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「え、」 前のめりに意気込んでされた春翔(はると)の告白は、唐突であり衝撃的で、駿(しゅん)は返す言葉がすぐには浮かばなかった。 「あ、今は大丈夫ですよ!体は僕のもので、話しているのも僕の言葉で、僕の意思によるものですから!」 慌てつつ微妙に的を得てないような返答だったが、春翔の顔は真剣そのもので、恐らく事実なのだろうと駿は思った。 素直に納得出来てしまったのは、自分が同じような体験をしてしまったからかもしれない。しかし、乗っ取るとは穏やかではない。想像しただけで、悪寒が走る。 「ゼンさん達が、その身を持って僕を助けてくれたんです。僕は、僕だけの命で事が治まるならと思ったけど、ゼンさんはそれを許さなくて、全部諦めないでくれたから、今僕はここに居るんです。ゼンさん達は妖だけど、人を守る為にこっちで暮らしてて、そういう妖は実はいっぱい居て、駿さんを襲ったような妖ばかりじゃありません。皆、力を貸してくれます!その腕を治す方法もきっと見つかります!だから大丈夫です!僕達みんな付いてますから!」 妖の事や春翔の事など、駿は出会ったばかりで何一つ分からない。ここで信じられるものは、自分で目にしたものと感じ取れるものだけ。春翔の言葉を、そんな事と撥ね付けても、今の状態では仕方ない事だと思う、そんないきなり受け入れられる話ではないし、初対面の相手をいきなり信用出来るほど、駿は素直ではない。それでも春翔の言葉は不思議と胸に届き、信じていいのかもしれない、大丈夫かもしれないと思えてしまった。 同じ境遇だからか、それともそれが春翔の力なのか。気づけば駿は頷いていて、春翔はほっとしたように笑った。 「何かあったら何でも良いので言って下さいね!微力ながら僕も力になります!あ、お腹すいてませんか?こういう時、先ずは腹ごしらえです!それから、これからの事を考えましょう!」 良いよね、と春翔が真斗に視線を向けると、真斗は笑って頷いた。 「(まこ)兄が作ったご飯は美味しいですよ!従兄弟の僕が保証します!」 「準備してきますね」と立ち上がる春翔に、駿は「お構い無く」と声を掛けたが、春翔は風のように去って行ってしまった。 「すみません、こんな色々と」 「いや、構わせて欲しいんだ。頼むよ」 そう真斗に肩を叩かれ、浮かせていた腰を下ろす。その顔はどこか申し訳なさそうな笑みを浮かべていて、彼らが何をしたわけでもないのに、切に願うその声に、有難さと申し訳なさ、同時に、今起きている事は間違いなく現実で、受け入れなくてはいけないと思った。 真斗は再び駿の腕を取り、包帯を巻き直す。 「…ありがとうございます、お世話かけます」 「なに、これは医者の仕事だ」 器用に巻かれていく包帯の先を見つめ、駿は小さく微笑んだ。 何が何やら納得出来ない事はまだあるが、今はこの人達を信じてみようと思えた。それは仕方のない事ではなく、純粋に。 「あの、妖って言いますけど、土岐谷(ときや)さんもなんでよね。芸能人なんて一番身分が割れそうなのに」 「あー、それは春翔を探す為だったんだ」 「春翔さん?」 「ゼンっていたろ?黒髪の」 「はい、あの…静かな雰囲気の方」 「そー、目付き悪くて怖そうな奴」 怖い人と言おうとして躊躇った言葉が一瞬でひっくり返り、駿は思わず反応してしまったが、真斗は何て事ない顔をしている。真斗は怖そうなゼンに対し、一体どんな立場にあるのだろう。 「あいつと春翔はガキの頃、会ってるんだ。その時、春翔は妖に取り憑かれてさ、それに気づいたのが数年前」 「…なんかどこかで聞いたような」 考え込む駿に、真斗は笑って立ち上がると、本棚に向かう。年季の入った古い本棚だ、深みのある木の色味が渋い。駿はぐるりと部屋を見渡した。箪笥に文机、畳に障子、和に溢れた部屋だ。真斗が本棚から取ってきたのは、駿が鈴鳴(すずなり)川の土手で思いを馳せた藤浪(ふじなみ)ゼンの小説、映画化になったあの作品だ。 「これだろ?」 「そうです!人と妖の恋の話ですよね。幼い頃に出会った人間と妖が、大人になって再び出会って恋に落ちて、でも、人間は妖にとりつかれてて。最後の別れのシーンは泣けました。土岐谷さんが主演で、」 言いかけて、ふとある事に思い至り、駿は言葉を止め、まさかと顔を上げた。 「春翔に妖が取り憑いてると知って、ゼン達はあちこち探し回ったけど見つからなくてさ。ガキの頃の事だから自分との出会いを忘れてるかもしれないって、だからゼンは、本を書いたんだよ、その出会いの部分を入れてさ。もしかしたら、それを読んで思い出してくれるかもしれないって。 そしたらまさかの大ヒット。それからシリーズ化されてるわけだが、本人に文才があったのもそうだけど、妖の世間観や内容にリアリティがあるって、そりゃそうだよな、実際起こった事を書いてるんだからさ」 思わず駿は本に視線をやった。妖シリーズの作品は完全にフィクションだと思っていたが、まさかノンフィクションだったとは。 「だけど、それでも春翔は見つからなかった。もしかしたら春翔は本を読まないかもしれない、それなら嫌でも鈴鳴川を思い出させるようなニュースを作ろうって事で、映画化させようって事になったらしい。その為には役者がいる、舞台が鈴鳴川だから万一に備えようって事で身内を使って撮らせようって準備してたら、リュウジの事務所に入った新入社員が春翔だったと分かって、願いを果たせたんだ。春翔はゼンの記憶を奪われていたから、そりゃ見つからないわけだよな。俺も春翔がこの町に戻ってくるまでは今みたいに側には居なかったからさ、全然気づいてやれなくて」 真斗は駿の手から本を受け取ると、パラパラとページを捲る。 「まぁ、出会えてからも色々あったけど、本と違って現実は見事にハッピーエンド」 「ハッピーエンド?」 「ゼンと春翔だよ」 そこまで話して、真斗は顔を上げる。玄関の方だろうか、賑やかな声や足音が聞こえてくる。 「帰ってきたな」 「え?」 「ここはゼンの家なんだ。一日に何度か鈴鳴川へ行って、境界の見回りに行ってるんだよ」 手招きされ、駿は立ち上がった。ゼンの家、つまりここは小説家の藤浪ゼンの家という事だ。改めて部屋を見渡し、それから真斗に続いて廊下に出る。縁側の向こうには小さな庭が見える。古い日本家屋は、ゼンのイメージにぴったりだった。 しかしその前に、色々と整理したい。春翔とゼンは恋人同士ということだろうか。それこそ小説の中の夢物語のようだ、男同士はあれど、人と妖のカップルなんて。恋愛なんて人それぞれだから他人が口出す事ではないけれど、知れば知るほど駿が当然のように思っていた当たり前が、遠ざかっていくようだった。

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