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第4話

 あ、これだ、と凌は思った。  今日呼び出された用件は、この記号に関することに違いない。 「この記号が記された骨董を、見つけてほしいのです」  やはりそうだ。  これは日常の「探し物」ではない。ただ怜人が欲しい骨董を見つけたり買い付けたりするのではなく、一族に関わること。 「……どのようなお品か、目星はついていますか?」  尋ねたものの、答えは返ってこないだろうと思った。いつもそうだから。  ところが。 「『秘色(ひそく)』らしいです」 「『秘色』……!? す、すみません。それはさすがに貴砺さんの所蔵にはなかったです」  思わず即答した凌に、貴砺が片眉を上げる。秘色とはなんだ? と問う表情だ。  貴砺の方を向いて、説明を加える。 「『秘色』というのは、唐の皇帝のために作られた最高級の青磁のことなんです。唐時代だから、今から千二~三百年ほど前ですね。江南(こうなん)の越窯(えつよう)で焼かれました。ずっと幻とされてきたんですが、一九八七年に陝西(せんせい)省にある法門寺(ほうもんじ)の塔が倒壊したことがきっかけで発掘されて、現代の人々は初めて『秘色』を目にしたんです。市場に出回ることはありえません」 「なるほど。つまり『秘色』とは、色を指す言葉ではないということか?」 「はい。特定の色を指していた可能性も捨てきれないですが、今のところは。『秘』は秘密の秘なのか、それとも神秘の秘なのか、『色』はその名の通り色合いの色なのか、それとも様相や格式を意味する言葉なのか……様々な説があって、答えは出ていません」 「凌はどう思う?」 「……そうですね。『人知を超越するほど神秘的な青磁』という意味だったら素敵だなと思います」 「私も凌さんの説に賛成です」  怜人が突然、同意する。  その表情はにこやかで、凌は戸惑った。これではまるで、日常の「探し物」みたいだ。一族に関わることだと感じたのは、間違いだったのだろうか。 「探し物を『秘色』だと表現したのは祖父なのです。本来の意味での『秘色』を本当に手に入れたわけではなく、一族の総帥である自分を、大胆にも皇帝になぞらえた気がします」  凌は息を呑んだ。やはり一族に関わることなのか。  もしそうだとしたら、なぜこんなにも怜人は協力的なのだろう。いつもなら謎と少しのヒントだけを与えられ、あとは脅しのような状況を作られるだけなのに。 (そんなに重要なことじゃないから……?)  そう思ったが、しかし先ほどの『記号』の時に感じた気迫は本物だった。 「……お祖父様が手に入れられたということは、貴砺さんの所蔵品の中にあることは確実なのですか?」 「ないわけがない、と考えています。ただ、気にかかることもありまして」  いったん言葉を切った怜人は、何かを思い出すように少し考えてから口を開いた。 「祖父は確かに、その記号の記された『秘色』を手に入れた。それなのに……その後も『秘色』を探している記述があったのです」 「記述、ですか?」 「手記のようなものです。その記号もそこから写しました」  凌は手元の記号に視線を落とした。じっと見つめていると違う形が浮かび上がってきそうで、だまし絵みたいだなと思う。 「せっかく手に入れた『秘色』を手放すとは考えづらいので、少なくとも一つは貴砺の所蔵の中にあるはずです。まずはそれを見つけてほしい。そうすれば祖父が、なぜそれ以降も『秘色』を探していたのか分かるのではないかと思うのです」 「……お品は青磁だと考えてよろしいのでしょうか?」 「分かりません。ただ手に取って『照り』を楽しんでいたようなので」 「では少なくとも、施釉陶磁器ですね」 「凌さん相手だと話が早い」  これくらいは骨董を扱う者として当然の理解だが、同じ骨董好きとの会話が楽しいという気持ちは凌にも分かる。 「いつ頃の時代のものかは分かりますか?」 「それなりの時代を経ているようだとしか。現代の技術では作ることはできないだろうと、祖父は絶賛していました」  それならば歴史の古いものから順に探していくのがいいだろうか。 「他に何かヒントはありますか?」 「そうですね……。ああ、通常の状態では記号を確認できないようです」  え、と思わず怜人を凝視してしまった。  それは探し物をする身にとっては、爆弾発言に等しいのだが。 「……意匠として描かれていたり、窯印のように刻まれていたりするわけではないということですか?」 「どうやら特殊な仕掛けによって、浮き上がるように作られているらしいです」 「仕掛け……もしかして湯を注ぐと色が変わって新たな絵が現れるとか、置物の組み方を変えると新たな意匠が完成するとか、そういったことでしょうか?」 「おそらく」  愕然とする凌をよそに、怜人は満足そうに頷いてくれる。話が早い、と言いたげだが、待ってほしい。 「この記号は、一族以外の者の目に触れさせてはいけないものなのです。たとえ目にしたとしても意味は分からないでしょうが、秘匿することで価値が高まる。そういう類のものです」  それはつまり、探し物の際に記号の取り扱いに細心の注意を払わなければいけないということか。 「記号さえ厳重に管理しておけば、探し物自体は使用人に協力してもらっても構いませんか?」 「凌さんに任せます」  この自由裁量度はなんだろう。いつもなら追い詰められて、ギリギリの緊張感の中で交渉をしている場面のような気がするのに。  そんな凌の戸惑いが通じてしまったのか、怜人がにやりと笑った。それは貴砺の笑みと少し似ていて、初めて見る素の表情に思えた。 「もう脅す必要はないでしょう? 凌さんは我々塔眞一族の劉人で、常に最善の手を打ってくれる。――信頼していますよ」  息が止まるかと思った。まさかあの怜人から、こんな言葉が出てくるなんて。  これまでの数々の謎解きがもたらした成果だろうか。ようやく、ただ純粋に彼らの力になりたいという気持ちを受け止めてもらえたのかと胸が震えた。  嬉しくて貴砺の顔を見ると、憮然とした表情で、 「惚れても無駄ですよ。凌は私の花嫁だ」  と突拍子もないことを言う。 「貴砺はどんどんおもしろい男になるな」 「凌のおかげです。ところで、次期総帥。私の所蔵品の中からその『秘色』が見つかった場合、それをあなたは所望するのですか?」 「そうだね、譲ってほしい。私はそれを百日宴で披露することを考えている。借り物では格好がつかないからね」 「っ!」  塔眞一族には、子どもが生まれた翌朝から『精霊迎えの儀』を催して誕生を祝い、生後百日目の『百日宴』で初めてお披露目、そして生後千日目の『生誕の儀』でようやく正式に一族の子どもと認め、家系図に記すという伝統がある。  つまりこれからの百余日の間に探し物を見つけろということ。  突然切られた期限に、脅しではないかもしれないが、それに近いプレッシャーを凌は感じた。 「もちろんただとは言わないよ。おまえは代わりに何を求める?」 「考えておきます」  不敵に笑う貴砺に、穏やかな笑みで返す怜人。一見すると仲のいい兄弟の微笑ましい一幕だが、そうではないことを凌は知っていた。 (貴砺さん、何を要求するつもりだろ……)  おそらく一族での役割的なことだと思うが、凌には詳しいことは分からない。  ただ、自分にできるのは『秘色』を探すことだけだ。 「凌さん、また近いうちに食事しましょう。楽しみにしていますよ」  その日までにできる限りの調査は進めておきたいと、凌はやる気を漲らせた。

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