10 / 48

10

遠い昔、人と妖は共存していたという。 スズナリというのは、大きな白い龍の妖で、川の主だった。洪水が起きれば人々を助け、土地が干からびればその能力で雨のように水を注ぎ、人にも妖にも愛された妖だったという。いつまでも人と妖が、互いに助け合い認め合い暮らせたら良いとスズナリは願っていたが、誰もが同じというわけにはいかなかった。 人は妖の力を得る為に妖の支配を考え、人を凌ぐ力を持つ妖は自分達の方が優位に立つべきだと人を従えようとする。その思いはぶつかり合い、大きな争いが起こった。それをスズナリは身を挺して止めたという。 両者の間に立ち、自分の体が傷ついても構わず争いを止めるよう説得し続けたそうだ。 その姿に、争いは終わり、妖は人の世から去る事になる。元々、人が暮らしていた土地に生まれたのが妖だったからだ。妖は自らの世を創り、互いに関わらない事を決めた。 だが、完全に分かれる事は出来なかった、それだけ人と妖は、共に長い時間を過ごしていた。人と妖、種族は違えど生まれた絆は幾つもある。 しかし、人の姿を借りてこっそり生きていたとしても、妖だと正体が割れたら追い出そうとする人も出てくるかもしれない。また、人を良く思わない妖が妖の世からこっそり抜け出し、人の世で悪さを働く事もあるかもしれない。そう考え、スズナリは二つの世を、妖と人を守る為、境界の守り番となり、命尽きるその時まで、二つの世の平和を守り続けたという。 スズナリの神社というのは、その当時の人々や妖達が、争いを収めてくれたスズナリを称える為、二つの世の秘密を守る象徴として、加えて当時は人の世で生きる妖達の拠り所として、争いが治まった後、建てられたという。 それを神社と呼ぶ事にしたのも、この先何があっても、取り壊される可能性は先ず無いだろうと考えての事だとか。 神社を建ててしまったので、スズナリは妖なのに、しかも生きてる内に神様となってしまった。本人は「ちょっとやりすぎなんじゃないの」なんて言っていたようだが、周りの人や妖にとっては、スズナリは最早そういった存在だったのかもしれない。 誰かを愛し、守り抜く。そんなスズナリを、皆もまた愛し守ってきた。 スズナリとは、二つの世の象徴だった。 ゼンはスズナリ亡き後、その意志を継いで守り番となり、人の世で妖の秘密や術を人知れず守り受け継いできたのが、十禅(じゅうぜん)家であり、真斗(まこと)だった。 駿(しゅん)は狐の石像を見上げる。よく神社で見るものだが、これは神の使いではなく、ゼン達の正体といったところだろうか。 神主の男性と話すゼンを遠巻きに見つめ、駿はふと思う。 スズナリは、二十年程前までここに居たという。何百年もずっとここを守っていた、人知れず、仲間と共に。遠い昔ではなく、今を生きていた妖だと知り、驚きと共にそれは身近な存在にも思えた。多くの人や妖が慕った妖に、せっかくなら会ってみたかったなと思い、同時に妖はとんでもなく長生きだと知る。 となると、ゼン達は一体いくつなのだろう、スズナリよりも下の世代だと聞いたが。 人と妖のハーフだというゼンは、妖狐の国の王子様だという。本人に言ったら怒るというので確かめていないが、真斗がこっそり教えてくれた。今は王子の位を退き、弟にその座を全て譲ったというが、弟の方がゼンを次期国王になって欲しいらしく、ゼンの事を諦めていないという。互いに譲れない理由があるのだろうか。 それにしても、と駿は思う。彼が半分人でない事も、男の恋人を溺愛している事も驚いたが、どこかの国の王子と言われても納得出来てしまうのが不思議だった。 威圧感だけでなく、纏う高貴なオーラを遠巻きに眺めつつ、駿はせっかくだからと手水舎に向かった。手や口をすすがないと、と手を出した所で、包帯で巻かれた右腕に目を留めた。この包帯が無ければ、手水舎で手を洗うだけでも、人が見れば、左手を洗えば柄杓が宙に浮いてるように見えるし、右手を洗えば何故何も無い場所に水を垂らしているのかと不思議に思われるだろう。改めて、ある右腕が無いように見られるというのは複雑で、日常に支障をきたす事に気づいた。 この腕が治らなければ、ずっと包帯か、長袖に手袋を嵌めて過ごすしかないだろうか。ある腕が無いように振る舞うのは、難易度が高い。 駿は包帯の手をどう扱うかと考えた結果、人目が無い事を確認し、普通に扱った。包帯を巻いているという事は、人前では怪我人の振りもしなくてはならないのか、はたまた自分は考え過ぎだろうか。 悩みつつもお賽銭箱に向かい、駿は財布を持ってない事に気付き、ズボンのポケットを探った。昨夜は夜中の仕事だったので、カメラと家の鍵しか持って出なかったのだ。小銭でもあればと探ったポケットの中からは、三十五円が出てきた。それをお賽銭として、拝殿前で手を合わせる。そういえば、ここには神は居ない。しかし、神が居なくても神社は神社、人を愛し守った妖なら、人が頼る神にもふさわしいのかもしれない。 それに駿のお願いは、この神社が一番効果がありそうだ。 どうかこの腕が治りますように。そう願い、頭を下げた。

ともだちにシェアしよう!