばかりだから、色々誤解させてしまったのだろう。この場で訂正する事もできないので、申し訳ないが聞かなかった事にした。 「ひ、ひどい病気なの?」 「いいえ。命に別状はありません」 「じゃあ、お見舞いに行っていいかな?」  もちろん。すぐにそう答えようと思ったが、マティアスは一度口を噤んで考えた。  彼女はベイリーとは違う。セスにとって、ただの行きつけの店のウェイトレス以上の存在には思えない。  ニナを屋敷に招くかどうかは、まずセスに相談するべきだ。 「申し訳ありませんが、お見舞いはお断りしているのです」  そう言うと、ニナは一瞬強張った顔をして、すぐに悲しそうに目を伏せた。 「そんなに、具合悪いの?」 「いえ、ただあまり人に会いたくないようなのですよ」 「そ……う、なの」  なんとなく居づらくなり、マティアスは席を立つ。多めのチップをテーブルの上に置いて、ニナに微笑みを向けた。 「また、セスさんが元気になったら一緒に来ますから。待っていてください」  少し安堵したような、困ったような。微妙な表情で、ニナはへらりと笑った。  本当はもう、セスがここに朝食を食べに来る事はない。  ずいぶん嘘が上手くなってしまったなと。マティアスは胸の十字架を握りしめて自嘲した。

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