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現れた女は頭から触角を生やし、背中には黄色い蝶の羽。 今度は蝶が女になった。 「……」 またもやあり得ない現実に、駿(しゅん)は驚きに固まった。もう深く考えない方が身の為かもしれない。 女は手にしていたカメラを芝に転がした。駿のカメラだ。 「あ、俺のカメラ」 思わず身を乗り出した駿だが、ユキが駿の視界を遮るように前に出たので、慌てて口を閉じた。 「それで、俺達の正体を晒すのがキミの目的かい?」 ユキの問いかけに、女は鼻で笑う。正体を明かされても、女は強気な姿勢を崩さない。 「そんな写真一枚じゃ意味ないでしょ」 「そうだね、そんな写真をばらまかれたって、どうって事ない。きっと、合成写真だろうって、誰も信じないだろうからね。じゃあ何が目的?人の子を巻き込んでまでしたかったのがコレかい?」 言葉遣いや声色は軽かったが、ユキが怒っている事は駿にもよく分かった。今にも女に掴みかかりそうな怒りを感じ、駿はそれが自分に向けられたものではないのに思わず怯む。そんな風に成り行きを見守っていると、今度は青い火の玉が、ぽつりぽつりと空に現れ、駿は思わず悲鳴を上げた。 「ひ、火の玉!?お化け!?な、なんなんだよ、ここは一体…!!」 ぽ、ぽ、と駿の周りにも青い火の玉が浮かび始め、怯える駿は必死の思いで身を縮こませたが、リュウジは先程の光の粉とは対象的に、駿の背を叩いて笑うだけだ。 「大丈夫だ、何も怖い事はない」 「え?」 ふと見上げると、リュウジの頭から耳が消えていた。ユキも同じだ。あれは幻だったのかとぽかんとしている間に、辺りが明るくなった。火の玉が、燈籠のような役割を果たしているせいだろう。女を見ると、先程とはうって変わり顔を強ばらせていた。 「わ、私は悪くないわ!アイツがやれって言っただけ!本当よ!?そうしたらリュウジさんは帰ってくるって!」 「は?」 女の怯え惑う叫び声に、ユキとリュウジは揃って声を上げた。 「何、リュウ。キミの連れなの?」 「俺は知らねぇよ!会った事もない」 「リュウジさんは何も悪くないわ!影で見つめているだけで良かったのに…アイツが、アンタ達を困らせればリュウジさんは人の世に居られなくなるからって…」 女の言葉に二人は溜め息を吐いた。駿には何が何やら分からなかったが、リュウジがモテるのはよく分かった。 「アイツって事は、首謀者が居るのかい?名前は」 ユキの問いに女は躊躇いの表情を見せたが、女はなかなか口を開こうとしない。弱味でも握られているのだろうか。 「話はそれだけか」 その声に、辺りの空気が一気に張りつめた。静かな低音だったが、その声は凛と揺らがず良く通るものだった。 ぽつりぽつりと青い火の玉を引き連れて、川の方から誰かが歩いてくる。 「ゼン、」 ユキとリュウジは彼の姿に安堵した様子だったが、駿は逆にその威圧感に心が折れそうだった。 ゼンと呼ばれた男は、艶やかな長めの黒髪を襟元で一つに結び、切れ長の瞳は涼やかで、すっと通る鼻筋に薄い唇、端正な顔立ちに気品を感じさせる佇まい。背丈はユキと同じ位だが、その存在感のせいなのかもっと大きく感じられる。無駄や欠点がないと思わせる、美しい男性だった。 更に紺色の着流しが様になっており、それに加え、背後には引き連れ歩く火の玉が浮かんでいる。まるで時代物の映画を観ている気分だ、とは言え、のんびり観賞していられる程、駿に心の余裕は無かったが。 「どんな理由があろうと、人を巻き込めば罪になる。リュウジに会いたいが為だけにこんな事をして、ただでは済まないぞ」 ゼンが女に歩み寄れば、女は怯えを顔に滲ませながら、どうにか踏み止まっているような様子だ。 「あ、アンタが悪いんじゃない!リュウジさんを連れて行っちゃうから!」 「なら俺に直接文句を言えばいい」 「言えるわけないわ!アンタは妖の世で一番恐ろしいもの!」 「俺は帰る気なんてないよ」 女の叫びを遮るようにリュウジが声を上げた。 「ゼンの居る場所が俺の居場所だ。ここがゼンの居場所なら、俺は全力でこの場所を守るだけだ。例えゼンが止めろと言っても出て行けって言っても、俺はゼンの側に居ると決めている。自分勝手な思い一つで、人に危害を与えてまでゼンの居場所を奪おうとするなら、俺はあんたを許さない」 女はリュウジの気迫に震え、その場に崩れ落ちてしまった。 「ユキ頼む」 リュウジがユキに声を掛けると、駿をユキに預け、彼は女の傍らへ向かった。 「たまに居るんだよ、リュウに心酔した奴が、ゼンや俺に敵意向けてきてさ。人を巻き込んで俺達の正体を晒して騒ぎになれば、俺達は人の世に居られなくなるって踏んでの事だろうけど、そんな事したってゼンは妖の世には戻らないのにな…」 それはつまり、リュウジも妖の世とやらに帰らないという事だろうか。そこで駿はふと思う。 妖の世って、何だ。 「さっきは悪かったな、押さえつけたりして」 「い、いえ!大丈夫です!」 もう思考も体の痛みも追いついていかないが、申し訳なさそうなユキに、駿はそう言うしかない。今はきっと守ってくれているのだろう、良く分からないが。 「…何か、裏があるな」 ゼンがぽつり呟く向こうで、リュウジが女を介抱してやっている。 「彼女が誰にそそのかされているかだな。ねぇキミ、本当に何も知らない?何か他に覚えている事はない?」 そう駿を覗き込んだユキの瞳が、零れそうな程大きくなる。 本当、キレイな人だな。 そんな事をぼんやり思う中、駿は頭の芯が重くなるのを感じた。加えて右腕がいやに熱い。 「ちょっと、キミ!」 ユキが自分を呼ぶ声が聞こえたが、目も口も何も動かせない。力を失い視界が霞み始める中、閉じかけた瞼の向こう、青い火の玉に照らされたお化け桜が見えた。 花は全て散り終えたはずなのに、満開の花を咲かせる、お化け桜の姿が。

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