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第5話
一枚の布団に枕を並べ天井を見つめながら、健人は「かぷかぷってなに?」と言った。意味がわからなすぎて寝言かと思い無視していたら、もう一度、兄ちゃん、かぷかぷってなに? と聞いてきた。
「‥‥何語、それ」
「かぷかぷって、笑うんだって」
「意味わからん寝る」
「にぃーーちゃん!」
寝返りを打って背中を向けると、健人が焦れったそうに背中のシャツを引っ張ってくる。
「今度ねー俺ねー絵描くんだー」
「‥‥‥‥」
「俺クレヨンも絵の具も持ってないからね、欲しいって言ったらママがパパに買ってもらいなさいって」
「‥‥‥‥」
「パパ買ってくれるかな」
「‥‥‥‥」
無視しつづけていると、健人は満足したのか疲れたのか、寝息を立て始めた。鼻が詰まっているのか、ピーピー言うのがうるさかったのだが、それを聞いているうちにいつの間にか俺も寝てしまっていた。
次に目を覚ましたのは夜中の3時だった。ケータイで時間を確認してからゆっくりと布団から出て、リビングに行く。
ソファに座りながらケータイの電話帳を開き、カ行の一番上に表示されている名前を見た。あ、ハ行に直さなきゃな、と思いながら、その相手に電話をかける。
「どーしたの‥‥3時なんだけど」
北村はすぐに電話に出た。
「なぁ、かぷかぷってどんな笑い方だと思う?」
「か‥‥え? なに?」
「かぷかぷ。俺はさぁ、唇オバケがかぷかぷ口動かしながら浮かんでるのを想像しちゃうんだけど」
「‥‥寝呆けてんの?」
「かぷかぷ‥‥変な音」
北村の言葉を無視しながら真っ暗なテレビ画面をぼんやりと見つめ、俺はさっきの健人の言葉を思い出していた。どうでもいいことなのだが、聞き慣れない言葉が頭の端っこに引っ掛かり、寝るに寝れなくなっていたのだ。
電話の向こうで北村のあくびのような息の音が聞こえた。眠いくせに律儀に話を聞くのはやっぱりホモだからだろうか。
「かぷかぷ‥‥空気みたいにって意味じゃね?」
「え」
まさかこんなわけのわからない質問に答えるとは思わず、一瞬言葉に詰まってしまった。北村は構わず続ける。
「かぷかぷ。なんか魚みたいだな」
笑みを含んだ声が耳をくすぐった。
なんとなくムカついて黙って電話を切ると、そのままソファに横になった。かぷかぷ、と呟くと、北村から電話が来たが、無視をした。もう一度かぷかぷ、と意識しながら呟く。こんな笑い方、あるわけないだろ。
目を閉じこのままここで寝ようかな、と微睡んでいるとまたケータイが鳴った。今度はメールだった。
『何かあった?行こうか?』
行こうか、とはなんだ。会いに行こうか、という意味か? 何か悩んでる様子の友人が夜中に謎の電話をかけてきたから心配になって駆け付ける。ドラマかよ、と北村のメールにつっこんだ。つっこむだけで、返信はしなかった。
トイレに行ってから結局自分の部屋に戻り、ピーピー言っている健人の寝顔に「ホモ村が言うには、かぷかぷは、空気みたいにって意味なんだとよ」と話し掛けた。当然返事はなかったが、しばらくすると寝呆けた健人が「手!」と言いながら手を上げ、何をするでもなくまた下ろしたので、わけがわからなくなって少し笑ってしまった。手、じゃねーよ。意味わかんねーやつだな。
隣に横になってタオルケットをかけると、微かに健人の匂いがした。なんとも形容しがたい匂いだったが、イメージするならたんぽぽの綿毛のような、ふわふわしたやわらかい、幼さの象徴みたいなものだった。
それを唇オバケが吹き飛ばす夢を見て、翌朝の寝起きの気分は最悪だった。
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