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 *** 「Ωは……私もまだ見たことはないが、生まれた時、星を掌に握りしめているらしい」  久しぶりの湯船につかり、自分に背を預け座るイオへと、なんとはなしに叙事詩の話しをはじめたのは、彼があまりに無知であり、警戒心を持たないからだ。  同じ男だと分かっていても、イオに触れれば胸が高鳴り、仄かに香る甘い香りに我を忘れそうになる。そんな時ナギは細くて白い彼の首筋へと、噛みつきたい衝動に駆られた。  現に今も……湯船についてしまわぬよう、高い位置で髪を束ねている彼の、チラチラと見え隠れするうなじに歯を立てたいと思っている。  けれど、おかしなことをして傷つけるのは嫌だから、面白くもない話をしてでも、平静を装わなければならなかった。 「イオは、ここから出て、外の世界へ行ってみたいとは思わないか?」  難しい話ばかりしていては、イオが疲れてしまいそうだから、違う話へと切り替えてみると、小さな頭が左右に振られる。他人にここまで気を使うなんて、ナギにとっては初めてのことだ。そして、他人にここまで興味を持つのも――。  イオは今、ナギの提案を拒絶した。けれど、それは予想の範囲だったから、ナギは驚いたりしない。それどころか、最終的には思い通りになるということに、微塵の疑念も抱いていなかった。  それは、皇子だから、誰もが言うことを聞くなどという意味ではなく、どんな人物も思い通りに動かせるだけの才覚があるという自負だ。 「じゃあ、私と一緒なら? 一人でいるよりずっと楽しいと思わないか?」  背後から腹を抱え込み、うなじにそっとキスを落とせば、驚いたように振り向いた彼は、頬を上気させて首を傾けた。 「私とでは不安か?」  抑揚を消して言葉を紡げば、首を左右へと大きく振る。  本当にウサギのようだ。  現在ナギは、宮廷ではなく自身の屋敷で暮らしており、イマールという雄の黒豹を飼っている。強靱でしなやかな体躯と光沢をもつその毛並みは、見る者が息を飲むほどに美しく、客人などから触らせてくれと言われるが、獰猛な獣でもあるイマールが、その体へと触れさせる相手は主人であるナギ一人だけ。その忠誠心は人間よりも信頼できるものだった。  イオを屋敷へと連れ帰ったら、イマールはどんな反応を見せるだろうか? 「決めた。イオを屋敷に連れて帰る」  先ほどまで、少しずつ会話で距離を詰め、ナギの求める答えにイオを誘導しようと考えていたが、イマールのことを思いだし、急がなければならないと思った。 「イオには……私の屋敷で身の回りの世話をしてもらう。きちんと給金も出すし、父親のことも探してやる。だから、明日ここを出るぞ」  そうと決まれば、あとは行動するのみだ。  川沿いに下流を目指せば、どこかの街には出られるだろう。 「看病の礼もしたいしな」  告げながら、笑みを浮かべてイオの表情を伺えば、戸惑い迷っているのだろう……困ったように眉尻を下げ、こちらを見上げて口をパクパクと開閉させているけれど、ナギはこの時視線を逸らし、唇を読まずにあえて分からないふりをした。

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