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駿(しゅん)が気づくと、そこは暗闇の中だった。地に足がついているのか、空に浮いているのか、立っているのか寝ているのか、良く分からない。 ぼんやりとしたまま、夢を見ているのかもしれないと思えば納得した。だが、一体何の夢だろう、早く目を覚まさなければ。 ーどうして 声が聞こえて駿は振り返る。 「どうしてって、これは俺の夢だ。だから目を覚まさなきゃ」 ーあなたはいつもそうだ。 「何だよ、誰だ」 女か男かも分からない。四方八方から聞こえる声に駿は戸惑った。これは、自分が見ている夢の中のはずだ。 ーどうして置いていくの ーどうして行ってしまうの ー認めてくれたのに ーここに居るのに ーどうして、どうして、どうして ー行かないで、行かないで。 暗闇の中、伸びた手が首に絡みついた。 はっとして目を開ける。ド、ド、と打ち付ける心音に息苦しさを覚え、何度も呼吸を繰り返す。目に飛び込んできたのは、明るい日差しが差し込む木目の天井だ。 生きてる。 そう安堵した先、天井を見上げる視界を遮って入ってきたのは、見知らぬ青年の顔だった。 「目、覚めましたか?」 愛嬌のある大きな瞳に、人の良さそうな雰囲気。派手な顔立ちではないが、素朴で愛らしいという表現が似合う。長すぎず短すぎない黒髪は整えられ、体に合ったスーツ姿は爽やかで安心感を与えてくれる。年下に見えるが、年上のようにも思えた。 駿は困惑のまま頷いた。彼は悪い人には見えないが、ずっと夢と現実の狭間で過ごしていた気分だったので、上手く状況が呑み込めない。 「…あの、ここは?俺は一体どうしたんでしょうか」 「昨夜、倒れてしまったみたいで…昨夜の事は覚えてますか?」 昨夜と聞いて、夢物語のような出来事が脳裏を駆け抜ける。今思い返してみても現実とは思えない事ばかりで、思い出せば思い出すほど頭が混乱してくる。だから、間の抜けた問いかけをしてしまった。 「昨夜の事を知っているという事は、あなたも耳や尻尾が生えてるんですか…?」 はっとして体を起こそうとすれば、ミシ、と体が悲鳴を上げる。駿は布団の上に寝かされており、右腕には何重もの包帯が指先から肘の上辺りまで巻かれていた。しかし、その包帯の部分よりも背中や脇腹、首と、とにかく全身が痛む。恐らく土手の斜面を無防備に転がり落ちたせいだろう。青年が、「大丈夫ですか」と支えてくれる。やはり彼はいい人そうだ。 そこへ、別の男の笑い声が聞こえてきた。開け放しの障子の向こうから、男が顔を覗かせた。 「ははは!(はる)なら尻尾くらい生えてそうだな」 真斗(まこと)だった。この時も彼は作務衣に無精髭姿だったが、初対面が笑顔だったので、強面の印象より、おおらかな人というのが駿の感想だ。 「からかわないでよ、(まこ)兄」 「誉め言葉だよ。今じゃお前も、妖達の内じゃちょっとしたヒーローだよ」 「そんなんじゃないから」 もう、と頬を膨らますように怒る青年は駿に向き直ると、「騒がしくて、すみません」と頭を下げた。 「申し遅れました。僕は、リュウジさんのマネージャーをしている、西宮春翔(にしみやはると)といいます。獣の耳も尻尾も生えていない、普通の人間ですよ」 にこりと微笑まれ、駿も慌てて居ずまいを正した。 「宮下(みやした)駿です。すみません、変な事を聞いて…。何が何やら頭が追いつかなくて」 「混乱して当然ですよ。僕も最初は驚きましたから」 「あなたも巻き込まれて?」 「僕は、」 「愛の手引きでな」 「ちょっと、それ凄い恥ずかしいんだけど…!」 「俺も言ってて恥ずかしい」 「なら言わないでよ…」 二人のやり取りに戸惑う駿、真斗は気にしないでくれと笑った。 「春翔の場合、ちょっと特殊なんだよ。俺は十禅(じゅうぜん)真斗。医者やりながらカフェを開いてる」 そう言って真斗は医師免許を見せてくれた。 