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「お帰り。問題なかったか?」 居間の戸を開けながら真斗(まこと)が問う。居間には、大きな木目のテーブルの上に料理を並べている春翔(はると)とゼン、リュウジが居た。 「問題はなし!」 「あれ、ユキは?」 「ご近所の奥さんに捕まってるよ」 「いつものアレですね」 真斗の問いに、リュウジと春翔が苦笑いで続いた。 「仕方ねぇな。そうだ、昨日も会ったと思うが、ゼンとリュウジ。こいつは駿(しゅん)だ」 真斗が後ろに居た駿の手を引っ張る。ゼンとリュウジは駿の姿を見て、どこかほっとしたような申し訳なさそうな、複雑な表情で歩み寄った。 「目が覚めて良かったよ、体の具合は?」 リュウジが心配そうに顔を覗き込むので、駿は軽く飛び退いた。それは妖を恐れて、というのではなく、どこから見ても隙のない男前振りとオーラに当てられ、ドキッとしてしまったからだ。春翔を探す為に役者になったというが、目的を果たした後も役者で居てくれて良かったと、駿は思う。日本の芸能界の宝だ。駿には芸能事はよく分からないし関係もないが、一般人としてそう思った。 「だ、大丈夫です!」 「本当か?隠し事はないな」 次いでゼンに尋ねられ、今度は本当に後退ってしまった。昨夜は暗がりもあってここまではっきりとは見えなかったが、ゼンは本当に綺麗な顔をしている。切れ長の目で、男っぽい色気がある。しかし驚いたのは顔じゃない。彼を覆う圧倒的な威圧感だ。 たじろぐ駿の様子を察してか、リュウジはゼンを振り返り一歩後ろに下がらせた。 「ゼン、睨むと駿がビビるから!」 「睨む必要がどこにある。心配しているんだ」 「それ、初対面相手じゃ伝わらないから」 困ったように言って、リュウジは改めて駿に向き直った。 「悪いな、ゼンは年中こんな顔なんだ。でも、心配してるのは本当だよ、俺も同じ」 「怖がらせたなら、すまない。それに、巻き込んでしまって悪かった」 深々頭を下げたゼンに、駿は驚いて、慌てて否定した。 「や、やめて下さい!皆さんのせいじゃないです!俺の方こそ、色々とご迷惑おかけして…」 「いや、責任は俺にある。もっと周囲に気を配るべきだったんだ。必ず腕を治す方法は見つける。その間、辛抱させてすまないが…」 表情にほとんど変化はないが、その声には気持ちが伝わってくる。 「俺も側にいたのに、ごめんな。妖の薬屋や研究者をあたってみるつもりだ。だからきっと治す方法が見つかると思うから」 リュウジにも、ポンと肩を叩かれる。駿は包帯の上から腕に触れ、それから頭を下げた。 「すみません、ありがとうございます」 よろしくお願いします、と言うと、皆はほっとした様子で表情を緩めた。 「駿さん、ゼンさんが居れば大丈夫だからね!」 「春は惚気てばかりだな」 「リュウさん!惚気じゃないから…!」 「…悪くない」 「ゼンさん!」 困って赤くなる春翔を中心に、居間は和やかな空気に包まれた。さぁ、まずは朝食にしようとそれぞれがテーブルにつき始めた頃、真斗が思い出したように声を上げた。 「あ、そういやこいつらが妖だって、上手く呑み込めてなかったよな」 「そりゃそうだよな、あ、ゼンは半分人の血が流れてるんだ、よ、」 真斗の言葉にリュウジが説明しようとする中、真斗がパンと手を叩いた。すると、リュウジが突然狸へと姿を変えてしまった。 「え」 「え」 峻と狸は同時に声を漏らす。 丸みのある小さな耳、ふわふわの立派な尻尾、愛らしい見た目に反し、どこか力強さを感じるつぶらな瞳。どこからどう見ても、狸だ。 「わ!