「人も妖も診れるから安心してくれ」 「じゃ、先生達が助けて下さったんですか?すみません、ご迷惑おかけして…」 「俺は傷を診ただけだよ。それに、先生は止めてくれ」 こそばゆいんだよ、と真斗は苦笑いした。 「お前をここまで運んできたのは、あいつらだよ。妙なのが三人居たろ?耳と尻尾の生えた奴ら」 「はい…あの方達は何者なんですか?あれは、現実なんですよね」 「残念ながらな。昨夜、あの場に居たお前以外の奴らは人間じゃない」 「え、」 「あいつらは、妖なんだ」 暫し沈黙が続いた。人じゃない事は薄々勘づいていた。だって人間に獣のような耳や尻尾は生えないし、火を起こす道具も無しに火は出せない。しかし、そうだと納得しようにも、事実を受け止めきれない自分が居る。駿はオカルトの類いを一切信じてこなかった。それが突然目の前に突き付けられているこの現実に、脳が追いついていかない。 「…成る程」 神妙な顔つきで呟いたのは、やっとの思いでひねり出した言葉だった。受け入れられないなりに、それでも相手に誠意を示そうとしたのだが、二人にはお見通しだったようで、同情の笑みを向けられてしまった。 「まぁ、簡単には信じられないよな…でも本当なんだ。それと、あいつらも好んでお前を巻き込もうとしたんじゃない、それだけは信じてやってくれ」 駿は頷いた。それは信じられると思った。ユキには手痛い歓迎を受けたが、その後はずっと気遣い守ってくれていたように思う。 「本来なら人を巻き込んでしまった場合、妖を見た記憶は消されるんだ。人と妖は互いに理解がないと共に暮らせないからな。だけど、お前には話さないといけない事がある。その腕の事だ」 「腕ですか?」 駿は包帯の巻かれた右腕を持ち上げた。その腕を取り、真斗は触診する。相変わらず痛みはない。 「感覚はあるか?」 はい、と駿が頷くと、真斗は実体はあるな、と妙な事を呟いた。 「あいつらから聞いたが、首を何かで刺されたと言ったな。お前の首筋に、その傷跡があった。恐らくそこから何か盛られたんだと思う」 「何かって」 「人体に影響の出る何か、としかまだ言えないな…薬物の類いだと思う。その影響が右腕に出てるんだ」 驚くかもしれないがと前置きして、真斗は駿の包帯を外していく。 そして現れた自分の腕に、駿は目を疑った。 「え、な、なんで…」 右腕が無かった。いや、腕自体はある。だって指先はしっかりと真斗の手を握っているし、包帯は透明な腕の中央に引っ掛かって垂れ下がっている。勿論、感覚もある。無いのは腕の色だけだ。 包帯に巻かれた部分が、透明になってしまっていた。 理解が追いつかない事態に焦って自分の腕を確かめる。確かにある。触れた左手も、触れられた右腕も、感覚はいつも通りだ。 「俺、どうなっちゃってるんですか!?腕、なくなって…!」 腕があるとはいえ、無い状況にパニックになる。真斗は駿を落ち着けようと、見えない右腕をしっかりと握った。それから、逆の手で肩をしっかり掴まれ抑えられる。 「大丈夫だ、治す方法が無いわけじゃない」 真っ直ぐ言い放つ真斗の目は、嘘を言っているようには見えなかった。 「さっきも言ったが、蝶の妖がお前に何かを仕込んだ。物体は分からないが、それが作られた物なら、必ず治す薬もある。人の体を透明にさせるなんて初めて聞いたから確証があるわけじゃないんだが、俺達はそう思ってる。見たところ、腕の変異も止まってるし、このまま全身の色を失ったり、命を奪うという事は無いと思うんだ」 「……」 真斗の思いは伝わってくる。けれど駿は戸惑い瞳を揺らした。信じたいが、素直に受け入れられない。今あるこの状態がまず、信じれないからだ。 「駿さん、僕も妖に体を乗っ取られていた事があるんです!」

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