リュウさん、その姿久し振りですね…!」 キラキラと瞳を輝かせた春翔の様子に、狸は怯えた様子で後退った。尻尾が縮こまっている。 「リュウさん!抱っこしていいですか!?」 「え、やめろ春!ちょ、」 狸の返答を待たずに、春翔はその毛並み艶の良い体を抱き上げ頬を寄せた。 「うわ、今日もふわふわだ…」 うっとりと声を上げた先、ぽつりと青い火が現れ、駿は悲鳴を上げた。鈴鳴(すずなり)川で見た、あの青い火の玉だ。 「あ、あああの、火、火が…!」 「大丈夫だ、何も起きないから」 慌てる駿にのんびり声を掛け、真斗は「いただきます」と手を合わせる。 「ほら、お前も座って、食っちまえ」 促され、駿は怯えながら真斗の隣に座る。顔を上げると、目の前のゼンから不穏なオーラが漂っている事に気付き、思わず真斗の肩にしがみついた。 ゼンが睨むのは、狸になったリュウジ一点のみ。 「ちょ、待てよゼン!これは完全なる不可抗力だ!怒るなら俺に術をかけた真斗にしてくれ!つーか、何呑気に飯食ってんだよ!春もいい加減放してくれ…!」 「元は何より、俺は今のお前が気に入らない」 「理不尽!」 ゼンのオーラに圧倒され、狸はジタバタと暴れ春翔の腕から抜け出すと、大慌てで真斗の背に縋りつく。正直、可愛い。 「頼む!早く戻してくれ…!お前の術は俺には解けないんだ…!」 「分かった分かった、叩くなよ」 たしたし、と音がしそうな前足が動く。その愛らしい姿に、春翔が抱きしめたくなる気持ちもよく分かる。再び真斗が手を叩くと、狸はリュウジに戻った。息を切らしても、スターはスターだ。 「な?妖だろ?」 「…は、はぁ」 「そういうのは口で説明してくれよ!」 「いやしたけどさ、普通は受けとめきれないだろ?だから、」 「ゼンが春に関しては嫉妬の鬼だって知ってんだろ!?」 「いや、だからだよ。この家の事情には、早く慣れて貰った方が良いだろ」 不満が収まらないリュウジの背後では、ゼンがしっかりと春翔を抱きしめている。 それらを嵐のように見届けた駿は、受け止めきれない現実が、また一つ増えたような思いだった。 「そういや荷物はカメラだけか?」 真斗に聞かれ、駿はカメラの存在を思い出す。大事な物なのにすっかり忘れていた。それ程、衝撃的な出来事が続きすぎている。 「はい、すみません、カメラは…」 「大丈夫、ここにありますよ」 「あ、ありがとうございます」 春翔がそっとゼンの腕から抜け出し、棚に置いてあったカメラを手渡してくれる。駿は、ほっとしつつ受け取った。 「あんな時間に何を撮ってたんだ?仕事って言ってたよな」 心なしかくたびれた様子のリュウジからの質問に、駿は言うべきか迷った。しかし、迷った時間は皆の閃きの手助けになったらしく、皆それぞれ納得したように頷いた。 「桜か。桜千(おうせん)の桜、化け物扱いだもんなー」 ははは、と笑う真斗に、駿はまさか笑えず申し訳なく項垂れた。 「すみません…」 「なんで謝るんだよ、そりゃ不思議な話が出れば皆見たくなるもんだろ」 リュウジの言葉に、駿は曖昧に微笑み頭を下げた。 「俺、オカルト雑誌のカメラマンやってますけど、本当は風景とか、それこそ土岐谷(ときや)さんみたいなスターを撮れるカメラマンになりたかったんですよ。オカルトとか全然興味なかったので…まさかそういうものが本当にあったとは驚きましたが」 そりゃそうだな、と皆笑っていたが、ゼンだけは難しい顔のまま口を開いた。 「仕事をそのまま続けるのは難しいだろうな」 ゼンの言葉に、駿はきょとんとして顔を向ける。

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